聞こえない歌を歌おう

【あの素晴しい出会いをもう一度】

◇ 1

「こんにちは……って、私が最初か」
 打ち合わせをしますので、と案内された先は広々としたレッスンルーム。丁寧に暖房がかかっていて、誰かを招き入れるという空気が満ちていました。それにも関わらず、プロデューサーさんは「それでは」と短く残して部屋から出て行きます。
 今回のユニットの担当は自分ではないと言っていたけれど、それにしたってもう少しこう、なんというかかんというか。岡崎泰葉をお願いしますって雰囲気をプロデューサーさんの方からも見せてもらった方が少し嬉しかったり安心したり。
 この事務所では一番芸歴が長いはずだし、だからそれなりに経験を積んできてはいるんですけど、それにしたって「初めまして」はいつだって緊張するものですから。
「すぅーーーー……はぁーーーー……すぅーーーー……はぁーーーー……」
 深呼吸、深呼吸。たまらず深呼吸を繰り返します。何がたまらないって、これから私はこの部屋における「ホスト」の役割をしなければいけないということです。先に生きてきたものの役目といえば聞こえはいいけれど、一年や二年くらいは誤差の範囲ではないでしょうか。
 まったくもう。まったくまったく。
 ……大丈夫かなあ。
「すぅーーーー……」
 吸って。
「はぁーーーー……」
 吐いて。
「すぅーーーー……」
 吸って。
 ───トントン、ガチャリ。
「はぁーーーー……」
 タイミングは良かったのか悪かったのか、とにかく止まらなかった息。
 ああ、もう。
 戻ってきてくれないでしょうか。

◇ 2

 もう誰かいるみたいとわかった瞬間、同時に心臓がどきり。優しい人だったらいいなあ、穏やかな人だったらいいなあ、と思うけどまずは私の方から挨拶しなきゃ。
 後輩の人だったら私がお姉さんになるから頑張らなきゃな、先輩だったら──心さんみたいなちゃらんぽらんは一人でたくさんだから──落ち着いた人がいいかも、なんて思ってドアをノックしたのです。たしか。たぶん。実はあんまり覚えていません。だってそこで私を待っていたのは───。
「はぁーーーー……」
 ……ため息です。ものすごい大きなため息です。
 え、っと、なんだろうどうしよう。あんまり歓迎されていないのかな、それともたまたま、なのかな。たまたまだとしても、何か本当に困っていたり不満に思うことがあったりしたらどうすればいいのかな。
 私はどう動くのが正解で、正解ではないにしても、どう動いたら不正解なのでしょう。考えたらツボにハマってしまいそうなので、とりあえず用意してきた手札を切ることにします。
「こっ……こんにちは……松尾千鶴と申します……」
 意図せず裏返ってしまった声。なぜか震えるびびり声。
 ああ、もう。
 やり直しはできないでしょうか。

◇ 3

 ───しまった、もう集合時刻の五分前を過ぎちゃってる。
『漫画にトーンを貼っていたら夢中になってしまって時間が過ぎちゃって……』
 だめ、だめ。言い訳にしても全然だめだし、そもそも言い訳自体全然だめ。
 でもこういう時の挨拶は少し難しい。遅れてしまってすいません、と言っても本当は集合時間のちょっと前だし、事故とかなんとかでもっと遅れてくる人たちがいたら余計なプレッシャーをかけちゃう。じゃあ何も言わないで「こんにちは」でいいのかな? それはそれで簡素すぎてまずいんじゃないかな。大御所の人じゃあるまいし……なんて考えて、だからぐるぐるぐるぐる回り回って。
 たん、たん、たん。階段を急いで駆け上がる。
 息が少し乱れて、だけどそんなことよりとにかく目の前のレッスンルームに。
 ……ごくり。
 息を呑んで、小さく深呼吸。そうだ、この扉の先には他のアイドルの人がいるんだもんね。
「……よしっ」
 気合を入れて、部屋に入って、こんにちは。
 ……やや無言。というか全部、ずっと無言。どうしてこんな、と思い当たる理由が一つだけ。
「あっ、えっと……怒ってるわけじゃ、ないんだけど……」
 緊張もそうだし考え事もそうだし色々あったんだけど、今は左手で眉間の辺りをぐーるぐる。
 ああ、もう。
 もう一回、やり直せないかな……!

◇ 4

 あうう。
 今回は新しいユニットの顔合わせということなので、失礼のないよう二時間前に家を出たのですけど、少し見通しが甘かったみたいです。まさか唐突に倒れてきた木に四方八方を囲まれてしまうとは思いませんでした。こんなパターンもあるって覚えておかなければいけません。あっ、そんなふりかえりをしている場合ではないのです。
 もう集合時間を五分も過ぎてしまっています。遅刻です。まごうことなく遅刻です。とにかく少しでもリカバリーできるように走って走って……ああっ、消火器が何本もこちらにゴロンゴロンと転がってきます。仕方がないのでここは二重ジャンプの出番です。もちろん本当はそんなことできませんので実際には大ジャンプです。気持ちの問題なのですが。
「はぁ、はぁ……お、遅れてしまってごめんなさい! 白菊ほたるですぅ……」
 なんとか色々諸々を切り抜けてたどり着いた部屋は、すごくあったかくて綺麗で明るくて。でもなぜか。既に待っていた三人の表情はみんなみんな暗く落ち込んでいるのです。
「ご、ごめんなさい……私の不幸のせいで……」
 こんな体質なんですって、説明してもわかってもらえるかな。
 ああ、もう。
 今度は三時間前に家を出ようかなって思います……。

○ すまほとーく!

