【再録】「ふゅーじょんぷろだくと」 自殺者も出た暴力出版社の内情を告発!

 この文章は『紙の爆弾』2008年4月号(鹿砦社)に寄稿したものですが、昨今の事件を受け「改めて読みたい」という声があったので、noteにて公開します。

 本当に関心のある人にだけ読んで頂きたいので、有料設定にさせて頂きます。電車を乗り継いで、大宅壮一文庫で閲覧してコピーを取得するよりは安い金額に設定してあります。

 広くマスコミ業界をはじめ、カタカナで書かれるクリエイティブな業界というのは、とかく前近代的な側面を残しているもの。鉄拳制裁なんか、日常茶飯事で、灰皿はおろか、机の引きだしが飛んでくるのを目撃することもあるほどだ。

 そうした通過儀礼を通って育ってくると「職場での暴力」なんて言葉を聞いても感覚が麻痺しているのか「ああ、俺らの時代より随分と甘くなったなあ」なんて感慨深く、語り初めてしまうかもしれない。だがしかし、それが自殺者まで出していると聞いたら、「愛ゆえの鉄槌」なんて印象は、即座に吹き飛んでしまう。 

 本稿では、サブカルチャー業界の一翼を担う、企業で起きているひとつの事件を告発する。いっておくが、これは単なる暴力事件ではない。巷では先頃、病院でクレームをつけて職員を土下座させたことを自慢した東大卒社長のブログが炎上したりもしているが、本稿で扱う事柄を読めば、そんな事件も些末なことと受け止められるに違いない。そんな事件が、現代の東京で発生しているのである。

 本件は、労働争議ともなっており、ともすれば本稿が当事者の皆さんに悪い影響を及ぼすのではないかとも危惧しないでもない。それでも、悲惨な労働環境を改善する一助になればと、進んで取材に応じてくれた皆さんに感謝しつつ、筆を進めてゆきたい。

ラピュタ阿佐ヶ谷という存在

 まず「ラピュタ阿佐ヶ谷」「ザムザ阿佐ヶ谷」「ふゅーじょんぷろだくと」という3つの劇場・企業はどの程度知られているだろうか。

 関東に住む、映画好きの人士ならば「ラピュタ阿佐ヶ谷」の名前を聞いたり、訪れたこともあるのではないだろうか。ここは、都内でも名の知れた名画座で、上映作のラインナップには通好みのタイトルが並んでいる。本稿を執筆している時点では、モーニングショーとして「昭和の銀幕に輝くヒロイン 野川由美子」、レイトショーでは「岸田森」が上映中。

 ソフト化されていない作品も数多く、並木座や大井武蔵野館といった都内の名映画館が消えてゆく中で、数少ない邦画の魅力を味わえるスポットとなっている。 その地下にあるのが、劇場「ザムザ阿佐ヶ谷」。筆者は演劇には明るくないので、人づてではあるが、上質の演劇を鑑賞できるスポットとして、こちらも定評があるという。

 そして、「ふゅーじょんぷろだくと」。近年は、ボーイズラブ系書籍の出版社として知られているが、その創立は1982年と古い。80年代には、『美少女症候群』として知られる、同人誌アンソロジーと評論を集めた単行本シリーズで知られ、近年ではロシアの世界的アニメーション作家であるユーリ・ノルシュテインの豪華本『ユーリー・ノルシュテインの仕事』を出版したことでも知られている。「ラピュタ阿佐ヶ谷」「ザムザ阿佐ヶ谷」のふたつは、この出版社から派生して設立された形になっている。

 しかしながら、この出版社、80年代から、常に悪評以外のものを聞いたことがないという点で一貫している、なかなか希有な存在だ。かつて「原稿料が図書券で支払われた」という噂は、未だに語りぐさになっているし、マスコミに身を置いていると「これでもか!」というほどの数の元社員に出会う。そして、その批判の矛先は、常に社長個人の資質に向けられている。

 その社長・才谷遼とは、どんな人物なのか。実は筆者も、一度だけ才谷には合ったことがある。それも、入社試験で。

 もう一昔以上前のことであるが、当時大学生だった私は新聞に掲載されていた社員募集の広告を見て試験に臨んだ。編集部の片隅の机で数人が額を寄せ合っての英語試験のあとの面接。5,6人の受験生の前に座った才谷は、突然、英語のデキの悪さに怒り狂い「日本は10%のエリートが支配する国で、俺をはじめ、ここの社員は、そのエリートなんだ」と、演説を始めたのである。唖然とする我々を前に、しばらく演説を続けた彼は、最後に「と、今日、電車の中で読んだ『文藝春秋』に書いてあった」と締めくくったのには、さらに唖然としてしまった。当時は、まだ若輩だった筆者だが、ここばかりは「とんでもない会社に来てしまった」と思った記憶がある。(一昔も前のことなのに、鮮明に記憶していることを考えると、よっぽど強烈な体験だったのだろう)。

