「おかえりモネ」心の洗濯③〜『手当て』は心の治療『熱伝導』は効果効能
トラウマを抱えて登米に来たモネと菅波は偶然が重なり「トラウマ回復のニコイチ」として自助グループ活動(同じような傷を負う者がグループとなり、感情を共有しながら心の傷を癒していく治療)を行っています。(→詳しくはこちらのnote)
菅波とモネは2人で過ごす時間そのものが、2人の「心の洗濯」になっています。ここではその「心の洗濯」につながる要素の中で「手当て・熱伝導」をピックアップして整理してみます。
『手当て』は治療の基本〜からだの痛みに対して
東京編から、物語の登場人物による様々な手当てが始まります。
まず、からだの痛みに対する「手当て」から始まります。
このからだの痛みに対する「手当て」のエピソードは、「おかえりモネにおける「手当て」とは何なのか」を定義づけるために入っていると考えられます。
からだの痛みに対する「手当て」のエピソードは、モネによるものと、菅波によるものがひとつずつ入っています。
ーからだの痛みに対する「手当て」byモネ
鮫島「何か不思議やな、人の手って。痛いの痛いの飛んでけ~って。ホンマに飛んでく気がするのは何でやろなぁ」
菅波「手当てって言いますからね。治療の基本なんですよ」
鮫島「人の手ってありがたいもんやな」(61話)
ーからだの痛みに対する「手当て」by菅波
菅波「おばあちゃんもうちょっと涼しくなってきたらね、もうちょっと楽になるからね」「頑張りましょうね」(おばあちゃんの背中をさする菅波)(62話)
↑61話の菅波によると〈「手当て」は「治療の基本」〉です。
わざわざこのシーンを挿入し、このセリフが存在するということは、これ以降の「手当て」に他意はなく「治療」として読み取っていいと捉えられます。
ーー「おかえりモネ」での「手当て」の定義
「手当て」は「痛みが表面化した人」への「治療」である
『手当て』は治療の基本〜こころの痛みに対して
続いて、「からだの痛み」と同様「こころの痛み」が表面化した人に対しても治療としての「手当て」が行われていきます。
コインランドリーで、ホルン奏者の人生を奪ったトラウマを打ち明ける菅波。その話を聞いてモネは優しく背中をさする。(=手当てする)
菅波「人の手というのはありがたいものですね。大丈夫です。」(65話)
※モネ→菅波への手当てについては、恋愛感情の有無を下部にて別途深堀りします。
百音「待って。聞くから。全部、思ってること全部言って。言ってほしい。未知「分かんないのは私だよ。私、何を選んだらいいの?研究? うちの仕事?亮君。ごめん、駄目なの。もう頭の中グチャグチャ」
(未知の背中をさするモネ)=手当て(103話)
亜哉子「でもあの頃、学校は本当に大変で…
自分がつらくなっちゃっただけなのかもしれない。
逃げたのかもしれない」
(亜哉子の背中をさする耕治)=手当て
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亜哉子「話せたら…あの。ほっとしました」(105話)
次のシーンも手当てにあたりそうです。
汐見湯のリビングで、気持ちを吐露した亮に三生が手を繋ぐ→手当て(78話)
ーー誰かの手当ての治療を受けた登場人物たちは、少し気持ちが回復していることが、どのシーンにおいてもセリフや表情から分かりやすく受け取れます。
鮫島「何か不思議やな、人の手って。痛いの痛いの飛んでけ~って。ホンマに飛んでく気がするのは何でやろなぁ」「人の手ってありがたいもんやな」(61話)
亮「やっぱ、食えばよかったなオムライス」「腹へった」(78話)
亜哉子「話せたら…あの。ほっとしました」(105話)
『熱伝導』は、『手当て』の効果効能
登米でサヤカが伝授した「熱伝導」。
登米最後や東京編での「手当て」にまつわるエピソードと合わせて考えると、「熱伝導」は「手当て」の効能のひとつだと考えられます。
ーー「手当て」をすると、「熱伝導」によって手当てを受ける側だけでなく、施す側の心も温められる。
(25話↓)の会話から「手当て」の効能として「熱伝導」が起こり、手当てを受ける側だけなく施す側も温められることが読み取れます。
菅波「熱は、高温から低温に伝わり、接している物体と均一な温度になろうとします。だから、地面から空気に熱が移動して、下から、空気も温まるんです」
