キリストとなる前の存在 「ホクマー」
さて、過越しの子羊の対型がキリストであることは別にしても「お前はいったいどこから来ているのか?」と訊ねたローマ総督ピラトゥスの質問への答えが残っている。イエスとはそもそも何者か?(ヨハネ19:9)
ユダヤ教徒はかつてナザレ出身のイエスなる人物が実在し、当時の世間を騒がせたことは認めてはしても、重罪人であると決め付けて裁いたうえで極刑に処させた以上は、今更あの人物をメシア、即ちキリストであったと言うわけにはゆかない。
他方でイスラム教徒にとってのイーサー[イエス] は偉大な預言者とされており、また終末には再臨するマシーフ [メシア] として一定の敬意が払われている。
そしてキリスト教徒の大半は、メシアを超えてイエスは神とまで高めている。では、キリストの実体や如何に?
ガリラヤ地方のナザレ村で大工を営んでいたヨセフがダヴィデ王統の血を引く者であったことは既に述べた。ローマ皇帝は第二代ティベリウスの時代、パレスチナ南方のユダヤはローマ直轄領で、北側のイツリア、テラコニティス、ガリラヤはヘロデ大王の王子らが支配していた。
大工のヨセフがどのようにして長男を得たかについてはあまりにも知られたことではあるので、ここでは、むしろイエスが普通の人ではないことが異国人にさえも知られる様子を聖書中の記述から明らかにしておこう。
ヨセフは元々ユダ族のエッサイの血統、つまりダヴィデ王の家系に属する地域のベツレヘム・エフラタの出身であったが、エホシュア(エシュア=イエスース)と名付けた長男をヘロデ大王の謀殺から保護するため一家でエジプトに逃避し、やがて大王の死後になっても相続地の故郷に戻ることなく、大王の後継となったアルケラオスの野心と暴虐を恐れてガリラヤ州、山地の田舎街ナザレに移り住んで大工の仕事に精を出しつつ多くの子らにも恵まれた。その間にアルケラオスは失脚し、ガリラヤはヘロデ大王の息子の一人、アンティパスの領地となっていた。
その土地はユダヤ性が薄く、古来「諸国民のガリラヤ」とさえ呼ばれ、ヨセフの当時の住民からはギリシア語さえ聞かれるような地方であった。ガリラヤとは、まさしく「異教徒の土地」を意味するのであるから、ユダヤ人は当地の出身者を見下す傾向を助長していたことであろう。
そこで育ったヨセフの長男はやがて「ナザレのイエス」と呼ばれる。
しかし、信じるものにとってイエスはイスラエルに約束されたダヴィデ王統を継ぎ、その王座に座すべき王なるメシアであった。
預言者イザヤはそのメシアを次のように描いている。
『ひとりの嬰児がわれらのために生まれ、ひとりの男子が我らに与えられた。支配者としての統治がその肩に置かれる。そしてその名は、驚くべき導き手、大能の神*1 、永遠の父、平和の王、と唱えられる。
ダヴィデの王座に着いてその王国に君臨し、支配者としての豊かな統治は増し加わり、その平和に終わりはない。それは、今より定めのない時に至るまで、公正と正義とによってこれを強固にうち立て、支えるためである。実に万軍のYHWH*2の熱意がこれを行なう』。(イザヤ9:6~7)
(*1:全能の神と区別される *2現在発音不明の創造神の至聖なる固有名)
無論、キリスト教徒にとってイエスがメシア=キリストであることはまったく明白である。だが、新約聖書の存在しない当時、もし実際に三十歳ばかりのナザレ出身の大工の息子イエスを目の当たりにしたユダヤ人のひとりであったなら、我々はどう反応したものだろうか?
