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迫害される聖徒と二千三百の夕と朝

先の記事の『到来の避けられない躓かせる者』が、どのように旧約のダニエルの幻の中に予見されていたかについてこの記事で考察を語る。鍵となる言葉は『違背』(ペチャ) であり、契約への背きを意味する。
それは聖徒で成る民が受けた苦難と試み、またエルサレムの滅びやダニエル自身が経験していたバビロン捕囚に比すべき、終末に於いても聖霊による崇拝の中断をもたらすきっかけを作る、終末の「ユダ・イスカリオテ」と『北の王』なるシリア王との関連がそこに見える。

まず注目すべきは、このダニエル書にも『聖なる者ら』また『いと高き方に属する聖徒ら』との言葉が頻出することであり、特に第七章以降に終末に関わる預言の中で、この聖なる民が時の権力者らからの大きな迫害を受けることがダニエル書中に予告されていることにある。この観点に立ってダニエル書を俯瞰すると、実に多くの見識の収穫がある。

それはこれまでの英米キリスト教界に見られたダニエル書から年代を特定するという目的意識を超え、神の民であっても実際に襲い掛かる強烈な試練に彼らの心を整えさせる目的がそれらの記述に満ちていることが分かる。
従って、この真相は今後も広く流布され世に普遍的に知られることは無いであろう。むしろダニエル書の最終章で『ダニエルよ、終りの時までこの言葉を秘し、この書を封じておけ。多くの者らが右往左往し、雑多な知識が横溢する』との言葉は動かし難く、実際ダニエル書の解釈は「教え手の数だけ解き明かしがある」といえるほどになっている。

それでも、やはりダニエル書が存在する以上は、何者かに向けた情報の開示の意図があるに違いなく、終末に聖霊注がれて語ることになる『聖なる民』とその支持者以外の者らには依然秘められるのであろう。
そこで、聖なる民が栄光の支配を受けるまでの試練に備えさせる情報との観点からこの書を以下のように考慮してゆくことにする。

さて第七章では、ダニエルの当時の覇権国家の新バビロニア帝国を獅子に例え、その後台頭するペルシアを熊に、それを継ぐマケドニアを豹に、最後の覇権国家を例えようもない程に強い野獣に準えている。(ダニエル7:2-8)
ダニエルがこれらの国々の名を記したわけではないのだが、新バビロニアの王ネブカドネッツァルが一時人間理性を失ってその後回復し王権をより強くしたという同書第二章の記述を反映して、第七章の四種の獣の内の新バビロニア帝国に相当する獅子について『人の心を得た』としている点からも、第一の覇権国家がどこであるかを明解にしている。


夜の幻で四種の獣を見るダニエル

第二の獣である『熊』については、『一方の側が持ち上げられた』熊としており、これはバビロニアに次いで興るペルシア帝国が、元はメディア帝国の同族国家であり、メディアの従属国家であったペルシアがやがてメディアを手中に収めて合体することを予告している。このメディア・ペルシア二重帝国が新バビロニアを屈服させたのは、預言者ダニエルの晩年であり、まさにその夜のことをダニエル書の五章が細かに知らせている。

第三の獣は『豹』であり、背には翼を持っているところは素早い移動を示唆していると捉えるなら、ペルシアを倒して登場するマケドニアのアレクサンドロス大王の驚異的な領土獲得の速度を特徴付けていることが後代の者には明らかとなる。
そしてこの豹は四つの頭を持つものと描かれるが、それも大王の後に広大な領土を巡って、四人の将軍や実力者らに分割された歴史上にも確認できる事実を予告している。

更にダニエルは第四の獣について述べるのだが、それはどのような獣にも例えられない程に強力な生き物であるとしている。
それは歴史上の覇権国家の順ではローマに相当するのだが、地中海世界から大河ユーフラテスの方面に、また欧州にも版図を広げて、ドナウ川とライン川の方面、またブリテン島にまで至ったことで、ローマの軍団がどれほど実戦的で精強であったかを今日に伝えている。

