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ADHDな末っ子

 末っ子は今、19歳になった。
小1でADHDと診断されて、
主治医から2冊の本の購入を勧められた。

1冊は家族がそれを読んで
「家庭でどう接するか?」書いた本。
もう1冊は担任に渡して、
「学校でどう接してもらうか?」の本だった。

もう随分と前のことで題名が不明だが、
とにかく、

「本人がいいことをした時にだけ声をかける!」

という内容だった。
「ほ〜😯」
案外、これはできた。

その頃の息子は
行動範囲がやけに広くて
色々な生き物を捕まえてくるのが常だった。

参観会に行った時には
ずっと鉛筆✏️を落としては拾っていて、
「どうしたの?」とは思った。

それでも、
発表のチャンスにはちゃんと挙手して
参加しようとしていた。

手を挙げて、当てられてから
慌てて指折り数えていて
微笑ましい子だった🤭

ところが、
ひらがなが覚えられなかったし、
カタカナを覚えるのも大変だった。
もちろん、漢字も。

算数は
答えを見せるとそれを覚えることができた。

テストの前日は
正解が記入された答案用紙を一緒に眺めて
覚えてから次の日にテストを受け、
💯点をもらっていた。

本人は大喜びだ!
私も嬉しかった。
「覚えるの得意なんだ〜!」と豪語していた😆

でも、
仕組みはわからないから
計算することはできない。

それでもよかった。

本人が少しでも気分よくいて
自信をつけることが大切だったから。


学校の支度を一緒にしたり、
担任との連絡を頻繁にとった。

保護者会では
「息子がADHDでコミュニケーションに
問題がある」と伝えて、
「何かトラブルがあったら知らせて欲しい」と、
同級生の親御さんにお伝えした。

小6の時、
お友達とのトラブルで
お宅に夫婦で謝りに行ったことが
最後の大きな出来事だった。

学年があがるにつれ
凸凹は少なくなっていった。

数学が得意になり、
わからないことは自分なりに調べるようになり、
今では色々と教えてくれる。

中学卒業と同時に
「もう病院は卒業していい。」と伝えられた。

高1の途中、
潰瘍性大腸炎になり転校して、
定時制の高校に通学した。
そこでは、
① 朝コース
② 昼コース
③ 夜コースに分かれていたので、
朝、体調の悪い息子は
②の昼コースをとっていた。

自分に合ったストレスの少ない、
身体の調子に合った生活。

定時制高校では
ゆる〜い雰囲気で、
親身になってくれる先生と手厚いサポート。
そして、様々な生徒がいた。
服装も自由、髪型、髪色も自由。
働いている子、途中から来なくなる子。
自由という名の自己責任の世界。

部活でバスケ🏀をやった。
「この経験は大きかったなぁ〜」と思う。
身体の作り方など栄養面からのアプローチを
自分で調べていた。
そして、持病の寛解。


進路では随分悩んだが、
本人が

「選択肢がひとつだと自分が苦しいから、
ふたつ設定して、
どちらに進んでもいいことにした!」

と言ってきた。
「誰かに相談したの?」と聞くと、
「自分で考えた。」と。

立派に成長したではないか!
生きる力が半端ない!

以前、主治医から
「彼はコツコツと勉強するタイプではない。」
と聞いたが、今はレポートを書いたりしている。

本人が今、気を付けているのは
「忘れ物」だ。
出かける際には自分で声に出して
「あれ持った。」「これ持った。」と、
確認している。

そして、結構、物が迷子になる。
「毎回、同じ場所に置こうよ〜。」と、伝える。
出かける前の「ない💦ない💦な〜い💦」は
あるあるあ〜る😉



※ 最後までお読みくださりありがとうございます🏁



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