◆「ホクマー」の謎
さて、神の創造の手助けをしたという何者かが存在したことについてはユダヤ人も旧約聖書から知ってはいた。
それが箴言の八章一節で自らを『知恵』(ハ ホクマー【ההכמה】)と名乗る何者かであった。しかし、それが何をまた誰を意味するのかは箴言に十分には語られていないので、それはユダヤ教徒にとっては謎となった。
その箴言に於いて『知恵』(ホクマー)は自分について次のように言う。
『YHWHが昔その道の初めのときにわたしを生み出した。その偉業の初めとしてわたしを造られたのである』。(箴言8:22~)
この箴言の句の続きによれば、ホクマーは神と共に様々な創造に関り、神の傍らにあって『名匠』([口語訳])となり、創造の日々を愉しんだという。したがって、『知恵』ホクマーは神による他の創造物に先立って存在していたことになる。しかも、「これを見出す者は命を見出し、これを憎む者は死を愛する」とまで云うのであるが、このホクマーが何者であるのかは箴言の書が編纂されて以降、ユダヤ宗教家にも謎であり続けてきたのであった。
では、このホクマーがイエスとなったのだろうか?
使徒ヨハネはこの大権を持つことになるメシアを「ことば」と関連付ける。
『初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神*3であった。それは初めに神と共にあった。すべてのものは、それ(「言葉」ギリシア語“ロゴス”)によって生じた。それを離れて生じたものは一つとしてなかった』。(ヨハネ1:1~3)
(*3聖書中では創造の神また異教の神々以外の存在を「神」と呼ぶことがある/ヨハネ10:34/詩篇82:1~7)
使徒に召されたパウロは、この件について更に疑いようのない証言を次のように加えている。
『彼(イエス)は、見えない神の像であって全創造物の初子*である。すべての物は天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、王座も主権も、支配も権威も、みな彼によって造られた。すべての物は彼を通じて、また彼のために創造されたのである』。(コロサイ1:15・16)
(*岩波委員会訳では「最初の誕生者」)
このように記したとき、元は優れたパリサイ人であったパウロの脳裏には、ソロモンの箴言に記されるあの創造を助けた『知恵』、ホクマーがあったに違いあるまい。
黙示録の啓示の中にも復活したキリストが、自らをして『創造の初めである者*』と唱える場面を記しており、新約聖書ではキリストが地上に来る前の存在について混乱している様子はないし、福音書のイエスは常に自ら『神の子』と唱え続けている。(黙示録3:14)
(*岩波委員会訳では「神の被造物の初めである者」)
だが、このように神の創造を助ける存在があったからといって、神の至高性が損なわれるわけではない。却ってその第二位の存在者が根源者たる第一者を尊崇するならば、彼より下に在るところの第三位以下の被造物一切が至高者に栄光を帰すべき道理が生じ、ホクマーは唯一の至高者たる神が崇められるべき要となる。
ホクマーは被造物筆頭であり、その神を親密に敬う関係は被造物すべての在るべき姿勢を現しているのであり、その対極を成すのが優れた天使でありながら利己心を起こして悪を創造界にもたらし、後に「シャイターン」と呼ばれるようになった悪魔であった。
そこで、ホクマーは最終的に悪魔(反抗者) に勝利し、エデンの蛇として表されるその頭を砕いて終わらせ、そうして神の意志が天地にあまねく行われる道を拓くのであり、それはエデンの園で神が宣言した通りの成り行きであった。(創世記3:15)