『改めましてよろしくお願いします、岡崎です』
『よろしくお願いします、松尾です』
『関です、よろしくお願いします』
『1q2w3え4r五t6y7う八位9お0pl』
『えっと』
『白菊さん、なのかな?』
『jんmこlp;@:pぉきじゅhygtfr』
『ほたるちゃん、いわゆる不幸体質っていうやつで』
『そっか、関さんは前に白菊さんと一緒にお仕事をしたことがあるんですよね』
『はい。きっとよろしくお願いしますって書きたいんだと思います』
『9_dh六、t^えdjr』
『スタンプとかは大丈夫なのかな?』
『、lmkんjbhvgc』『ウワーッ! 名状し難き何かが!』



【デ○ーズで昼食を】

◇ 5

「あの、よければみんなでご飯を食べに行きませんか?」
 そう誘いがあったのは、顔合わせから二週間ほどが経ったレッスン終わりのこと。
「え、私もいいの?」
 ……これまであまりそういう経験をしてこなかったからどう対応していいかわからずに、思い出してみればこの返し方って結構失礼じゃないかなって思うくらいの、気の抜けた返事を返してしまったのでした。
「近くの定食屋さんで、唐揚げ定食が半額なんです……!」
 意外なことにメラメラと闘志を燃やしていたのは白菊さんだった。線の細い子だな、と思っていたけど見かけによらず大食漢なんでしょうか。
「……うん、じゃあ私もご一緒させてもらおうかな」
 そう返すと、ずっと眉間に皺を寄せていた関さんの表情がふっと和らいだのです。……ああ、私の方が歳上なのに気を遣わせちゃってるな、と少しだけ申し訳なさを感じつつ、でも埋まったこの後の予定が少し楽しみなのでした。

◇ 6

「あ……そうですか」
 喜び勇んで意気揚々と出撃した私たちを待っていたのは絶望的な宣言でした。定食屋の前には今まで見たこともないような大行列。目的の唐揚げ定食は飛ぶように売れたらしく、私たちがたどり着いた時にはもう売り切れ御免とのことでした。唐揚げ定食が無くなるってあるんだと思いつつ、しかしそう言われてしまったら仕方がありません。
「ご、ごめんなさい、私のせいで……」
「いえ、白菊さんのせいじゃないですよ……でも、どうしましょう」
 ぽそりと何気なく呟いたつもりだったのですが、予想以上に重くのしかかってしまったみたい。ああ、なんでこう私は空気の読めないような発言をしてしまうんだろう……!
「……待って。この近くだったら……やっぱり」
 沈黙を破るように、起死回生の策を出してくれたのは関さんでした。
「関さん、他の候補があるの?」
 岡崎さんの問いかけに、関さんはこくりと力強く頷き、
「ファミレス、行こう……!」

◇ 7

「えっと……四人で」
「はい、十四番の席でご案内します」
 緊張しながら人数を伝えると、今度は無事に食べ物にありつけるみたい。……いや、食べるだけならコンビニでサンドイッチとか買えばいいんだけど、そうじゃなくて。
 大事なのは、この四人で過ごす時間を作ること。私とほたるちゃんは、あと乃々ちゃんを加えてお仕事を一緒にしたことがあるけれど、岡崎さんと松尾さんとはほぼほぼ初対面だったから。
 一応二人の名前だけは知っていて、岡崎さんは子役時代から活躍されていた方。最初は違う事務所にいたけれど、アイドルに転身するということでうちの事務所にやってきたらしい。松尾さんは書道をやっていて、コンクールとかでも有名な賞を取ったことがあるみたい。すごく真面目な人だって聞いてたけど、実際会ってみると、噂以上にそう思う。
 でも、それだけ。私は二人のことはよく知らないし、二人も私のことはよく知らないはず。ほたるちゃんは少し体質的に難しい部分があるから、私が頑張って親睦を深めていかないと……!
「ねえ、関さんは決まった?」
 岡崎さんが声をかけてくれる。私はハッとして急いでメニューに目を通す。
『真っ赤なトマトをふんだんに使ったチキンステーキ』。うん、これが良さそうだ。呼び出しボタンを押して店員さんを呼ぶ。料理が届いたらなんの話をしよう。待ってる間も話をした方がいいのかな。どうしようかな、でも、とりあえず。
「このチキンステーキ……ご飯は大盛りで」
 ……お腹すいたな。

◇ 8

「……えっと」
「すごいね」
 料理が届くとみんなは苦笑いを浮かべていました。あ、そ、その、私と一緒にご飯を食べると、やっぱりなんか起こりそうで嫌だったのかな……
「ほたるちゃんほたるちゃん」
「は、はいい!」
 裕美ちゃんにつうと背筋をなぞられビクッとしてしまいます。裕美ちゃん、そんなにいたずら好きだったっけ……?
「何だいこれは」
「え……?」
 裕美ちゃんは私の目の前の料理を指差し、意図がわからない質問をしてきます。お、怒ってないとは思うのですが、視線がいつも以上に痛いかも……!
「え、えっとエビドリアと、ハンバーグプレートと、イカリングと、ソーセージのサラダと、チキン南蛮、それとロース豚カツ、かな」
「もしかしなくてもそれ全部食べるの?」
「あ、ほ、欲しいものがあった……?」
「いや、注文した時はほたるちゃんがわたしたち全員のメニューを頼んだと思ったから。でも違うんだね、一人分の予定なんだねそれ?」
「え……うん」
 裕美ちゃんが訝しげな視線を投げかけてきます。視線のレーザービームです。
「白菊さんって、見かけによらず結構食べるんだね」
 松尾さんが頑張って作ったような笑顔を貼り付けて語りかけてきました。な、何か気を使わせてしまっているのかな……
「は、はい。食べられる時に食べておかないと、何が起こるかわかりませんので……」
「現代日本なのにサバイバルしてるんだね」
「はい。生きていくためには必要なことなので……」
 岡崎さんの質問に笑って答えていたら隣の裕美ちゃんが渋い笑顔を浮かべていました。うわあん、なんで。

○ すまほとーく!