こうしてダニエルは自らに示された幻によって、啓示された当時のバビロニア帝国から始めて、ペルシア、マケドニア、ローマと覇権国家の推移を伝えたのだが、これらの国家はいずれもユダヤ民族を統治するものとなった。四つの覇権国家はそれぞれの仕方でユダヤを扱ったのである。

まず、バビロニアはユダ王国というダヴィド王朝を終わらせて神殿をも破壊した。加えて、その民をバビロン捕囚とし、律法祭儀の什器を奪い、それらを自国の宝物庫に収奪している。ユダ王国の終わりが来ることは、その民の律法不履行の報いであることを神は再三預言者を遣わして警告していたのだが、彼らはその歩みを正すことなく、神は律法契約の中断をバビロン捕囚を通して実際に示した。(エレミヤ25:8-11)
この神の処罰を実行したのがネブカドネッツァルの新バビロニア帝国であった。この処罰が獅子で表された世界覇権国家によるイスラエル民族に対する役割であった。以後、イスラエルはダヴィドの王座に就く王を失って、この獅子を含む四頭の獣で表される支配権の下でそれぞれの影響を受けつつメシアの到来を迎えることになる。

だが、この処罰は契約の中断であったことも預言者らはそれぞれに語っており、特にエレミヤは律法祭祀の中断する期間が七十年となることを知らせており、それは今日の考古学とも一致している。即ち、前586年から前515年に至る神殿不在の七十年であった。(エズラ6:18)

預言者イザヤは、イスラエルの帰還を『回復の預言』として語っており、イスラエル民族の『約束の地』パレスチナからの追放と帰還とが起こることを予告していたのであった。依然イスラエルは『約束のメシア』を迎えるべき務めを残していたうえ、エレミヤは律法契約に代わる『新しい契約』が取り結ばれることを知らせていたので、その民はバビロニアの支配から解放される必要が有ったのである。
そしてダニエルの存命中にバビロンは、新興ペルシアのキュロス大王の征服を受け、そこで歴史の舞台から去って行った。ダニエルはその後もメディア王とペルシア王に仕え、キュロスの第三年に最後の啓示を天使から授かっている。そうして彼は獅子から熊へと覇権が移り変わるのをその目にしたのであった。

それから二世紀が経過し、強勢を誇ったペルシアもギリシア戦役で躓くところとなり、最終的にギリシアを併呑したマケドニアの英傑アレクサンドロス大王の侵攻の前に崩れ去っていった。ダニエルは事前にその電光石火の領土拡張を、羽を持つ豹として示していたが、大王の急逝により一代で築かれた大帝国も配下の将軍らによって四つに分割されることを『四つの頭を持つ』と記していた通りとなった。即ち、プトレマイオス朝エジプト、セレウコス朝シリア、リュシマコス朝アナトリア、カッサンドロス朝マケドニアが現れている。

そして、このマケドニア・ギリシアの王国に次いで興る覇権国家はローマであるのだが、ダニエルは、このローマを象徴するこの最後で最強の野獣について特に注目し、その頭に生えている『十本の角』、また、その中でも十本の角の『後から生える別の角』が『至高者に逆らって語り、至高者に属する聖なる者らを絶えず苦しめる』とされている。しかも、その『聖なる者ら』は『ひと時とふた時と半時の間、その手に渡される』ともいうのである。(ダニエル7:20・24-25)

この注目すべき『後から生える角』は他の角と異なっており、急速に成長して他の三本の角を抜くともされている。
この元は『小さな角』には『目と口とが有って、大仰な事を語り、ほかの角より大きくなった』という。

この後発の『角』は、例えようもなく強い野獣であるローマから興り立っているのだが、ダニエル書の別の幻、第二章に書かれたネブカドネッツァルの見た夢の解き明かしの中にも、このローマの実態について情報が加えられている。

その夢でネブカドネッツァルは、途方もなく巨大な立像を見ていた。
像の頭の部分は金で出来ており、胸と腕とは銀、腹は銅であり、両脚は鉄であった。しかし、その足の先は鉄の部分と粘土の部分が斑模様のように入り組んでいて、一部は強いが一部は弱かった。
その足先目がけて、『人手に拠らずに切り出された岩が』ぶつけられ、その高い像の全体が倒壊して飛散し、跡形も無く消え去って、一方の山から切り出された岩が大きな山となって地に満ちたとダニエルは解き明かす。(ダニエル)


