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人類の祝福となるアブラハムの裔

人の創造、失楽園、大洪水、バベルの塔と次々にダイナミックな古代の出来事を語った創世記は、第12章に入ると一転して、ひとりの遊牧民について語り始めます。その半生の物語は遥かな時の流れの起点となり、それは神の偉大な目的の始まりともなりました。

その人は「信仰の人」とも称されるアブラハムであり、神から契約への誘いの言葉を語られると、それに応じ『まだ見ぬ土地を目指して』二度と戻らぬ覚悟の内に大河ユーフラテスを渡たり、残りの人生を約束の地カナンで寄留者となって過ごし、子も居ない頃から子孫の定住と繁栄を信じてその土地を彷徨して生涯を送ってゆくのでした。

しかし、神との関わりの内に、年月を重ねる内に彼の信仰は高度に高められ、遂に神もそれに動かされて、アブラハムとの契約であったものは神からの約束へと変化するに至ります。
そこで、アブラハムの願った子孫繁栄と定住は、神の目的である人類救済と分かち得ないものとなってゆくのでした。

さて、エデンで語られた『女の裔』について、いよいよ創世記がその謎の一端を明かし始めるのは、メソポタミアで牧畜の移動生活者(イヴリーム)であったテラハの息子アブラムに神が話し掛けるところからのことです。(使徒7:2)
テラハには当時のベトウィンの習慣に従いふたりの妻があり、それぞれから合わせて三人の息子と二人の娘が生まれていたことを創世記は告げます。

テラハの一家は、メソポタミア南部のシュメール人の都市ウル、今日でもジッグラトの遺跡で知られるその城市の近郊で牧畜を営んでいましたが、息子アブラムが神から言葉を受けたことによるためか、一家と家畜の群れを率いて北方の国境であるカラン(ハラン)*の地まで1000kmも移動して、その地で生涯を終えました。 *(この[KH]の発音は日本語にないので便宜的に地名のみ[カ]とします)

神は再びアブラムに話しかけ、さらに西にある約束の地カナンに向かうよう語りかけます。すでに初老に達していたアブラムには子供が無かったので、兄ハランの忘れ形見のロトを伴い、やはり腹違いの兄の妹である妻のサライと従者たちと家畜を引き連れ、心に覚悟を秘めて大河ユーフラテスを渡たるのでした。

おそらくアブラムはテラハの二番目の息子であり、長男ハランは息子のロトを残して後に他界していたのでしょう。テラハの三人目の男子がナホルであり、ナホルの家はその後もカランに留まり、テラハの家督を継いでアブラムの実家を成してゆきます。
アブラムは家を継がなかったのはなぜかといえば、神の言葉によってユーフラテスを渡り、見たこともない土地に信仰をもって向かったからであり、テラハの家と墓とは残った息子のナホルがその地に定住して引き継ぐことになりました。

一方で、約束の地カナンに入ってからのアブラムとサライには様々な事が起ってゆきます。
カナン人の諸都市の近くの巨木の林に天幕を連ねて、イヴリートらしく家畜たちを休ませ、近くのカナン人らと面識を持つ程度にはなりますが、彼はカナン人らの異教、「バアル崇拝」のゆえに彼らの道徳性を信頼できず、深く交友することはしません。
結果として、あちこち放牧して暮らし、カナンで飢饉が起ればエジプトに行き、妻のサライが目立って美しかったためファラオの後宮に召されるというとんでもない目にも遭います。原因は二人が夫婦ではないと言明していたからであり、サライの美貌のためにアブラムは自分の命が狙われると思い込んでいたからです。アブラムはエジプト人の宗教から彼らの道徳性も信頼していなかったのです。

サライは当時60歳を越えていましたが、この当時は大洪水からアブラムまでまだ10世代ほどで、人々の寿命は今の二倍ほど長かったため、これを今日の年齢で判断することはできませんが、それでも若くはないサライに注目が集まったのは、その美しさが格別であったことを強調しているのでしょう。

しかし、サライの貞操は神の介入によって保護され、それだけでなく、神の力を恐れたファラオによって、アブラムは多くの資産や家畜を贈られたので、甥のロトと共に大いに富まされる結果となります。
この件は、アブラムとロトの間を離間させるものとなりました。双方の牧童が家畜を巡って争うようになっていたからで、家畜が多過ぎて二つの群れは共に居ることができないほどになっていました。