『今日は楽しかったです。みんな、誘ってくれてありがとうね』
『私もすごく楽しかったです。白菊さんの意外な一面を知れてよかったかな』
『xcvhbjkぉいうytれw』
『なんて?』
『私もすごく楽しかったです。割り勘にしてもらって本当にすいません支払いのことを考えるのを忘れていました、だって』
『文字数が不足しているような気が……』
『でも私もびっくりしちゃった。岡崎さん、すごくかっこよかったっていうか、オトナだなって思った』
『普段現金を持ち歩かないからね』
『でも未成年なのにクレジットカードって作れるんだ?』
『作れるっていうか作ってもらったっていうか。便利だよアレ』
『おkjんh樹8ygfc!』
『んー、むしろ注意してるから無くすことはないかな。万一無くしてもカード会社に電話すればすぐに止めてくれるし』
『岡崎さん、白菊さんの書いたことわかったんですか?』
『なんとなく、ね』
『通じ合ってますね』
『ね』
『たまたまだよ』
『。lpおい9雨ygfcdxせ』
『なんて?』
『またわかんなくなっちゃった。関さん、白菊さんはなんて言ってるの?』
『私にもわからない……』
『そういうパターンもあるんだ』



【初デートはみんなと】

◇ 9

「デートをしたいのでします」
「え?」
「は?」
「ほ?」
 ……私たちが出会ってから、初めての季節が過ぎようとしていました。だというのになんでしょう、この気の抜けた返事の感じ。そんなに驚かれるようなことだったかなぁ。
「え、と、泰葉ちゃん、それって」
 真っ先に口を開いたのは千鶴ちゃんでした。おづおづと口を開きしずしずと聞いてきます。つまりはおっかなびっくりってことですね。
「うん。私たち四人で、どこか、どこでも良いところに行かない?」
 対してこちらはといえば、ずっと思っていたことなのでさらりと返して、見繕ってきた場所をいくつかスマートフォンの画面に表示させます。
「ここなんか良いと思うんだけどどうかな」
「ちょっと待って泰葉ちゃん、デートって、その」
「? ああ、言い方の問題なのかな。四人で一緒に遊んで美味しいスイーツでも食べて帰ってきたいなって」
「すいーつ……!」
 よし、ほたるちゃんは釣れたみたいです。
「私も大丈夫だけど……急だね」
「うん。でも、前からずっと計画はしてたんだ」
「そうなの?」
「うん。顔合わせのちょっと後くらいからかな」
 そういうと裕美ちゃんはぽかんと口を開けたまんま。
「……変、だった?」
 流石に少し心配になって聞いてしまいました。なにせほら、少し世間ずれしてるよって何人の人から言われたこともありますので。
「……うーん、あまりうまく言葉にできないんだけど」
 裕美ちゃんがむむむ、と考え出して眉間の皺が深まっていきます。
「意外、というか」
 千鶴ちゃんが声を引き継いで、そして徐に取り出したのは──
「……私も、というか」
 違うスマートフォンの、同じページだったのです。

◇ 10

「ねえみんな、パンダいるってパンダ! 早く見に行こうよ、こっちだって!」「裕美ちゃん、ちょっと待って待って」
「もむもむ」
「ほたるちゃん」
「む?」
「……」
「もうめむめ」
「ほたるちゃん、ソフトクリーム美味しい?」
「はい!」
「ならばよし、いっぱいお食べ」
「泰葉ちゃんとほたるちゃんが親子みたいな会話をしている」
 昨日行われた泰葉ちゃんの緊急提案により、私たちは四人で動物園に来ています。
 休日だというのに人並みはまばらで、晴天ではないけれど雨の予報もないくらいの穏やかな日。少し湿った空気が鼻の奥をくすぐるような、つまりはえっと、抜群ではないけれど良好な行楽日和です。
 どうしてこんなと思うくらいにテンションが上がっている裕美ちゃんや、最近とんと年相応の振る舞いを見せてくれるようになったほたるちゃん。言い出しっぺの泰葉ちゃんは態度にこそ出しませんが……
「あの動物はね、今特別展示中でこの時期だけしか見れないんだって」
「今は出産の時期だから気が立っているみたいだけど、普段はおとなしいらしいよ」
「ここのソフトクリームね、前に楓さんたちが食べて美味しかったって」
 もうなんか、調べ尽くしてきた感じがすごい見受けられるのです。スマホはおろか、パンフレットすら見ていないのです。確かに台本を覚えるのは得意って話だったけど、こういうのも覚えるのが得意とは思っていませんでした。
「ねえねえ、こっちこっち! パンダ! パンダ寝てるよ!」
 裕美ちゃんが100mくらい先から大声で私たちを呼ぶ声がします。なんかもうすっごいテンション高いのはどうしてなのでしょう。写真も一歩ごとに30枚くらい取っているんじゃないかというくらいの興奮ぶりです。アングルを変えてまるで何か資料を作るみたいな動きを見せているのですが……?
「泰葉ちゃんほたるちゃん、おいてかれちゃいますよ」
「うん、今行く」
「泰葉ちゃん、ポテト売り切れでした……」
「なんと。じゃあ向こうでチュリトスを買おっか」
「わあい」
「三人とも、はーやーくー! あ、寝返り打った! 見て見て!」
 ……冷静にならずとも、よく振り返らなくても、どうやら今日の私たちはずいぶん浮かれているみたい。いけない、いけない。こういう時こそ、私がしっかりしなきゃ。
「───もう。みんな、はしゃいじゃって」
 無意識に口から出た言葉は、そんなことを本当に思っているようで、でもそうじゃない気もして。とりあえず裕美ちゃんがずっと私たちを呼んでいるので、そこに追いつこうかな。
「……泰葉ちゃん」
「なんだいほたるちゃんや」
「……千鶴ちゃん、ライオンの被り物してパンダのぬいぐるみ抱えたまま今日一日回るんですかね」
「はしゃいでるよねぇ」
「そんな一面もあったんですね……あっ、チュリトスありましたよ!」
「”買い”だよ、ほたるちゃん!」

