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すべての過ちの分岐たち

青空に立ち上がっていく巨大なきのこ雲の下で、オレンジ色の光を見てすぐに爆風に吹き飛ばされたと祖父は言っていた。20歳になった祖父が徴兵を免れていたのは、造船所で働いていたからだった

祖父が作っていたのは軍艦ではなく商船だ。戦争には莫大な人的資源だけではなく大量の石油も必要だった。資源の乏しい日本は日中戦争継続のための石油を必要としていた。

当時最大の石油輸出国だったアメリカは、1941年8月1日、日本軍が南部仏領インドシナに進駐したことを受けた対日経済制裁の一環として日本への石油輸出を全面禁止した。しかし日本船籍のタンカーへの石油の積み込みは禁止されていたものの、外国船籍のタンカーへの積み込みは黙認されていた。また、ロックフェラー家のスタンダード石油と密接な関係があったドイツのIGファルベンを経由しても日本にはアメリカ産の物資が届いていた。蘭印からの石油の輸送を担ったのは軍艦ではなく軍に徴用された民間商船だった。第二次世界大戦中およそ2500もの民間商船が米海軍の潜水艦の攻撃にさらされ撃沈され、6万人を超える乗組員が命を落とした。

作っても作っても沈んでしまうから造船所は忙しかった。お陰で祖父は出征を免れた。そして被爆した

ーー安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬからーー

毎日死体を片付けた。膨れ上がった死体が川に浮いていた。地獄のようだったと祖父は語った。戦後祖父は被爆していたことを黙って祖母と結婚し、3人の男の子をもうけた

祖父が肺癌で入院したとき「被爆者手帳があるおかげで個室に入れる」と言った祖母に「それは違うよ母ちゃん、被爆したから癌になったんだよ」と言った叔父は、リンパ液が肺に染み出す病気にかかって死んだ

私は原発事故が起こるまで、自分が被爆3世だってことなんかすっかり忘れてて、子供を産んだ。2世以降の被曝の影響についていっとき狂ったように調べたけど、影響はある説とない説があってどちらが正しいかわからなかった。

もうひとりの叔父も肺を病んで3年前に死んだ。父は時々胸の奥から絞り出すような咳をしながら、それでもまだ元気だ。

父と母がであったのは大学の原水爆反対のサークルだったし、あの日原爆にあわなかったら祖父は違う人生を送っただろうから、私が生まれてこられたのは原爆のおかげだ。きのこ雲の下で死んだたくさんの人達の死体の上で私は産まれて産んで死んでいく

あやまちから生まれた命はあやまちですか?望まれず、落胆され、恨まれながら生まれ育ったお前。罪の中で生まれ、罪を犯して、罪の中死んでいく私たち。それでも幸せになりたい。屈託なく青空の下で笑いたい。恋をしたり、おしゃれしたり、お喋りしたり、ふざけ合ったりしていたい。キノコ雲みたいに美しいすべてのあやまちの分岐たち

生まれてきてよかったと思ってるんだ。嘘じゃなく。強がりは少し混ざってるけど。この命を味わいつくしてやろうって幾重にも幾重にも過ちを重ね塗りしていびつに歪みながら誰かを傷つけながら愛しながら矛盾したままでこんなはずじゃなかった世界にありもしない正解を探し続ける全ての過ちの分岐たち

えっいいんですか!?お菓子とか買います!!