即ち、ホクマーが人となってユダヤにキリストの初臨を行い、『かかとを砕かれる』のも、その過程に必要不可欠な受難、人類の罪の赦しに必須の犠牲の提出である。
ホクマーが処女マリアの懐妊を通し、人間イエスとなって地上に到来したのは、創造の神と被造物の関係性を正すところに目的あり、アダム以来人間に入り込んだ『罪』を除いて、当初の神の意図が成し遂げられ、そうして神の創造を完遂させることにある。
やはり聖書は『神は天にあるもの地にあるものを、尽くキリストにあって一つに帰せしめようとされた』と述べ、また『終末となった時に、キリストはすべての為政者たち、すべての権威と権力とを打ち滅ぼして、国を父なる神に渡される』とあるように、キリストの働きは神の意志の成就に欠く事のできないものである。(エフェソス1:10/コリント第一15:24)
ホクマーが地上に遣わされたのは『ご自分の死によって死の力を持つ悪魔を滅ぼし、死の恐怖のために一生涯奴隷となっていた者たちを解き放つため』であり、また神は『御子を、罪ある肉のような様で罪のために遣わし、肉において罪を罰せられた』のであった。(ヘブライ2:14/ローマ8:3)
イエスの地上の生涯の結果として、完全な犠牲が捧げられるに及び、律法がまったく満たされ成就されたことで、人に巣喰う「アダムの罪」が暴かれ、もはや祭儀での動物の犠牲の必要は終わったのであった。
そうしてホクマーによる神を讃えた従順の死を通し、神の神たることが疑いなく打ち立てられ、悪魔はまったく敗北するのである。
更にキリストは、その人としての犠牲を捧げ、人類の罪の赦しの代価を携えて帰天して後は『完全にされ』、「究極の義」に到達したことを聖書は明かしている。(ヘブライ2:10/)
その大いなる目的をもって「ホクマー」(知恵)は地上に来られたのであるが、その存在を「言葉」(ロゴス)に明かした使徒ヨハネは、「ホクマー」の先在性を示し、先の句に続けてこう述べる。
『こうして言葉(ロゴス)は肉体となって我らの間に宿った。我らはその栄光を目にした。それは父のひとり子の栄光であり、まさに慈愛と真実とに満ちていた』。(ヨハネ1:14)
こうしてユダヤ人の「ホクマーの謎」はキリストの使徒たちによって解き明かされたのであった。
一方でキリスト教が広く教えるように、イエスが人々の罪を浄めるなら、彼自身は人の罪をもたない者でなくてはならぬゆえに、アダムの血を受け継いではいないという前提が必要になる。そうでなければ、イエスも我々と変わらない『アダムの罪』ある人でしかない。そこに処女懐妊の意味が有る。
そのことが奇蹟か否かという前に、処女からの誕生、天界からの魂の移動は、人々から『アダムの罪』を取り去るために必要不可欠なのであり、神はホクマーを『第二のアダム』とすべく人間イエスと成して遣わしたのであった。この神の目的についてパウロはこう述べている。
『一人の罪過によってすべての人が罪に定められたように、一人の義なる行為によって、命を得させる義がすべての人に及ぶ』。(ローマ5:18)
それであるから、古代説話に特別な妊娠がいろいろあったとしても、イエスの場合、この贖罪の必要から導き出される処女懐胎は意義で際立っており、単に誕生してくる者の特殊性、また偉大さや侵し難さを外面的に印象付けるものでなく、人間の罪からの救済に関わる重要な論理に裏付けられる必須のものである。
そしてメシアの優越性と特殊性は、イエスが地上にあったときに謙虚な人々には明らかであったと同時に、認めようとしない者たちには逃げ道を設けるような素朴な姿もなくてはいけなかった。そうでなければメシアへの「信仰」が試されないからである。