◇ 11

「……つっっっっっっっっっかれたぁ~~~~…………」
「あはは、裕美ちゃんすごくはしゃいでたもんね」
 休憩がてらに入った喫茶店で時間を潰していたら、もう街はすっかり暗くなっていて。一日を振り返りながら、みんなでお揃いのコーヒーを飲む。苦い。けど、なんかどこか良いなあって思えるのはどうしてだろう。
「急なお誘いだったけど、みんなありがとうね」
「ううん。泰葉ちゃんが誘ってくれたおかげで、すごく楽しかったよ」
「ほんとそう」
「泰葉さん、ありがとうございます……!」
 たけのこみたいにお礼がにょきりにょきり。泰葉ちゃんのほっぺがきゅっと赤くなったのを私は見逃さなかったよ。
「でも、どうしてデートに誘ってくれたんですか?」
 ほたるちゃんが泰葉ちゃんに素朴な一言を投げかける。うん、言われてみれば確かに。気にはなっていたけど(たぶんそれは千鶴ちゃんもだ)、確かに一日が終わったこのタイミングで聞いてみるのは良いことかもしれない。
「うーん」
 少し困ったように、泰葉ちゃんが笑って。
「理由は、本当にただ私がみんなとデートしたかっただけなんだけど」
 ……おかしい。その言葉は、昨日すでに聞いたはずだ。聞いたはず、なのに。今度は私たちのほっぺがぎゅっと赤くなってしまう。見ればわかるし、見なくてもわかるほどに。
「……どうして、デートしたかったの?」
 照れ隠し、ではないけど。結局聞きたいのは、そのことなんだ。
 聞くと、泰葉ちゃんはうーん、と腕を組んで考え出して。
 ──はっと短く、こう言った。
「好き、だから」
 もっともっと、知りたくて。そう言ったかどうかは実際のところ覚えていない。覚えてなんていられない。ぴしゃり。雷が落ちたように、私たちは四人とも、そのまま何も言葉を繋げられず。
 ずずずずず。
 苦いコーヒーもおかわりが必要なくらい、ゆっくり時間が流れていった。

◇ 12

 帰路。とは言っても、それぞれ別の道をゆく、なんてことはなくて、みんなで一緒に歩いているくらいのタイミング。予報にはなかった通り雨がぱらぱらと降り始めてきて、遠くの遠くでは雷も鳴っている様子。急いで近くのコンビニに避難したら、なんとそこにはプロデューサーさんの姿が。
 私たちの姿を見て、開口一番、プロデューサーさんは
「楽しかったか?」
 と、ぴかぴかの笑顔で聞いてきてくれたのです。「珍しいな」とか「どうしたんだ」とか、私たちが一緒にいる理由を聞くのではなく。代わりに「四人で過ごした時間は大切だったか」と。短く、でも一番大切で残しておきたいことだけ聞いてくれたのです。
「はい……!」
 真っ先に、私がそう答えて。みんなも次々に、同じ言葉を並べて。
 プロデューサーさんは、再びにっこり笑って「そうか」と。そして、
「お前たちを、一緒のユニットにしてよかった」
 ──そんな、大袈裟なことを言い出したのです。大袈裟も大袈裟、だと思います。だって私たち、まだ何もやっていないのに。まだ、何もできていないのに。そんな思いがきっとみんなの表情にも浮かんでいたのでしょう。戸惑う私たちにプロデューサーさんはさらに続けて、
「顔を見れば、わかるよ」と。
 それは理由のようで。結果のようで。大事なことのようで、なんでもないようなことで。
 ───でも、すごく、すごく。私たち四人にとっては、その言葉が嬉しかった。
 そうしているうちに雨はすぐに止んで。「気をつけてな」と言って去っていくプロデューサーさんの背中は大きいね、なんてことを話していたらすぐに寮に着いてしまって。
 名残惜しい。もっともっとお話ししていたい。みんな思っていたけど、みんなで納得したことが最後に一つ。
 ───だから今日は、さようなら。
 それが一番の、お別れのタイミングなのだと。

○ すまほとーく!

