”謙虚さ”とは 第428幕
本日は、私の心の師と仰ぐ小林正観さんの講演動画『思いどおりにならない人生とは「謙虚さの本当の意味」』をみなさんにご紹介したいと思います。
”謙虚さ”とは、私の力によって成り立ったのではなくて、全て神や仏や守護霊や、あるいは自分の身の周りの人のお陰で、私の人生が今成り立っているというふうに心から思うこと。
では、ご覧ください。
1.謙虚さとは
正観さんは、静かに話し出します。
守護霊が好む概念とは、”謙虚さ”である。
守護霊が好まない、というのはおかしいですね。
守護霊は、良いとか悪いとか全然言わないので。
とにかく、自分が活発に動けるかどうかだけなんです。
①奢り・昂り・自惚れ・傲慢とは?
守護霊が全然動けなくなる概念は、この人がこういう概念を持つと、守護霊が動けなくなる。それは何?
”奢り・昂り・自惚れ・傲慢”です。
”奢り・昂り・自惚れ・傲慢”というのは、具体的に言うと、人の前で偉そうなことを言うから”奢り・昂り・自惚れ・傲慢”なのではなくて、『自分がやっていることは全部、自分の汗と・自分の能力と・自分の努力によって、全部成り立っているんだ』と思っていることを、”奢り・昂り・自惚れ・傲慢”と言います。
自分が努力をしている。自分が頑張っている。自分が必死になっている。その結果として、自分の成果が得られたと思うことを”奢り・昂ぶり・自惚れ・傲慢”と言うんです。
②謙虚さとは?
”奢り・昂ぶり・自惚れ・傲慢”の対極にある、最も守護霊が好む概念、その守護霊が一番華やかに動き回れる。活発で動き回れる概念というのは何かというと、”この人が謙虚である”ことなんです。
”この人が謙虚である”というのはどういうことかというと、『私の力によって成り立ったのではなくて、全て神や仏や守護霊や、あるいは自分の身の周りの人のお陰で、私の人生が今成り立っているというふうに心から思うこと』それが、”謙虚さ”と言います。
”謙虚さ”と”奢り・昂ぶり・自惚れ・傲慢”は、対極にあるんですけど、そこに介在している言葉というのは、実は”努力・頑張る・必死になる”なんです。
私が努力したから・私が頑張ったから・私が必死になったから、今日の私がこれを成功させる事ができたと思う事が、実は、”奢り・昂ぶり・自惚れ・傲慢”なんです。
『私の努力によるものではなく、私の頑張りによるものではなく、私が必死になったからではなく、私以外の何者かが全部、今日の私を出したらしめてくださった。ありがとうございます』ということを、”謙虚さ”というらしい。
私たちは、”謙虚さ”を違う意味で教わってきましたね。
人の前に出ないで、いつも外に隠れて、人の陰に隠れながらその袖口引っ張って、ピッピピッピやってるっていうのは、それは”謙虚さ”っていうふうに教わってきましたが、どうもそういう事ではないのです。
人の前で話してても良いし、別に自分のその主義や主張を言っても構わないけれども、”自分のその存在、今日ここの自分が自分である、そこを自分が築き上げたのではなくて、全部自分以外の何かが何者かが築き上げてくださった”と思うことなんですね。
2.思い通りにならない人生・思い通りになる人生
そういうことがわかってくると、”自分の思い通りにならない人生っていうのが、元々概念的に存在しなくなってしまう。
自分の思い通りになるという概念がなくなりますから、思い通りになるという概念がなくなれば、思い通りにならないという概念がなくなるわけです。
思いを持っているから、思い通りになる・ならないになるわけで。
思い通りにならない人生って、よく考えてみると、本当に思い通りになってないんですか?っていう話になる。
今日、朝食を食べた。思い通りになったんですよね。
今日、地下鉄に乗った。思い通りになったんですよね。
だったら、自分の思い通りにならない人生なんてどこにもないんですよ。
東京で、ある70歳の女性がおりまして、この人が20歳の時から50年間、『自分の人生は思い通りにならなくて』って、ずっと言い続けてきた人なんです。
何をやってもダメ。OLをやっていたが、事業を起こそうとすると全部ダメ。人を集めようとすると集まらないし、何をやっても思うようにならない。
『私の人生、思い通りにならない。思い通りにならない』って、50年間言い続けてきた人なんですけど、思い通りになってきたんですよね?