◆ユダヤ体制はホクマーを認めず
もちろんナザレ人イエスを極刑に処させてしまったユダヤ教徒がメシアを認めるわけもなく、その後ユダヤ人が編纂した「タルムード」はナザレのイエスについて述べ「ガリラヤの私生児で魔術を行い民を惑わした」と侮蔑を込めて記している。
近年は「ナザレのイエスはやはりメシアだった」と認めるメシアニック・ジューなるユダヤ人もパレスチナ本国の外でこそ現れ始めてきてはいる。
しかし、彼らも律法順守を続けることでは、やはりユダヤ教徒のままであり、むしろ、キリスト教徒に対する優越感をそのアイデンティティとしているところは、キリスト教という次元の異なる使徒パウロの聖霊の教えに反対し続け、割礼などのユダヤの宗教文化から昇華することのなかったユダヤ教ナザレ派の範疇から出てはいない。それであるから、今日のメシアニックジューであっても、ユダヤ教を遥かに超えるキリストの教えを説くパウロが眼前に現れるとすれば、やはり激しい論争で当時のような衝突を繰り返すであろう。エシュア (イエス)を マシアッハ (キリスト) と認めたからといっても、依然モーセの律法に従っている彼らはキリスト教徒とまでは言えないからである
今日のこの状況に同じく、かつての第一世紀でのユダヤ人でイエスに帰依した人々の多くも、やはり律法の習慣から離れることが難しく、そうして『先のものは後になった』。
彼らがキリスト教に於いても先輩だと言いたい気持ちも分かるが、ユダヤ教とキリスト教とは根本精神が正反対になっているところを認めないことにはキリスト教の次元上昇は起こらない。この二つの宗教は幼虫が蝶に羽化するほどに違うのである。
極刑に処せられるほどにキリストはユダヤから排斥されたのだが、それも「ホクマー」が謎のままで在ったればこその処置であったに違いない。
イエスが神殿の宝物庫の近辺でユダヤ人らと緊迫した論議を展開した場面がヨハネ八章に記されているが、その終わりの方で、いきり立ったユダヤ人らがイエスに「お前は五十にもなっていないのにアブラハムを見たというのか?」と詰め寄ると、イエスは「アブラハムの前からわたしは存在していた」と答えたのだが、三十歳ほどのナザレのイエスを前に激昂しているユダヤの宗教家らにホクマーを推論することなど到底できぬことであったろう。彼らはその場でイエスを処刑すべく投げつける石を探し始めた。
また、「もし、お前がメシアならはっきりそう言え!」(ヨハネ10:24)と迫ったときのユダヤ人に対しては、パリサイの仰々しい服装に教札箱のテフィリンを皮紐で結わえつけ、房の長いタリットを身に付けた恰幅の良い姿でベツレヘムから来たうえで、ダヴィデの家系図と幾らかの奇跡見せ(と言ってもこれは形ばかりでよかろう)、宗教家に迎合して安息日に奇跡は休業する。律法学者らの定めた細かい規則に従い、食事の前には肘まで手を洗い、著名人と共に額に教札を括り付けて尊ばれ、下層民には近づかない。これらを見せて喜ばせてから「我こそはホクマーなり」と厳かに言い放ったのなら、それらのユダヤ人もイエス様様と崇め奉ったであろう。
果たして、人間の正義とはこのようなものに過ぎないのであろうか。
しかし、それではユダヤ人の信仰の有無も、内奥にある心の傾向もさらけ出すことにはならなかったであろう。彼らはアブラハム嫡流の子孫と認められているのであって、聖書を伝承して熟知するばかりか、実際に律法を守るよう細心の注意を払って努めているのであるから、神の是認の下にあり、救いも祝福は自分たちのものだと思い込んでいる。そこで律法や彼らの定めた規則に詳しくない平民を『呪われた者ら』と蔑むことを躊躇せず、自分たちの恵まれた立場を喜びつつ、人々をその高慢さの踏み台としていたのである。