『お疲れ様~』
『今日は楽しかったです。改めて泰葉ちゃん、ありがとうございました』
『l;kんjbhぎゅ8』
『いえいえ。そんな別に、誘っただけだし』
『それが大事』
『負けないこと?』
『投げ出さないこと? 逃げ出さないこと?』
『lpjhgfdすぁq3』
『最後「信じ抜くこと」って書いたでしょほたるちゃん』
『泰葉ちゃんも解読できるようになったんだ!?』
『いやまあわかるっていうかさ』
『そういえば』
『うん』
『うん』
『うん』
『ほたるちゃんが文字化けしていない!? ……っと、そうじゃなくて、私たち変わったなって』
『そう?』
『どこが?』
『xdせw4rtfyghbjんkじょ』
『もう戻っちゃった……えっと、なんていうか、距離感っていうか?』
『そうかな。そうかも』
『何せデートしたしね』
『無敵』
『;@pl』
『え? ……あ、確かに言われてみればそうかも』
『ほたるちゃんはなんて?』
『えっとね、「確かに、お互いの呼び方が変わったかも……前はもっと、当たり前なんですけど敬語ばっかりでしたので」だって』
『えらい長いこと言ったね!? いや確かにその通りなんだけどさ』
『そうだね。いつからなんだろう。一週間前?』
『うーん、意識したことなかった』
『ウェれ678憂おjkl@p「』
『なんて?』
『「千鶴ちゃんが四日前、泰葉ちゃんのことをザッキー氏って言ってたのを聞きました」って』
『…………泰葉ちゃん? ほたるちゃんの冗談だからね?』
『別に構わないよちづちづ』
『うわーん! ごめんなさーい!』


【泊まって深めてまた明日】

◇ 13

「もう一回、いくよ」
「……ん……っく」
「うん、大丈夫!」
「お、お願いします……!」
「じゃあミュージック、スタート!」
 じゃら、じゃら、じゃら、とエレキギターが鳴って。
 いち、にい、さん、し。
 にい、にい、さん、し。
 ───瞬間。
 翼をはためかせるように両手を伸ばし、空に飛び立つように床を跳ねる。
 頭でわかっていることを落とし込むように。意志がなくとも体が自動的に動くように。染み込ませていく。刻み込んでいく。それがまず、第一歩。
 全てを叩き込んだ後、ようやく現れる未知の世界──私たちの色。
 まだまだ遠い。一人じゃなくて、四人として。
 動く。合わせる。感じる。つながる。そんなレベルではまだ、まだ、まだ。
「っ……遅れた、ごめん」
「……集中だよ、泰葉ちゃん!」
「──ごめん! もう一回お願いできるかな」
「よし、ここ頑張ろう!」
「最後、ちゃんと合わせましょう……!」
 ひと呼吸、ふた呼吸。
 大きく息を吸って、それから。
「───いくよ!」
 また、青い音が響いていく。

◇ 14

「……つっっっっっっっっっかれたぁ~~~~…………」
「わかる」
「ふかし……」
「ふかし?」
「ふ菓子!?」
「ふ菓子の口じゃないなぁ……」
 蝉の声が真上で響く34℃。もちろんレッスン場はエアコンも効いているので、本当はそこにいる方が快適なのでしょうが、どうしてか外の空気を吸いたくなってしまいます。蒸されるかのように押し寄せる熱気と、半分だけ泣いているような潮風がぶつかるところが、ちょうど今私たちが立っている場所。遠くに海が見えて。その手前、一直線に電車が走り去っていきます。手前の坂から、プロデューサーさんの車が登ってくるのが見えて。きっと救援物資を持ってきてくれたのだと思います。
「あ、クジラジャンプ」
「え!?」
「どこどこ!?」
「こんな熱い海まで迷ってきちゃったのかな……?」
 見える距離なんて少しも変わらないのに背伸びをして、海を丸一望。もちろん、クジラなんて影も形もありません。
「……やーすーはーちゃーんー?」
「ごめん、流石に今回は大丈夫かなって」
「むー!」
 くそー。安易な嘘に引っかかってしまいました。なんとかやり返したいといつも思ってるんですが(本当ですよ)、ちょうど忘れた時にふっと混ぜ返してくるのがうまいんです、泰葉ちゃんは。
「千鶴ちゃん、油断しすぎだよ」
「そうですよ」
「……二人はグルだったわけじゃないでしょ?」
 さっきのテンションを振り返る限り、二人も思いっきり騙されていたような気がするんですけど。特に裕美ちゃん、「どこどこ!?」って私より声大きかったじゃないですか。
「何を言っているのかさっぱり」
「そうそう」
「ですです」
「ほたるちゃんも悪ノリしない」
「あう」
 ポカリ、なんて振りだけ真似っこして。
 ぐいっと一口、ペットボトルに口をつけて。
「……じゃあ、後半戦も開始だね」
 静かにはっきりした声。でも誰が言ったのでしょう。もしかしたら私が言ったのかもしれません。でもそんなことも覚えてないくらい──だって、誰が言ったって結局のところ同じことなんだから、覚えておく必要だってないんです。
「よーし」
「今日中に通しまでできるようにしておきたいですね」
「体調に無理がない範囲でね。限界までやろ」
「うん」
 ───額の汗を右手で拭って、真夏の太陽よりももっと熱い、灼熱のレッスンルームへ。
 もちろん、燃えているのは。