思い通りにならなかったんですから、思い通りになったんですね。🤣
本人が気が付かないだけで。
実は、”神・仏・守護霊”の立場でみると、実は思い通りになっているんですよね。
3.私達は生まれる前から、自分の人生のシナリオを書いてきている
私達は、生まれる前から、自分の人生のシナリオを書いてきているらしい。
その通りに、自分の人生が展開して暮らし、どういう結論になるかも。
意外な展開っていうのは、自分が勝手に三次元的に、15%と決めてるだけで、実は意外じゃない。
ということは、全部こっちの85%でわかっていることですね。
死ぬ時も、結婚相手も、結婚しないことも全部わかっているわけですから、85%の中では。
ただ、本人が15%で勝負しているから、そこしか認識できないってだけです。
そういうことを考えたら、起きてくることは実は全部自分が書いたシナリオなんです。
ありとあらゆる事が良いとか悪いとかの論拠の対象ではなくて、自分が自分にとって一番成長できるように書いたということなんです。
4.どんなことがあっても、腹を立ててはいけない・怒ってはいけない
どんな事があっても、腹を立ててはいけない・人を憎んだり怒ってはいけない。
ある女性が、『自分はある一つの種類の人だけはどうしても許す事ができなくて、憎んでしまう。恨んでしまう。それは、正当ではないか?その一つの種類というのは、戦争を起こした人。』と言ってきた。
そこに、20人ぐらいいたので、みんなに集まってもらい、話をした。
『どうしても許すことができない、ただ一つの種類が戦争を起こす人。その人達はどうしても許せない。その人達に憎しみを持ってしまう。それに対する憤りや怒りは正しいものではないのか?』
じゃあ、私答えますよ。
その怒りこそが戦争を起こすんですよね?
その憎しみこそが戦争を起こすんですよね?
わかりますか?
戦争を起こしてる人って、自分が間違っているんだと思っている人、誰もいないんです。
相手が100%間違っていると思って戦争を起こすんですよね。
そういう心、その憎しみを認めるということになったら、結局世の中から、争いごと・戦いごと・憎しみ・呪い・恨みごとは絶対に消えないんですよね。
だから、どんなことがあっても憎んだり・恨んだり・呪ったりしてはいけないんです。
正当な怒り・憎しみというのは世の中には存在しないんです。
5.良寛和尚の話 感謝が人を変える
良寛和尚の話をします。
良寛和尚が子供の頃、ずーっと殴られたり、蹴られたりして良寛が言うことをきかされていたガキ大将がいた。
そのガキ大将が、長じて渡し船の船頭になった。
自分は、もの凄く嫌なやつで村人から嫌われていたにも関わらず、良寛和尚は修行をして帰ってきたら、村の人気者になっていて、もの凄く良い人になってしまって敬われているのに、悔しくて悔しくてしょうがない。
『良寛が船に乗ってきたら、船を揺らして落としてしまおう』と決意していた。
幸か不幸か、良寛が一人で乗り込んでくる事があって、その船で川の中央まで漕ぎ出した船頭は、船を揺らして良寛を落としてしまうんですね。
良寛は、アップアップして水を飲んで死にかけた時に船に引っ張り上げた。
良寛は、それから水を吐いたりゼーゼーしながら呼吸を整えて、出した自分の口から言った言葉が、それは、『あなたは、命の恩人です。命を助けてくれてありがとう。私は、この御恩を一生忘れない』と言った。そのことしか言わなかったんだ。
その言葉を聞いた船頭は、『どうしてこの人をこんな酷い目に遭わせてしまったんだろう』という心の底から悔いて悔いて悔いて。その瞬間から真人間になったという話です。
この話を伝えたのは誰だ?当事者二人しかいないから、当然その船頭が伝えたんです。
『人に憎まれることを好み、会う人ごとに一生懸命、嫌がられること・嫌われることをやって、世の中社会を恨みながら、敵対しながら、その敵意を振り撒きながら生きている人間を私たちが、果たして瞬間に変えることはできますか?』という質問をした時に、『絶対にできない。そんなことはできるはずはない』って、みなさんは言うと思います。
でも、あるんですよね。
それは、実話として存在しているんです。
良寛という非常にその優しい人格の結果として、この人を変えようと良寛が言ったんじゃない。ただ、人格のなせる技としてたまたま出てきた言葉がもの凄く肯定的な言葉で、あと自分を落とした彼の行為は一切なじらなかった。
ただ、助けてくれた方の行為だけを一生懸命褒め称え、しかも自分を感謝した。
そうしたら、人に対して攻撃的で敵意を見せるだけだった人が、その瞬間に真人間になって、全く違う人になったという事実を紹介しました。
と、正観さんは締めくくっています。
今日も、正観さんから素晴らしいお話が聞けましたね。
”謙虚さ”とは、私の力によって成り立ったのではなくて、全て神や仏や守護霊や、あるいは自分の身の周りの人のお陰で、私の人生が今成り立っているというふうに心から思うこと。
思い通りにならない人生なんてない。
だって、自分の人生は、生まれる前に全て自分で決めてきたシナリオだから。
願いは、必ず叶う!
どんな事があっても、腹をたてたり、怒ってはいけない。
感謝は人を変える事ができる。
いつもご覧いただきまして ありがとうございます。
スキ フォロー コメント等をいただきまいて ありがとうございます。
では また次のnoteで お会いしましょう。