逆に質素な身なりをしたイエスは平民や罪人にさえ寄り添い、廉潔に「わたしは自分のために栄光を求めず」と言い、「父を尊んでいる」とも言われる。これに違わず聖書中に示されるイエスの「父」に対する尊崇の熱意は極めて厚い。(ヨハネ8:49-50)
祭りでエルサレムの神殿に上ったときなど、父の崇拝の場である神殿境内で暴利を貪る者たちの商売を覆して追い出し、聖域を近道の通路にして畜獣を通行させる認識の薄い者らを縄の鞭をもって駆逐する勢いには弟子らも息を飲むほどであったようだ。
イエスにとって神殿は「父の家」であり、清くあるべき「諸国民の祈りの家」を汚すことなどけっして許さず、父に対する敬愛の情熱に燃え上がったのである。
弟子らは「父の家に対する熱心がわたしを食らい尽くす」の詩篇の句を、そこで目の当たりにしたのであった。(ヨハネ2:17/詩篇69)
イエスが、これほどまでに激しい「実力行使」に及んだのも、神殿での義憤に満ちたこの浄めの業だけであろう。
しかし、自分自身については「わたしを信じずとも、父がわたしに行わせる業は信じよ」、また「人の子を罵倒する者も許される」という。(ヨハネ10:38/ルカ12:10)
すなわち、自らを捨て置いても「父」の名誉を高め、その意志を遂行する熱意を感じないわけにはゆかない。
◆父は御子よりも偉大
そこには創造者と創造物という究極の父子の絆が見える。
子は父を愛して、その父性と神性を熱烈に擁護してやまないのである。
イエスは自らの「父」について事ある毎に言及したうえで「子は自分からは何事も行うことはできず、父のなさることを見て行う以外にない。父のなさることすべてを、子もその通りに行うのである。」という。(ヨハネ5:19)
これは父から委ねられたという裁きについても同様である。
「わたしは、自分から(独自に)は何事もすることができない。ただ聞いた通りに裁くのである。そして、わたしの裁きは正しい(公正である)。わたし自身の考え(意向)で裁くのではなく、わたしを遣わした方のみ旨を求め(探し出し)ているからである」。(ヨハネ5:30)
このように父を高めるイエスの意志は非常に強固である。
他方、今日では大半の人間が神を擁護せず「父」ともしない理由は至って簡単であって「子」ではないからである。アダムの時以来、自ら人間は神の「子」ではなくなり、神もまた認知していない。(ヨハネ1:12)
しかし、イエスはまさしく「子」であり人間となったゆえに自ら「人の子」を称した。ホクマーは創造の助手であると同時に、自らも『初子』にして『独り子』、即ち創造物の筆頭であり、その神への忠節はすべての被造物を代表するものであるから、その賛美は、創られた者らの神への総意となるべきものである。
そもそも被造物を強権支配する意図も平身低頭させ崇拝を強要しない神は、人々を「自らの象り」とし、自由な心からの賛美による栄誉を望まれる。禁断の木の実を監視しなかった神は、やはり人々の従順を強制することはない。求められるものは自発的な信仰であって、人間の支配欲とは別次元に在られる。
この点で創造物の長子たるイエスは、「父」の神性を立証してすべての上に高め、神から離れた人間たちを再び神の「子」に復帰させようとする強い意志を持っている。そうでなければ、罪の贖いの犠牲の死を自ら遂げたりするだろうか。(フィリピ2:10-11)
すなわち、ホクマーは神と人の両者に対しての仲介者であり、双方への深く熱烈な無私の愛情に満ちている。(テモテ第二2:5)
我々はこのような人物を他に知ることがあるだろうか?