◇ 15

 覚えてる、プロデューサー?
「夏のライブが、四人で出る初舞台になる。まずは君たちらしく、一つになった姿を見せてくれればいい」
 というか──……まで言って、その後は「いいや」って言わなかったんだよ。覚えてる? 覚えてないでしょ。ちょっと勿体つけすぎじゃないかなって思う。でもあの口ぶりとその後に見せた笑顔は、気を遣ってるってより試してるって感じがしたよ。いつものガハハハっておっきな声で笑う姿とは違って、だから───なんか、すっごく「やーってやるぜ!」って感じになった。
 結果的に、だからそれはいいことだったのかもしれないね。
 ───だって。
「───もう一回!」
「だね。最後完璧に通してから終わろ!」
「もうちょっと、タイミングを合わせて……ほんとにもう少し、だけど絶対に少しだけ、違う……!」
「鏡見てちゃダメだよ。本番は鏡ないからね」
「はい、いくよー。……押した!」
 今日だけで、何回この歌を聴いたのかな。何回、同じドキドキを迎えて。何回、こうやってスッと上を向いて───。
 手。脚。腰。そんなのはもちろん。
 指。踵。胸。その位置まで、呼吸まで。
 音を聞けば身体が動く。身体が動けば心が動く。心が動いたら──なんになるんだろう。
 決まってる。そんなのは、もう、聞くまでもなくわかりきっている。
 ひとつに。
 ひとつに。ひとつに。ひとつに。
 私たちは、ひとつになっていく。
 そうして、本当にクライマックス。最後の最後、残った音符はもうどこにもない。
「…………うん」
「……は、……あ」
「…………えっと」
「…………ねえ」
 入り口でずずんと佇んでいるプロデューサーに声をかける。どうだった、と目で語りかけた。
「ああ」
 満足げに──うん、ほんとうにあの時そのままの笑顔を浮かべて、その人は頷いた。……むう。だからさ、プロデューサー。こういう時くらい、言ってくれたっていいんだよ。よくやった、とか。完璧だった、とか。驚いた、とか。まいったーっ、とか。なんでもいいからさ。なんでもいいから、褒めてくれたっていいんだよ。
 ……なんて、少しセンチメンタルな気分になっていたのは否定できない。だってさ、その時は本当にこう……アガってた、っていうか、舞ってたっていうか、極まってたっていうか、つまりその───。
「───君たちを見つけられて、よかった」
 そんなストレートなこと、言わないでよ、もう。

 ◇ 16

「はふぅ~~~…………」
「あったかいお風呂って、ほんとどうしてこんな気持ちいいんだろう……」
「まさか電気風呂だとは思わなかったけど、慣れちゃえば最高だね」
「ごめんなさい……私のせいでびっくりさせてしまって……」
「た、たぶん構造の問題だと思うからほたるちゃんのせいじゃないよ」
 レッスンが終わった後は、隣の宿舎の大風呂で汗を流しに。シャワーと石鹸でベトベトになった身体を洗い、いざ大浴槽へ! と思ったら手すり付近は電気風呂だったのです。あひゅん、なんて普段は絶対に出さない声を出している泰葉ちゃんと千鶴ちゃんを見たら、思わず笑いがこぼれてしまいました。もちろん裕美ちゃんもです。その後まさかの「せんぱいめいれい」が下され、わかっているのに踏み込まねばならない恐怖といったらこれ以上はありませんでした。
「……なんかさー」
 かぽん、かぽんと暖まっていると、裕美ちゃんが雑談という名の振り返りを始めました。私も、千鶴ちゃんもそれに続き、最後は泰葉ちゃんが全体をまとめてくれて。そうこうしているうちに四人とものぼせてしまって、ふらふらになりながら夕食会場へ。夜ごはんはお魚の美味しいやつでした。美味しいからたくさん食べました。たくさん食べたらみんながえらいねって褒めてくれました。えっへん。
「なんかさ」
 ……部屋につくと、みんなゼンマイが止まったみたいにパッタリ布団に倒れて。もふもふのもふ、みたいな毛布を堪能していると、泰葉ちゃんがお風呂の時のような入り方で今日の感想を。
 ああした方がいい。こうした方がいい。今日はこうだったから明日はどうしよう。足りないところはないか、もっと伸ばしたいところはないか。私はこう思うけど、みんなはどう思うか。さっきと同じようで、また少し違って、そんな話を瞼が落ちそうになるまで四人でずっと繰り返して。そして、おやすみなさいの言葉で日が落ちるまで話し合って笑い合って。
 ここまですると、思ってしまうんです。思ってしまってもいいと思うんです。
 あ、あんまり、その。恥ずかしい、というか、そうじゃなくて、迷惑がかからないかなって、心配になってしまって。あんまり言えない、言わないようにしてきたんですけど。
 でも。
 私たちは、ちゃんと、ユニットになれたと思うんです。

○ すまほとーく!

『……なんかさ』
『はい、千鶴ちゃんどうかしました?』
『同じ部屋にいるのにわざわざスマホで会話する必要あるのかなって』
『あるよ』
『あるよね』
『vgcfでw3』
『いや、でも声出せば良くないかな?』
『風情だよ、千鶴ちゃん』
『dr6うtfyjghvbn』
『裕美ちゃん、なんて?』
『なんで書道部なのに風情を解さないんですか? だって』
『、mlplkm』
『うん、たぶんそうは言ってないよね』
『lkdnうcえ9d;wdpff絵wgj;;q:しゃ亜_gr保@w。9クェwf』
『私はほたるちゃんのことわかってるからね。そこまで褒めなくてもいいよほたるちゃん』
『たぶんだけど褒めてないよ』
『絶対褒めてない』
『そこまでは別に褒めてないです』
『!?』
『!!?』
『!?!?!?!』
『m、kぉxcぇdw』
『偶然だったね……よかった……』
『よかったのかなあ?』
『それはそれとして』
『それとされた』
『泰葉ちゃん今日は積極的だね』
『私たち、今日は泊まりの合宿なわけじゃない?』
『bnm』
『こんな時に定番の話題をしようよ』
『まさか』
『泰葉ちゃん、もしや戦争を』
『さwq3え』
『恋バナだね』
『おやすみなさい』
『おやすみなさい』
『mkんjふいhjgf』
『あ、逃げたなー。いいもん、明日だってあるし』
『そういう泰葉ちゃんはどうなのさ』
『言い出しっぺの法則だよ』
『私? ちょっと待って考える』
『mvkwdlp』
『更新がない』
『考えてるうちに寝たんじゃない?』
『kn↓lsqs』
『寝てる』
『……明日は泰葉ちゃんに真っ先にしゃべってもらおうね』
『賛成』
『酸性』
『惜しい』
『奇跡化け』


