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19/7/24 めがね

30代/会社員/線維筋痛症・うつ病当事者のmyrthé(みるて)です。
このnoteには、植物や動物の写真と、生活の中で感じたことや病気について綴った文章を掲載します。

目立つことが苦手。
人の注目を集めるようなことは、極力避けたいと思っている。

「人からどう見られるか」を気にしすぎて、
「自分がどうありたいか」よりも、
あるいは、「現実を受け入れて、対処する」ことよりも、
それをずっと優先していたんだな、と気付くことがあった。

色付きレンズの眼鏡をつけること。

日常生活で不便を感じることがあり、
10年以上前、検査を受け、視覚過敏に対応した色付きレンズをかけさせてもらったことがある。
ぐるりと周囲を見渡し、
印刷された文字に目を落としたとき、
確かに、楽になったと感じたのだった。

外の光だけでなく、室内光にも感じていたきつさが、
白い紙の眩しさが、
すっと、優しくなった。

それなのに、
結局そのときは眼鏡を作らなかった。
費用が高価だったことと、
お恥ずかしい話、若く未熟な私は、支援者に陽性転移を起こし(恋心を抱き)、勝手に通いづらくなってしまったのだ。

その後、街中の普通の眼鏡屋さんで、色付きのレンズを購入し、付けることはあったけれど、
楽だな、と感じる一方で
他の人の視線や、言葉に、勝手に縮こまり、
結局外して、しまい込んでしまった。

それでもなんとか生きてこられたけれど
多分、日常を過ごすことや、
文字を読むことに、
普通より多くの注意や集中力を注いでいたのだと思う。
それがずっと当たり前で、
眼鏡をしまい込んだところで、
再びその「当たり前」に戻っただけだったから、
意識することもなかったけれど。

色付きのレンズで、
目に入ってくる光の量を調整することで、楽になる。
そんなことも、暫く忘れて過ごしていた。

先日、ショッピングモールを歩いていたとき、
通りがかったお店で、さまざまな色と濃度のカラーレンズが並んでいるのが目についた。
好きなフレームを選んで眼鏡を作れる。
度付きにもできる。
価格も、10年以上前のあのときほどじゃない。

いくつかのレンズを手に取り、そのレンズを通して、
ぐるり、周りを見渡す。
作ってみよう、と思った。

数週間して、出来上がってお店に届いた眼鏡をかけると、
身体から力が抜けるのが分かった。

夏の日差しの下、外を歩く。
奥行きのある、立体的な風景を、落ち着いて見つめられる。
白い紙も、眩しくなくて、
じっと集中して、文字を追える。書かれていることが、すっと頭に入ってくる。

それまで、随分力が入っていたことに、
身体も心も、強張っていたことに気がつく。

意識せず重ねていた疲弊。
その中には、
取ること、省くことのできるものもあるかもしれない、と思った。
色付きのレンズの眼鏡は、色のないレンズの眼鏡より、目を引くかもしれない。
でも、今はファッションとして、前より広くつけられているようで、前よりは色々言われることも少ないかもしれない。
何より、
生きやすくなるなら、
自分がしたいことや、与えられた役割を果たすこともできるようになるのなら、
それを選ぶ、と思った。

疲弊が少なくなることで、強い身体の痛みも減るかもしれないという淡い期待も抱いている。

こんなことを
「自分に優しくする」というのかもしれない。
私はずっと、この表現の意味するところがよく分からなかった。
なんとなく分かるけれど、ぴんとこなかった、という方が正確か。
今も、分からない。でも、取り敢えず、
自分が生活しやすくなるために、何か工夫する余地があるのなら、
それにしっかり向き合い、やっていきたいと思う。