そこでアブラムはロトに提案して、二つの群れは別の地方を選ぶことにします。アブラムはロトに自由に場所を選ばせると、彼はシディムの低地を選びます、そこは冬も暖かく湿潤であったと創世記は述べます。今は乾燥の激しい地域になっていますが、当時はそうではなかったのでしょう。その土地にはカナン人の主要な五つの都市があり、そのなかにソドムとゴモラもありました。
その地を選んだロトは、いつの間にやら都市生活者となってしまい、遊牧民イヴリーとしての生活を止めてしまっていたようです。しかし、アブラムはイヴリーであり続け、聖書は周囲のカナン人と異なる者として「ヘブライ人アブラム」と呼んでいます。

「ヘブライ」の語源となった「イヴリー」の意には諸説あるのですが、エジプト人の見方から「世の端の者」(アヴァール)とする見解もあります。エジプト人はベトウィンを見下したところがあり、荒野の埃に塗れた遊牧民を共に食事の席に着くことは嫌悪されることとされていました。ですからサライの件でアブラムを鄭重にもてなしたファラオは異例の厚遇をしていたことになります。

ともあれ、カラン(ハラン)から神の約束を受け継がせようと連れて来た甥と別れることで、アブラムに彼自身の息子が神の約束を継ぐことが明らかになり始めます。神もアブハムの子孫を用いて成し遂げたい重要な目的があることを彼に示すようになっていました。
それは『アブラムは必ずや強大な国民となり、世界のすべての民は彼によって祝福に入る』とのことであり、これはアブラムに関する創世記の記述の中でも三回繰り返されている重要な神の目的であるのです。これはエデンで予告された『女の裔』を生み出す経路にアブラムが選ばれようとしていたことを物語っています。(創世記12:3・18:18・22:18)

さてそのころ、シディムの低地の五都市の王たちは、遠くメソポタミアの南東にあるエラム王国の支配から脱する姿勢を見せていたので、メソポタミアの四人の王が連合軍を組んで遥々とカナンの低地に攻め込んできたのでした。その勢いが激しかったため、シディム以外の民までメソポタミアの連合軍に奪略を受けてしまいます。
そしていよいよシディムの低地に攻め込むと、その地の五都市の王は敗北してしまい、ソドムとゴモラの王は逃げ出して近くに空いているアスファルトの穴に落ち込む有様でありました。
ソドムに住んでいたロトと家族も捕えられて、メソポタミアに戦利品と共に連行されることになってしまいます。

これを知ったアブラムはすぐにメソポタミア連合軍を追撃する決意を固めました。もとより遊牧民は街の城壁に守られていない分勇敢で、いざとなれば盗人ばかりかライオンや熊にも立ち向かって家畜を守る人々です。
直ちに近くに住むカナン人の同盟者、つまり互いに平和を守り攻撃しないと誓い合っていたアモリ系の人マムレ、またその親族らと同盟軍を決起し、自分は家の郎党318人を率いて北に向かって共に進軍します。

敵軍は勝利に油断しており、アブラムらは仲間を三隊に分けて夜中に急襲し、メソポタミアの軍を散らすことに成功するのでした。
カナン人の仲間などはシリアのツォバに至るまでも追い回すという大勝利を収め、アブラムは奪略品をほぼ取り返し、ロトと家の者らと家財も取り返すことに成功します。

アブラムはこの勝利の立役者と見做され、その後はますます周囲からの敬意を受けることになりますが、その勝利を神の代理として祝福する一人の王がありました。それがサレムの王でありアブラムの神エル・シャッダイの祭司でもあったメルキゼデクです。彼はパンとぶどう酒を持ってアブラムを祝し、アブラムは返礼として持てる十分の一をこの王なる祭司に捧げるのでした。

しかし、このようなことがあっても、アブラムの状況は何も変わることなく、ロトが自分の許を去ったところで、自分の契約を受け継ぐ者といえば、当時の慣行によって、ダマスコス出身の家令長エリエゼルとなるはずであったのです。
落胆するアブラムを神は夜の天幕の外に連れ出し、自らの創造物である満天の星々を見せつつ、『あなたの子孫もあのように数多くなる』と約束されるのでした。