【お願いだから退かないで】

◇ 17

 拝啓 みなさま
 いかがお過ごしでしょうか 私は元気です 私たちも元気です
 ところが元気のあまり ほんの少しだけ問題が
 まあこれも 雨降って地固まる的なsomethingでありますことを
 ただただ 願うばかりです
 まる
「……………………泰葉ちゃん、現実を見つめてください」
「ほたるちゃん、その間で色々考えたね? 『確かに泰葉ちゃんは丸いなあ』とかそんなことを」
「少し」
「本当に考えたんだ」
「今はいいじゃないですか。それより……」
「うん、そうだね」
「…………────」
「────…………」
 私、知っています。こういう状況のことを。
 修羅場って言うんです。 

◇ 18

 ───発端は、仕方のないことで。
 お披露目となる初ライブも終え、ユニットとしての活動を公式に指導させた私たち。ありがたいことに評判は上々で、テレビ番組への出演や雑誌の取材、そして新たなライブのお仕事をいただけるなど、順調な滑り出しを見せた私たちの新たなユニット──GIRLS BE NEXT STEP。
 ユニット活動の充実と同時に、と言うよりそれがあったからこそ、個人個人の活動も充実してきて。
 そんな折の出来事。
「え、千鶴ちゃんもオーディション受けるの……!?」
 レッスンの休憩中。何をした、とか何をする、とか、そんな何気ない会話の中で。別に誰かの具合が悪くなったとか、怖い目にあったとか、そういう辛くて悲しい話じゃないはずなのに───でも。
 ずき、と。
 痛みのような音が聞こえたのです。でもそれは痛みなんかじゃなくて、そんなはずがなくて。
 ただ、頭と心の判断が追いついてなかっただけ。
 それだけのこと、だったのです。 

◇ 19

 私と千鶴ちゃんが同じオーディションを受けるってことがわかってから、いつも通りに振る舞おう、いつも通りいつも通り、なんてことをずっと考えていて。だから結局、ずっと心が体から離れてしまったみたいな状況がずっと続いていて。
 友達、だから。仲間、だから。ようやく始まった、これからも続いていくはずの道のりを一緒に歩いていく人だから。だからこそ、その人と一つの椅子を巡って争うなんてことを私は想像もしていなかった。
 別に珍しいことじゃない。アイドルをやってたら、いつかどこかで必ず同じ状況になっちゃうことがあるんだと思う。私の場合は、ただ。それが今だっただけ。
 いっぱい練習をした──負けたくない。
 いっぱいいいっぱい練習をした──私が、この役をとってみせる。
 何度も台本を読み込んだ──だけど。
 通学の時もお風呂の時も寝る時も、何度も何度もイメージトレーニングをした──もし、千鶴ちゃんがこの役を取るならば。
 絶対に、やってみたい役なんだ──それでもいいかなって。
 そんな中途半端な私、なのに。
 オーディションで役を射止めたのは、私の方だった。