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百音「でも・・・あの・・・接している物体はなんで均一の温度になろうとするんでしょうね」
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菅波「それが、熱の伝導っていう現象ですが一旦忘れましょう。飽和水蒸気量と同じように、とりあえずそういうものと思ってください。説明するのがややこしいので。」
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サヤカ「はい2人ともこっち来て。ああいいからいいから。そこ座る」「座る、早く 2人とも」(2人の腕がくっつく)「接してっとお互いの体温を感じるっちゃ?それが熱の伝導。ふふふふ。はいお疲れ様でしたお先に」(25話)
「熱伝導」は、コップの実験の次にモネと菅波が学んだことです。
そしてここでもまた、とりあえずそれが大事なんだと念押しのセリフが入っています(25話↓)
菅波「それが、熱の伝導っていう現象ですが一旦忘れましょう。飽和水蒸気量と同じように、とりあえずそういうものと思ってください。説明するのがややこしいので。」(25話)
コップの実験を通してお互いの傷が溢れていることを潜在的に確認した2人。
その溢れた水滴を収めるため、手当てによる効能である「熱伝導」が「双方に」効くととらえられそうです。
モネと菅波はトラウマを抱えて登米にきてから偶然が重なり「トラウマ回復のニコイチ」として自助グループ活動を行っています。
心の治療を進める「自助グループ活動」では、お互い痛みを分かち合い共感し合うことが、心の氷を溶かし、心のキャパシティを広げます(心のキャパ=飽和水蒸気量)。心のキャパシティが広がると、溢れるていた心の傷は抑えられます。
東京編で、菅波とモネは、お互いの「手当て」がお互いの心を温めています。手当ては、溢れ出し表面化した心の傷の結露を抑えていく治療になっているようです。(洗濯中に行われたハグもそのひとつだと思っています)
これは自助グループ活動による「心の洗濯」の治療のひとつ【共感】にもあたりそうです。
菅波とモネの「手当て」
65話で菅波がホルン患者の人生を奪ってしまったトラウマを告白したのち、モネが「手当て」をしたシーンで菅波は恋愛感情が生まれたとも取れそうな表情をしていました。
モネの手当てによって本当の心の温かさを感じた菅波は、その心の中に感じた温かさを恋愛感情と捉えていそうです。これは菅波の生育環境による影響も大きいと思っています。私はこういった感情も一種の恋愛として成り立ちうると思っていますが、上記「手当て」の定義に加えてドラマで描きたい恋愛が根底にしっかりと流れているため、はじめて感じた心の温かさを恋愛と勘違いしていると捉えた方がよさそうです。
さらに演出上でも恋愛との線引きがされています。
ーー65話でモネが菅波にした「手当て」を恋愛感情ではなく「治療」とする線引き↓
コインランドリーで、ホルン奏者の人生を奪ったトラウマを打ち明ける菅波。その話を聞いてモネは優しく背中をさする。(=手当てする)
菅波「人の手というのはありがたいものですね。大丈夫です。」
百音「すいません」菅波「あっ、いやそういう意味じゃない」
2人の目が合う
菅波「すいません感情的になってしまいました」
百音「すいませんこちらこそ。つらい話をさせてしまって…」
菅波「つらいのは僕じゃないんです。生き方を変えなきゃいけなくなった彼の方です」
(洗濯ものを取り出す)(65話)
このシーンが終わるまで菅波の洗濯物はぐるんぐるんと「洗濯中」でした。これは65話の「手当て」は「心の洗濯(治療)」の範疇だったと捉えることが正解だと思っています(→その理由は、こちらのnoteの⑥コインランドリーはカウンセリングルーム)
ここで恋が始まったとの見方もできますが、もしそうであれば「心の治療」過程の共感による依存的な恋愛感情だと読み取れます。
ーーちなみに登米でモネが心の傷を吐露した場面。(43話)
菅波は「手当て」を行えませんでした。