そしてイエスは明言する「父はわたしより偉大である」。(ヨハネ14:28)
◆なぜキリスト信仰に至らなかったか
しかし、こうしたイエスの廉直な熱意は、近視眼的で事の全体を見通せない「敬虔な」ユダヤ人にとっては大きなつまずきの石となってゆく。
その理由は、律法に対する自分たちの神経質な規則偏重の「正しさ」をイエスが認めず、むしろ内面の良からぬ動機までをも暴いてしまうからであった。彼らの「正しさ」は「自分を義とする利己心」からのものであり、その公正さを欠いた正義感は神の独り子を前にしてさえ尊大であることを示していた。
モーセは四十年以上にわたってイスラエルというこの民族を導いた結果、この民は律法を守れないであろうとの予想を語っていた。
それはモーセを継いだヨシュアも同様に、晩年に至ってはその結論に達し、諦めを語っている場面があり、それを神は彼らの父祖アブラハムへの忠節のためによくも彼らを忍耐されてきたものである。
しかし、その神も『イスラエルは頭の固い民である』。『わたしが彼らをエジプトから導き出して以来、わたしに逆らわなかったことがあったか?』とも言われたのであった。彼らは聖書の言葉どおりに律法を守ろうと腐心して、信仰もなく謙遜さもない彼らは、却って自己義認の罠に落ちていった。
そして、約束のメシアが現れると、やはり彼らはその性向のままに退けたのであった。彼らは自分たちが神に是認されていると思い込み、歪んだ正義感と選民意識に凝り固まったのである。
また、彼らの「敬虔さ」の観点からすれば、イエスの父との親密さが不敬であると見えるので、父への熱意に燃える憚りのないイエスの言動とは正反対に「神を父と呼んで、自分と神を同等にした」と批難した。だがそれはこの人物の望む筈もないことではないか。(ヨハネ5:18)
この偏見はイエスの審判での罪状ともなった。
時の大祭司カヤファはイエスを詰問して言った。
「お前は神の子キリストか?」
そして、イエスはここで敵意を抱くユダヤ人に対して初めて明言する。
「然り!」と。
それは本来恐るべき一言であるにも関わらず、カヤファはこれ見よがしに上衣を裂いて「これは冒涜だ!」と叫んだ。「諸君は今、その冒涜の言葉を聞いたのだ!このうえ証人の必要もない!」とたたみ掛ける語勢には何かをかき消そうとするかの響きがないだろうか。
「諸君の意見はどうか?」と尋ねるカイヤファに、もともとイエスに死をもたらそうとしていた議員らであるから「死刑!」と口々に叫ぶ茶番を演じる。(マタイ26:63-65)
こうしてイエスは「神の子」であると認めたために断罪されたのだが、イエスがホクマーという別名を有する神の初子であることはまさしく覆しようのない真実である。その事はイエスの行う業そのものが充分に証していたのだが、ユダヤの宗教領袖たちは奇跡に畏敬を見出さず、困窮する平民の苦しみからの解放をも喜べず、却って「悪魔の仕業」と言って蔑みさえした。
ここに神の裁きの要諦がある。彼らは宗教への熱心のために、却って人としての自然な価値観を失っていたのであった。
その一方で、民から尊敬されるこれら宗教家らであるにも関わらず、総督ピラトゥスに対して訴え易くするために冒涜ではなく税金の件を本来の罪状とすり変えることまでやってのけたが、これは手段を選ばぬ卑怯な不正の上塗りである。
使徒ヨハネは後にこう語る。
『神を信じない者は神を偽り者としている。神が御子について証しせられたその証拠を信じないからだ』。(ヨハネ第一5:10)
ユダヤ教の熱心な信者であるほどに、ナザレの人イエスの行う奇跡を認めるわけにはゆかない。メシアはベツレヘムから来ると聖書にあるという、書かれた文字に固執し、自然な価値観を働かせることなく「この男は悪霊どもの頭目ベエルゼブブによって悪霊を追い出しているのだ」と聖霊の奇跡までをも誹謗する。硬直した彼ら正義感は、聖書に詳しくない平民の反応に信仰に於いて敗北していたのであり、奇跡に癒された人々は、その価値の大きさを深い感謝の内に味わい知ったのであった。
だが、宗教家らがあらゆる努力を尽くして守ろうとしていたモーセの律法には、このようにも書かれていたのであった。