◇ 20

「…………────」
「────…………」
 千鶴ちゃんと裕美ちゃんが同時に一つのオーディションを受けてから、四日後のレッスン。昨日、その結果が出たみたいで。もちろん、グループトークでは結果の報告もありましたし、労いの言葉もあったんです、けど。
 今の状況は、当然と言えば当然の話で。なんと声をかけたらいいか、なんと声を受け止めたらいいか、そんなことをすぐに理解して行動できるほど、私たちはまだ大人じゃないんだって。知らなくてもいいことばかり、知ってしまいます。
「泰葉ちゃん……」
 そんなこんなで、やっぱり一番頼れるのは泰葉ちゃんです。芸歴も一番長いですし、そもそも一番の人生の先輩でもありますし。だからなんとかしてほしい、なんとかならなくても一歩前に進む何かを教えてほしい、と縋るような目を泰葉ちゃんに向けます。
 泰葉ちゃんは私の視線をあえてスルーして、千鶴ちゃんと裕美ちゃんの方を見ます。二人も、こちらをチラリと見ては俯いて。
 ため息混じりの夏の午後。ごうん、ごうんと空調が低く鳴っている音が耳にこびりついています。
 ──ぴりり。
 そんな空気を切り裂くように、一つ、スマートフォンに着信の音。千鶴ちゃんが慌てて電話をとりました。
 まさか。
 泰葉ちゃんと私は目を合わせます。もしかしたら、そんな都合のいいハッピーエンドがやってきてくれたのでしょうか。何か、他の役へのエントリーが決まったとか。関連する他の作品への出演が決まったとか。そうでなくても、何か、何か。
 電話はすぐに切れて。あんなに静かなレッスンルームだったはずなのに、会話は全然聞き取れなくて。
「千鶴ちゃん、えっと」
 泰葉ちゃんが口籠もりながら、でも、何かあったの? と声をかけます。裕美ちゃんも眉間に皺がよっています。
「ああ、いえ、心さんからでした」
 ───落胆、というとはぁとさんには悪いですけど。タイミングの問題ですから仕方ないんですけど。やっぱりそんな都合のいいことなんてないのかなあ、なんて、私のことじゃないけど少し泣きそうになってしまって。
 そして。
「──裕美ちゃん」
 千鶴ちゃんが裕美ちゃんとの距離を詰めて、がっしりと手を取ります。にぎ、にぎと何度か熱をかわした後。
「おめでとう。すごく悔しいけど、裕美ちゃんが受かってよかった」
 真っ直ぐな言葉を、真っ直ぐに言い切ったのです。
「ごめん。せっかく受かったのに、気を遣わせちゃって。いっぱい喜びたいのに、気にさせちゃって。おめでとうって本当に思ってる。だけどやっぱり同じくらい悔しくて、だから今日、ずっと変な調子で、ごめんね」
 千鶴ちゃんは、優しい顔でそう言いました。裕美ちゃんは、顔を真っ赤にして、眉間の皺はさっきよりずっと深くなって。
「───ごめん、って言ったら、ダメなんだって、思って」
 嗚咽を抑え込みながら、ぽつぽつと言葉を絞り出すように。
「ありがとうって言うのも、ごめんっていうのも、なんか、嫌な気持ちにさせちゃったらどうしようって」
 ぽろぽろと。涙がこぼれます。それは、裕美ちゃんの目からだけではなく。「私、だから何も言えなくって。だから、千鶴ちゃんにも泰葉ちゃんにも、ほたるちゃんにも気を遣わせちゃって。どうにかしなきゃって思っても勇気が出なくて……そんな自分が、すごく、すごく嫌で……──!」
 そう、ですよね。裕美ちゃんも千鶴ちゃんも、二人だけでわかってればいいやって、そんなことは思わない人たち、ですもんね。
「──うん」
 千鶴ちゃんは、その間ずっと穏やかで。
「今ね、心さんから電話が来た。『ちゃんと打ち上げの予定立てたか?』だって。……大人はいいよね、こういう時、お酒のみにいけるしさ」
 ふふ、と。優しい笑顔を浮かべて、言うのです。
「私たちはもちろんお酒飲めないけど。……でも、行かない? 祝勝会と、残念会。四人で、一緒に、前行ったあのファミレスに」
 ずず、と鼻を啜る音が聞こえて、そのあとぶんぶんと何度も頷く裕美ちゃん。
「泰葉ちゃんとほたるちゃんは──」
「もちろん」
「行きましょぅ……!」
 ああ。そう、そうなんです。私たちは四人のユニットだけど、一人一人はみんな違って。だから、ぶつかることもあるし。ぶつかりたくないこともあるし。話したくないこともあるし、話したいこともあるし。一緒にいたい時も、そうでない時も。 ───だからせめて、一緒にいるときは、ずっと楽しくいたいのです。
「決まりだね」
 ぴ、ぴ、と泰葉ちゃんが電話をかけて、ファミレスの予約を取ります。
 何を頼むかはまだ決めてないけれど───ああ、そういえば、以前茄子さんが言っていた気がします。
「私、飲み会に行っても“必要以上には”お酒を飲まないんですよ?」
 “必要以上”が何を指すかがわからないのが少し怖いところでしたが、とりあえず置いておいて、どうしてですか、と私は聞いたのです。すると茄子さんは待ってましたと言わんばかりに笑って頷いて、そして──
「そう言うのって、何かを食べたとか飲んだとかそう言う以上に、一緒に時間を過ごしたってことが大事だと思うんです。だから私、色んな人とたくさんおしゃべりをしたくって」
 ふうん、とわかったようなわかっていないように返してしまっていたのが、今になって心残りに変わってしまいました。
 茄子さん。今の私なら、それがよくわかる気がするんです。

○ すまほとーく!

『みんな、今日は本当にごめんね』
『私も……しかもなんかすごく泣いちゃって、恥ずかしい』
『ほたるちゃんが泣いてる裕美ちゃん連写してたよ』
『白菊』
『徐dpw;、;qsx、lw;』
『消しといてよね』
『でも本当によかった&次頑張ろうってことだね』
『ありがとう、千鶴ちゃんの分まで頑張る』
『次は裕美ちゃんにも負けないからね』
『でももしかしたら今度は私との勝負かもよ? 演技のお仕事も少しずつ戻していこうって話になってるし』
『、mんbvgfdtr』
『強敵』
『お手柔らかに』
『無理かなあ』
『そういえば泰葉ちゃんって、今度の舞台の監督さんのこと知ってるんだよね』
『うん。昔 IV 撮ってもらったことあるし』
『想像以上に知りあいだ』
『いい人だよ。ただ……』
『ただ?』
『ただ?』
『td?』
『……感動するとよく泣く』
『プロデューサーより?』
『流石にあそこまでではないけど』
『でもそうなんだ、意外』
『顔怖いしね。あ、だから会ったら今度お礼言っておいて』
『なんて伝える? 普通でいい?』
『「岡崎泰葉がお世話になりましたって言ってました」って言ってくれればいいよ』
『なんか怖いね』
『m湖0plkmjこ』
『流石です岡崎パイセン』
『なんで!?』

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