その後、妻のサライが一計を案じ、古代の風習に従って子を得るために、自分の下女を夫に与えて、その生む子を継嗣にしようとエジプト出身の奴隷女ハガルをアブラムに与えます。
しかし妊娠した下女ハガルは、やがて自分の女主人を蔑むようになり、それはサライに耐え難い苦痛となるのでした。
そこでサライがその件をアブラムに訴えると、良きに計らえとの事であったので、強烈な制裁をハガルに加え始めます。これにはハガルもたまらず、アブラムの宿営から逃げ出すほどになるのですが、実家のエジプトに戻る途中の泉で、一人の天使が彼女を引き留め、妊娠している子は多くの国民の祖となるから、今は忍耐して主人の許に戻るようにと言われます。

こうして、アブラムには長男イシュマエルが誕生しますが、この人物が今日のアラブ人の祖とされています。サライの計画は確かにアブラムに男子をもたらしたのですが、しかし、アブラムへの契約を受け継ぐのはイシュマエルではないと神は言われるのでした。

それから十三年の後、アブラムは99歳、サライは89歳になって、彼らがユーフラテスを渡って二十四年の歳月が流れていました。
今日とは老化の速度が異なるとはいえ、さすがに二人は老境に入っており、子を授かる希望も失せたと思われる時を神は待っていたかのように事態の進展を起します。

その年の春のこと、神は彼らから男子が生まれるので、その名をイサクと名付けるようにと言われるのですが、それを聞いたアブラムは信じられずに苦笑します。
そのうえ、アブラムはアブラハムと、サライはサラと名を替えるようにとも命じられるのでした。そしてアブラムと家の男子には割礼が命じられ、アブラムは直ちに自分と家の者らに割礼を施すのでした。

それから数か月後の夏の日差しの中に、アブラム改めアブラハムは三人の旅人の姿を自分の天幕の前に見つけます。
旅行者をもてなす当時の風習に従い、アブラハムはその三人の前にひれ伏し、自分のところで休んでゆかれることを願い出ますが、彼は何らかの理由でこの三人が神の使いであることに気付いています。

特にその内の一人は神の代理であり、いよいよ次の年にはサラが男子を生むと言うのです。それを背後で聴いていたサラが、有り得ない事として一人笑いますが、神の代理になぜ笑うのかと咎められ、『わたくしは笑っておりません』とすぐに否定したのですが、『いや、あなたは確かに笑った』と指摘されてしまいます。

しかし、この日に知らされたことはそれだけではありませんでした。
天使たちは、ソドムとゴモラの罪が重くなり、犠牲となった人々の叫びが天に達したために、調査にゆくところでもあったのです。それを聞いたアブラハムは敬意を払いつつも必死に神に問いかけるのでした。自分の神エル・シャッダイの徳性の高さを知って居る彼は、義人を悪人と共に滅ぼす不公正はなさらないはずと迫り、十人の義人のために街を滅ぼさないとの約束までを取り付けロトの身を案じます。

夕刻に二人の天使がソドムに着くと、ロトが彼らを見つけて自分の家に強いて泊まらせます。彼はソドムの広場で夜を過ごすことが危険であることを配慮したのでしょう。その親切心により彼は天使をもてなす結果となっていました。

夜になると、ソドムの性倒錯者らがロトの家の戸口に迫るので、ロトは自分の娘たちを犠牲にしてまで客を守ろうとしますが、その客はロトを家に引き戻して、悪人どもを盲目にしてしまいます。そこで彼らが天使であることを知ったロトは、その夜の内にシディムの低地から逃れるようにと言われるのでした。

ロトの反応が遅いので、天使たちは彼らを引いて市門の外まできたところで、振り返ることなく一目散に逃れるよう言い含めます。彼らが避難を終えるまで、天使らは何もできないと言うのです。

ロトの家族四人は近くの街ゾアルに逃げますが、まだ天罰が注がれていないにも関わらず、ロトの妻はソドムを振り返ってしまい、そのまま塩に柱となってしまいました。ロトがイヴリーの生活を止めて都市生活者になったのは、この妻の影響があったのかも知れません。
それからソドムとゴモラに天からの火が降り注ぎ、その煙がかまどの煙のように立ち上るのをアブラハムはヘブロン近郊の岡の上から目撃することになるのでした。

その後のロトは、ゾアルに住み続けることも、カランの実家に帰ることもなく、ヨルダンの東の山地で隠遁生活のようにして二人に娘たちを暮らし、娘らは父を酔わせて自分たちと交わらせ、父によって子を得て、それぞれモアブ人とアンモン人の始まりとなるのでした。これらの民族はヨルダンの東の高地に住んで、イスラエル民族と関わりを持つことになります。

