地中美術館の鑑賞体験が最悪だった

念のため前置きしておきますが、釣りタイトルとかではなく本当に直接的にそういう話なので、ネガティブな感想が見たくない場合はブラウザバックしてください。

はじめに

先日、岡山に行く用事があった際に1日予定が空いてしまったので、直島に行くことにした。

岡山市の中心部からだと少し行きにくいが、お気に入りの大原美術館(倉敷)が休館中とのことで、せっかくの機会だし足を伸ばしてみようと思った。

直島は「アートの島」として観光業を押し出しており、島内の至るところにアート作品・美術館などが立ち並ぶ。

地中美術館はそんな直島でも随一の人気スポットだ。大地に埋もれ自然と一体化した安藤忠雄の建築で、自然光の下に絵画やインスタレーション作品を展示するという独自のスタイルをとっている。

そういったコンセプトや、10個ほどの限られた展示作品数から、この地中美術館という場所は作品自体というよりも、通常と違う「異質な鑑賞体験そのもの」にこそ価値を見出すべきだと、事前に理解はしていた。

そして、実際に訪れてみて率直に思った。

「駄目だ、ここはあまりにも最悪だ」

何が最悪だったのか?

美術館に行って出てくる感想など、自分たちのような凡人はせいぜい「良かった」か「よく分からなかった」のどちらかだ。「悪かった」などという語彙はまず往々にして選択され得ない。

一般的な美術館で「良かった」と思えなかったときの原因のだいたいは、展示してある作品がどれもピンと来なかったとか、有名な作品を前にしたけど結局よく分からなかったとか、そういう「展示作品に依存する原因」だろうと思う。

自分には良さが伝わってこなかったけど、誰かに評価されてここに展示されているのだから、きっと良いものなのだろう――と考える。普通に美術館へ足を運んで、明確に「悪かった」と断ずることができる勇気も教養も根拠も、まず僕にはない。

だから、地中美術館が最悪だと思った原因はもっと、それ以前の問題だった。


前提として、地中美術館は予約制だ。15分ごとに入場枠が決まっており、来場の時間に合わせて事前にチケットを購入する形式になっている。当日に予約なしでふらっと来た場合、その時間の入場枠が空いていなければチケットを買うことはできない。

理由は単純で、他の美術館に対してキャパが極端に少ないからだ。建物自体も面積的にかなりこじんまりしているうえ、そもそも展示作品数が少ないために1作品に対して集まる人の数が多い。

特に『Open Field』は、作品の特徴から1回あたりの鑑賞者を6人ほど(だったはず)に絞る必要があり、無制限に人を入れてしまうとまず回らなくなる。

というか現状でも10分前後並ぶ必要がある。そうすると何が起こるかというと、一定時間が経つと問答無用で鑑賞室から追い出されてしまう。

少々ネタバレをすると『Open Field』は時間経過によって色調と光量が変化する仕掛けがあり、どうやら何色かバリエーションを持っている様子だが、すべてを観る前に後ろ髪を引かれる思いで部屋を後にしなければならない。

なまじ気になった作品だっただけに、満足いくまで観続けられないことへのストレスは大きい。作品の性質上仕方がないとはいえ、90秒くらい見て10分並んでを繰り返すのはあまりにも虚無が過ぎる。それこそ時間で区切って予約するようにできないものか?

鑑賞室から出て行列を見たときには、もう一度並ぼうという気力を失くしてしまっていた。


また、地中美術館の目玉のひとつでもある、自然光の下で鑑賞する『睡蓮』。これも駄目だった。

睡蓮の何が駄目なんだと思うかもしれないが、絵画そのものに何の罪もない。むしろ、展示されていた5つの『睡蓮』のうち展示室に入って正面に見えるものは、これまで観てきた睡蓮の中でもかなり好きな部類だった。

ただ、自然光が邪魔だった。

絵画の表面にはガラスかアクリルかのカバーが取り付けられている。何の変哲もない展示方法だが、カバーが付いている場合の問題として光が反射してしまうというのがある。それ自体は一般的な美術館でも時々気になることではあるのだが、地中美術館は異質だった。

カバーに反射した光がにじんだような色になって映り込んでしまっている。

太陽光のスペクトルが云々という話なのか他の原因なのか、下手なことを言うと馬鹿がばれるので深くは首を突っ込まないでおくが、とにかくこんなことは初めてだった。

一番大きい作品は本当に大きく、後から調べると2m*6mもあるらしい。そうすると必然、反射する範囲も大きくなり、とてもではないが良い鑑賞環境とは言えなくなってくる。

美術館最大の特長でありウリであるはずの自然光が、逆に十全な鑑賞環境を邪魔するという本末転倒。時間帯によればもう少しマシなのかもしれないが……

こんな思いをするのなら人工光でちゃんと計算し調節された環境で鑑賞したかった。大人しく3月からの中之島のモネ展行きます。

さいごに

坊主憎けりゃ袈裟まで憎いではないが、こうなってくると地中美術館の色々なところに腹が立ってくる。

デッドスペース的な廊下が多くて無駄に迷うとか。

撮影禁止の館内で写真撮ってるやつ早く止めろよとか。

地中美術館の英名が Chichu Art Museum はさすがにダサいだろとか。

とはいえ全部が最悪だったわけではない。『Time/Timeless/No Time』は、作者のデ・マリアが直々に指示して作られた空間というだけあって素晴らしい鑑賞体験ができた。先にも書いたように5枚の『睡蓮』も、それ自体は好みドンピシャの物を観ることができた。

ただし地中美術館で展開される異質な鑑賞体験は、基本的に余計で、蛇足で、大きなお世話だ。

コンセプトそのものが気に入らないわけではないし、良かったと思う人の気持ちもまあ理解はできる。結局は not for me だったというだけの話なので。

ただ、あまりにも絶賛ばかりに溢れているのが気持ち悪く、そして居心地が悪かったので、この文章をネットの海に放流することを許してほしい。

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