ネブカドネッツァルが夢で見た巨像

即ち、一連の覇権の移り変わりはローマの時に世の覇権国家が終わりを迎えることが教えられているのであるが、今ではローマは過去の覇権国家となっている。
では、この預言を含んだ夢はローマ時代に書き終えられた預言を装った歴史の記述に過ぎないのか。
それがまだ考慮すべき事が残されている。

それは人体の脚が身長の半分近くを占めるように、ローマの存在はその文明の影響力の点で長いという事である。
確かに、ローマ帝国の西側は第四世紀にゲルマン諸族の侵入を受けて瓦解していったのだが、ローマの文明は先に存在した覇権国家がそれぞれ新たな文明に置き換えられたように過ぎ去ってはいなかった。
西ローマ帝国にしても、それを崩壊させたのは蛮族であって、文明としてはローマのものを受容し、延命させたと言える。
今日まで西欧はその継承者であり続け、ローマ字を用いたように、引き続きラテン語を権威ある共通原語とし、支配体制をローマ教皇の許に封建制度によって築いていった。

この点を考慮に入れると、東方教会を礎とする東ローマもラテン語ではなくギリシア語を中心とはしていても、似た経緯を辿っている。そして忘れてならないのが、東西のローマの延命にキリスト教が大きく関わっていたことである。つまり、欧州は東西共にローマ国教としての精神文化においても後継者なのである。ニケーア会議以降に『神の王国』ではなく、その俗世の帝国のためにカスタマイズされた「キリスト教」は世界最大の宗教となって今日に及んでいるのである。

そのため、中世までには覇権大国としてのローマの栄光は失われたものの、恰も二本の脚のようにローマ文明は延長され、ネブカドネッツァルが見た夢の像の脚のように、ローマ文明は今日の国際規範の基礎を形作っており、欧州に米国を加えたローマ文明の延長線の上に今日に生きる我々は属しているのである。

この巨像の足先だけは、強靭な鉄の中に柔らかな粘土の部分も混在するようになるのをネブカドネッツァル王は見たのだが、ダニエルはこれを解き明かしてその粘土は人の子らを表しており、『その王国は一部は強く、一部は弱いものになります』と説いた。
これは、ローマ帝国から欧州の諸王国が生まれ、強固な支配が行われてきたものの、三百年ほど前から選挙による代議士制度が西欧各国や米国で育まれ、民主政治に移行して来た欧州の歴史を暗示するように見える。

しかし、今日の世界にも独裁的で硬質で恰も王制のような国家も少なくはない。そこで民主制と独裁制とは相いれず、ダニエルが『鉄と粘土が混じり合うことがないように、それとこれとは和合することはないでありましょう』と解き明かしている。実際、今日ではこれらの体制の違いを巡って大国同士が対立し、その緊張は今後も当分解消しそうには見えない。(ダニエル2:41-43)

したがって、切り出された岩がその足先を打ち砕いて一連の覇権国家の流れを終わらせるという事態は未到来と言える理由があることになる。(ダニエル2:44)
これが『人手によらず切り出された石』即ち、神の新たな支配を司るキリストと聖徒らの『神の王国』が諸国を終わらせ、『その石が大きな山となって地に満ちた』とは、営々と続いた人間の空虚な支配が終わり、新らたに幸福な世界が到来することを意味する。キリストと聖徒らの王国の支配の始まりである。(ダニエル2:33-35)
これがキリストの伝道の主題であった『天の王国』を意味するのであり、敬虔なクリスチャンが死後に行く安楽な「天国」とは様相を異にする、極めて劇的な地上支配の交代を予期しなければならない。


またこの巨像の解き明かしは、例えようも無く強勢な獣の頭から生える『十本の角』という第七章の記述に示唆を与えてもいる。
それは、欧州文化を通して現代に至るまで国家規範をもたらして来たローマの文明が未だに継続しているということであり、また、今日の世界の諸国家が、多様な文化を持ちながらも欧州的規範に従って存立しているという点に、『十本の角』が何を指すかを暗示しているとも言える。

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