そしてアブラハムとサライには待望の嫡子が誕生し、予め定められた通りにその名をイサクとします。その意味は「笑い」であり、その誕生がどれほど奇跡のようであったか、その喜びを表してもいたことでしょう。以前の老夫婦の苦笑は、曇りなく晴朗な笑い「イサク」となって報われたのです。

国境の大河ユーフラテスを渡って25年、この夫婦はその間に神の力を学びつつ過ごしていたのであり、その時までに神との絆はまことに深いものとなっていたことでしょう。アブラハムへの神の契約を受け継ぐのは、甥のロトでもハガルの生んだイシュマエルでもなく、正妻サラの生んだこのイサクとなるのであり、それはあたかも神の奇跡によって備えられた契約の経路であるかのようにも感じられたことでしょう。

さて、それから更に数十年が経過したところで、神はあらぬ事をアブラハムに命じます。
何と、老齢でやっと得た継嗣のイサクを動物の焼燔の捧げ物のようにして自分に捧げよと言われたのです。
そのときのアブラハムの内心について創世記は何も書いていません。
彼は翌日になると、誰に真相を語ることなく、それでいて躊躇いも見せずにすぐに行動に移します。
それが一時の熱狂でもないことは、捧げる土地であるモリヤまで三日掛かっていることから明らかでしょう。息子イサクと二人の従者を伴い、その場に移動すると、犠牲の動物がないことをいぶかる息子に『神がそれを備えてくださるだろう』と言うばかりで、遂に息子を縛って祭壇の薪の上に載せ、迷うことなく屠殺の剣を向けたところで、神が介入します。

『その子に何もしてはならない』『わたしは、あなたが神を畏れる者であることを確かに知った』

約束の地に入ってよそ者の寄留者生活を続けて四十年にもなっていたと思われるこの時点でのアブラハムの信仰は、奇跡のように与えられたイサクが、まさに希少であるゆえに『神はこれを死人の中からでも生き返らせることができると考えた』と使徒パウロは述べます。(ヘブライ11:19)
自分の子孫の繁栄と定住は、神の人類救出の目的と深く関わっていることをアブラハムは深く理解するに至っていたことでしょう。
ですから、もはやロトを気遣ったように『義人を悪人と共に裁くのですか』と敢えて語る必要は彼の中でなくなっています。
いまや、イサクが生きることは神の計画も関わっており、そこで神が何をなさろうと、それがイサクとその子孫を害することにならないとの確信を彼は明白に示して見せました。

「アブラハムの子孫によって地のすべての民族が神の祝福に入る」という神の偉大な目的を、アブラハムは自分の子孫の繁栄と分かち難いものとして理解していることを示し、神と想いを共にしていたとも言えるでしょう。
イサクを父に戻した神は、身代わりとなる雄羊を、その角を灌木に絡めて動けなくならせます。そうしてアブラハムの言葉『神がそれを備えてくださるだろう』をその通りに実現し、アブラハムはその備えられた雄羊を息子に代って捧げるのでした。

それから二千年が経過すると、このイサクを捧げようとした同じモリヤの地で、次には神の方から自らの独り子を捧げることになります。
こうして、神と人という遥かに異なる二人ではあっても、共に最も貴重なものを差し出しあった父同士となり、神はアブラハムを『我が友』と呼ぶようになるのでした。

エデンで語られた『女の裔』はこうして『アブラハムの裔』でもあることが確定し、それは『契約』を越えて、神が必ず果たすべき『約束』に変わり、キリストの到来はアブラハムの信仰のゆえに確固たるものとなり、アブラハムは神が貴重な独り子を差し出すだけの信仰ある者が地上に居るということを示してみせたのです。

それですから、人は誰であれキリストの到来について「信仰の人アブラハム」に負うところがあり、それは軽いものではありません。
アブラハムの裔がイサクを通して来るように、『女の裔』はイエス・キリストを通して信仰の内に集められることになります。
その民『神のイスラエル』こそが『女の裔』となり、世界人類の救いの選民となる日がやがて到来することになるのです。(ガラテア6:16)

その裔は『顔に汗してパンを食べ、最後は土に帰る』という人間の一生の空しさからあらゆる人々を救い出し、『神の象り』としての栄光ある姿を回復させることになるでしょう。(ローマ8:19-21)



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