この時まだ菅波の「心の洗濯」はさほど進んでいません。自分のトラウマも吐き出せていません。
菅波は登米(43話時点)で左脳にかなり偏っています。モネが苦しい胸のうちを打ち明ける様子に右脳が刺激されて自然と左手が出た。しかしながら、まだまだ左脳が強くてその行動を止め、モネの「手当て」ができなかった。菅波自身が「手当て」を行えなかったのは菅波の心がまだ左脳に偏りすぎていたから。右脳がはじめて反応したけど、左脳がとめた。彼の心の偏りをあらわしていると捉えた方が良さそうです。
右脳左脳のバランスをとる(理屈だけではなく感情とのバランスが取れる人間になる)ことは菅波の心の治療目的のひとつです。
62話で菅波がおばあちゃんに手当てできたのは、61話で菅波のこころのバランスが整い、バランスが整ったことを象徴する雨が降ったからです。(雨の描写→こちらのnoteにまとめてます)
65話コインランドリーでモネから手当てを受けた菅波自身ががそれを恋と捉えたのであれば、その恋愛感情は右脳回復を象徴しますし、今後バランスを安定させるためにも最良の治療になっているはずです。
ーー菅波とモネの2回の「ハグ」も「心の治療」の「手当て」にあたり、熱伝導を広範囲で急速に行うことで不安定になったモネの心を安定させたのではないかとみています。
コインランドリーにて菅波に縋るモネをハグ→手当て
川沿いで菅波の胸に飛び込むモネ。抱きしめる菅波→手当て
22週の予告で、モネは未知とハグしていました。
今後、亮が心の傷を吐露し「手当て」された後(亮は汐見湯で一度、三生から「手当て」を受けていますが)、モネとハグすることがあるとすれば、菅波や未知とのどんな違いを入れてくるかを見守りたいと思います。「愛」と「治療」の違いがあきらかになるかなぁ。と思いつつ。
初めて開いた気象予報士のテキストにも「熱伝導」の文字があった。その意味とは?
(11話)モネが気象予報士のテキストを初めて開いた時に「熱伝導」を含む一文を読み上げました。
このシーンでモネが読み上げた文章に違和感があります。
…海風・陸風の説明に「熱伝導」という言葉を強引に当てはめている感が否めません。
気象予報士の本を買った日の夜、テキストを開いてみて…
百音) 海風・・・。「海面は熱を吸収しても、熱伝導によって拡散されたり海水が上下に混ざり合うことにより温度の日変化量は2℃以下・・・」「海岸線付近では気圧傾度が大きくなり、日中は海風、夜間は陸風という現象が起き、この風向きの変化を海陸風と呼びます」(そっと本を閉じる百音)(11話)
理屈的には強引に通せそうですが、通常、水の特性として「温まりにくく冷めにくい」「水の比熱容量が大きい」からだという説明になります。
・・・もしかしたら、おかえりモネの終盤に向けて、地域復興の目指すべき姿を示唆していたのかもしれないと思えてきました。
上記、気象予報士のテキストの文を「おかえりモネ」構文に当てはめて読み解くと次の通りとなります。(おかえりモネは「水の循環」の物語であり、水は一粒はひとりひとりの人間のことを指しています)
ーー(気仙沼の)海の水のようにみんなで思いやり寄り添い「熱伝導」することにより(ある意味、地域全体が菅波とモネの間のような自助グループとしての役割を果たしていけば)、誰かの心が冷やされた時も助け合い分かちあうことができ、それらの悲しみ苦しさが分散し、水温が混じり合うように均一化され、みんなの心が安定する。
ーーみんなの心が安定すれば、地域に活性化の「海風」を起こすことができる。
ーーその海風は復興を加速させ、地域を大きく発展させることに繋がる。
地域の人の支え合う力によって作り出された逞しい海風をおかえりモネの終盤に感じられる気がしてきました。
この違和感と読み取りが正解であるなら、初めて開いたテキストの一文が地域活性化(モネの地元が元気になること。今後どんどん力強くなること)のヒントになっていたということになります。
これは「気象予報はハッピーエンドへの近道」のひとつとしての仕込みなのかもしれません。
▼その他の「心の洗濯」につながる要素の一覧はこちらから
▼「菅波とモネ」の2人が「心の洗濯」をしている経緯はこちら
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