自殺者も出した才谷の言行

 さて、「ラピュタ阿佐ヶ谷」(劇場「ザムザ阿佐谷」、レストラン「山猫軒」を含む)は、才谷にとって夢を実現した建物である。

「僕は昔、漫画家を目指していて、永島慎二さんの住む阿佐ヶ谷と、手塚治虫さんが住む富士見台が東京の中心でした。1952年生まれで、ちょうど『鉄腕アトム』世代だから、小学校の時に『鉄腕アトム』のモノクロのテレビ放送を観ていたんですよ。その後テレビ・アニメが普及していきましたが、それは追いかけずに、漫画は漫画で楽しみ、その後映画少年へとスライドしていきました。昔あった並木座や文芸坐などにはすごくお世話になり、そういった名画座が減っていく中で、ここ阿佐ヶ谷という土地で、名画やアニメ作品の上映の受け皿となる映画館を開設したいと思ったわけです」(http://www.walkerplus.com/movie/cinema_column/column3.html)

 だが、才谷の思い描いた夢は実現しそうもない。それも、才谷自身の手によってである。

「女性自殺、労災と認定 編集アルバイト、昼夜かけ持ち」
別々の出版社で編集アルバイトをかけ持ちしていた東京都杉並区の女性(当時26)が自殺したのは過重な労働が原因だったとして、遺族が出した労災の認定請求について、東京労働者災害補償保険審査官は15日付で、女性の死を「過労自殺」と認めた。新宿労働基準監督署長が昨年1月、遺族補償給付金の不支給を決めたため遺族側が審査を求めていた。
決定書などによると、女性は04年10月、以前から働いていた都内の出版社で午前と夜間に勤務。午後は別の出版社で働くようになり、月末に自殺した。同月の労働時間は両社で計307時間に達していた。
女性は当初からの会社を辞めようとしたが社長に慰留され、かけ持ちすることになったという。決定は、かけ持ちが当初の会社の社長に分かり自殺前日、社長との話し合いが4時間に及んで問い詰められるなどしたことを重視。「指導の範囲を逸脱する行為」と判断した。長時間の時間外労働による疲労とともに複合的に精神的な影響を与え、自殺に至ったと認定した。(朝日新聞2007.05.17東京朝刊)

 報道では幾分か、表現が和らいでいるが、事実はもっと激烈なものだった。
 自殺したAさんは、ふーじょんを退社後、別のマンガ情報誌を発行する出版社に就職が決まっていたのだが「ウチでまとめられる人間がいない」と、才谷に懇願され2社を掛け持ちする変則的な勤務を行っていた。この出版社は、かつて才谷が関わっていたこともある会社で、Aさんは、勤務していることを才谷に黙っていた。ところが、どこからか、そのことを聞きつけた才谷はAさんを深夜に会社に呼び出し、明け方まで叱責し続けた。

「翌日、彼女の机が綺麗に整理されていて出勤してこないことに気づき、探しまわりました」

と、事情を知る同社の社員は話す。Aさんは、その日の夕方に実家で首つり自殺を遂げていたのである。

「自殺の数日後、全社員を集めて集会が行われました。さすがに、謝罪するのかと思ったら“キミたちがもっと彼女に優しくしていればこんなことにはならなかったのだ!”と言い放って、社員の一人ずつに“彼女への思いを言え”と強要したんです」(同)

そればかりか、Aさんの葬儀に普段着の草履履きで現れて、遺族に自分のやっている事業を自慢していったという。

「労災が認められたのも、社長の言動を重視してのことでした」(同)
人を死に追いやってなお、才谷の行状は改まることを知らない。

すき焼きのタレで2時間の説教

「ある時は、気にくわないことがあったのか、映画館ロビーで女性社員の胸ぐらを掴んで何度も壁に叩きつけたこともあります。その時は“警察を呼びます”と止めたのですが、興奮状態で“私がここの館主だ”と叫びながら出て行くこともありましたよ」

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