『わたしは彼らの同胞の中からあなた(モーセ)のような預言者を立て、その口にわたしの言葉を授ける。彼はわたしが命じるあらゆることを彼らに告げるであろう。彼がわたしの名によってわたしの言葉を語るのに、これに聞き従わない者がいるなら、わたしはその者に言い開きを求めることになる』。(申命記18:18-19)
やはり、旧約最後の預言者マラキも、メシアの到来がユダヤを裁くものとなることを警告し、『彼の来る日に誰が身を支えうるか。彼の現れる時に誰が耐えうるか。彼は銀を精錬する者、洗濯人の洗剤のようになる』と記していた。そして実際にユダヤの体制はイエスの前にその邪悪を裁かれていった。(マラキ4:2)
それであるから、ユダヤ教のラビの中には預言されたこの「メシアの災い」に遭わないためのまじないのようなものまで案出しているほどであったのだ。そしてメシアが現れると、ユダヤの人々は信仰を働かせるか否かで二つに裁かれている。片や『聖霊のバプテスマ』を受ける僅かな人々と、片や『火のバプテスマ』によってユダヤ体制共々にローマ軍の前に滅び去る運命を共にする大勢の分かれ目がそこにあり、今やイエスを裁くこの間にも、ユダヤ民族が神殿とエルサレムを失い、諸国に散らされて亡民となる酬いの時期は刻々と近づいていたのであった。
まさしく、イエスの行いに信仰は働かせなかったユダヤの宗教体制は、その懐いていた邪悪を表わしてナザレ人イエスの現れから身に裁きを受け、メシアを『つまずきの石』としてしまった。(ローマ9:32)
他方で、当時のローマ総督といえば、当然に「ホクマー」を理解しないユダヤ教のさらに外側に居てユダヤの神からは遠く離れた異邦人である。
だが、その第三者の視座からナザレのイエスを審査すると、総督ピラトゥスにはこの奇跡を行う人への嫉妬に狂ったユダヤの宗教領袖らの主張とは異なるものが観えていた。
それは、何度も釈放しようと繰り返し努めたピラトゥスの姿に現れている。
しかし、ユダヤの宗教家らに先導された群衆によって釈放しようとする総督の意図は尽く退けられてゆく。この群衆は確かにこう言った『この輩の血の罪は、我々と子らに降り掛かっても良いのだ!』。この言葉は37年の後、その通りの報いとなってユダヤ全体に恐るべき災厄が降り掛かることになる。
一方でピラトゥスは、祭りのときに決まって恩赦を与えることを思いつき、イエスを解放しようとしたが、これは却って凶悪な強盗バラバを解き放つことになってしまった。
次いで、イエスがガリラヤの出と知って、そこを治めるヘロデ・アンティパス王の許に護送させ対処を委ねたが、何の罪に裁かれるでもなく送り返されたのであった。
やがてピラトゥスも、ますますイエスの罪状がはっきりせず、自分が何やらとてつもない審判に首を突っ込んだことに気付いてゆくのだが、その潮流の大きな渦の中心へと次第に巻き込まれゆき、やがて抗うこともできなくなっていった。
そこに総督の妻がわざわざ彼に使いをよこしてまで、「夢見が悪くひどく苦しんだので、是非にもその義人には関わらないでください」と言ってきた。
古代人にあった神への迷信的畏怖も働いていたとはいえ、ローマ人ピラトゥスには神というものへの畏敬において、この時ユダヤの宗教領袖らに勝るものがあったというべきであろう。
「この男は死に処されるべきなのだ、自分を神の子だと言ったのだから」
というユダヤ人の発言を耳にしたときのピラトゥスの恐れ動揺する心境は、次のイエスへの問いに表れていよう。
「お前はいったいどこから来ているのだ!」
新十四日派 林 義平
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*1『大能の神』(エル・ギッボール):『全能の神』(エル・シャダイ)と区別されるが、イエスも従属的ながら「神」である
*2ヨハネもイエスについて、冠詞を付けない「神」と書いてイザヤ書と一致する扱いをしている
この事件をローマの元老院議員にして歴史家のタキトゥスはその「年代記」でこう記している。
『その名称の起こりとなったクリストゥスは、ティベリウスの治世中に我々の行政長官の一人、ポンティウス・ピラトゥスの手で、極刑に処せられた』
エイレナオスは詩篇第82などに見られる『神々』を、異教の諸神とは理解しておらず、より深い意味で了解していた。
以上は、「神YHWHの経綸」上巻からのダイジェスト
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