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芸大学生を狙うおじさん(ギャラリーストーカー)の正体

おじさんネタやめたいのだけど、記事が目につきます&リアルに内容が伝わってくるのでついつい書きたくなってしまいます。

因みに今まではというと、奥さんに話すか最近30才になった後輩と盛り上がるなどしていました。(最近聞いたオジサンの言動も令和と思えないヤバさでした)

こちら、今回目についた記事です。

プレジデントオンラインの記事
「僕も卒業生なんだよ」学園祭で女子学生を狙ってつきまとう「さびしんぼウザ絡みおじさん」の恐ろしさ
サブタイトル:武蔵美では学生の対策委が学園祭を警備

転載記事 @Livedoor
「僕も卒業生なんだよ」学園祭で女子学生を狙ってつきまとう「さびしんぼウザ絡みおじさん」の恐ろしさ

Livedoorの転載側も内容は同じだと思います。

以下、記事から引用させていただき、その後に私見が続きます。

なお結論から言うと自己評価の低いオジサンはヤバいオジサンになる可能性が大きいです。 逆に自己評価が高いオジサンはならない可能性大です。

自己評価が高いというか、自分が今までやってきた仕事に達成感を持っている人です。こういう人は年をとっても新たな目標なりを見つけて歩んでいます。

また、自分大好きナルシストおじさんや、女性性の強いおじさんもその是非はおいておいてヤバいオジサンになる可能性は極めて低いです。
そういう意味では中性的な男性が増えればギャラリーストカーのようなヤバいオジサンは減少すると予想されます。
もしくは世代交代で絶滅するとか?
いずれにしてももう少しの辛抱です!


では件の記事から一部抜粋してみます。 (お借りしまーす)

オジサンの尊厳とプライド

画廊などで若い女性作家につきまとう「ギャラリーストーカー」が問題化している。加害者たちは、なぜこうした行為をしてしまうのか。漫画家の田房永子さんは「昨年、母校の武蔵野美術大学の芸術祭を訪れた際、女子学生にギャラリーストーカー行為をする男性を目撃してスタッフに通報した。こうした行為をする人たちは、自分自身の尊厳を大切にすることを放棄し、弱い者の尊厳を盗まないではいられなくなっているのではないか」という――。

見事な表現力です。

「自分の尊厳を大切にすることを放棄して、弱いものの尊厳を盗まないではいられない。 」
羨ましい限りの文章力。
ChatGPT4もここまでは書けません。

私の知る限り、ギャラリーストーカーになるようなオジサンにとって「尊厳」というワードは最も縁遠い単語です。

The Dignity is above  all things.
「尊厳は全ての物に優先する。」

アメリカのどこぞの名もなき人の墓石に彫ってあった言葉です。なぜかずっと忘れられずに記憶しています。

自分に尊厳あれば、世間や他人からみてカッコ悪い行為は出来ません。

出来てしまうということは尊厳がないのかもしれません。
帰納的に言うとそうなります。
私が決めつけているわけでは有りません念のため。

自分に存在しないか見えていないものを、相手に見ることは無いと思われます。
ゆえに他者、この場合は若い女性の尊厳を盗んでいる意識は皆無です。

尊厳のない(あくまで帰納的な観点から)ヤバいオジサンが厄介なのは

尊厳はないけれどプライドは目一杯持っている!

ことです。
ここが世のオジサンの逆ギレの主要要因と思われます。

相手の尊厳を無効化できるオジサン。
なにか特殊な結界をはることが出来るのです。

再度引用です。

若い女性作家やその作品に対してリスペクトがなく「僕をリスペクトしなさい」という態度をとる。その場にそぐわない欲望を一方的に満たそうとする行為は、美術だけでなくどんな状況であっても迷惑で、相手や周囲に無駄な恐怖を与えます。

恐怖を与えているつもりは微塵もありません。
むしろ誰よりも優しく接しているつもりです。
主体はあくまで自分でありそこにしか意識はありません。

だから、「僕が恐怖を与えていないのだから相手(眼の前の若い女性)は怖がる必要はない」のです。

「いやいや。相手は怖がってるでしょ。」
なんて言っても
「それは勝手に彼女が怖がっているだけ。」
としか思っていません。

特級呪物です。

男性の姿をよくよく見てみると、おそらく50歳くらい。ニット帽を深くかぶりマスクをしているので顔はぜんぜん見えませんでした。

非常に想像しやすい描写です。 
尊厳を何処かに置き忘れてきたので怪しい雰囲気を醸し出している自意識はありません。

私は、フリマなのに勝手に婚活パーティーを開催している男性を目撃した時、そのあまりにも現実と乖離かいりした彼の様子にショックを受けました。
男性が着ていたウインドブレーカーは大きなしみがいくつもついていて、お世辞でも清潔感があるとは言えない服装でした。目以外をすべて覆い隠し、だけど声の出し方は竹野内豊みたいで自信にあふれる口調で、同じ大学という共通点を駆使してフレンドリーに自分をアピールしていました。

服装が汚いオジサンは100%ヤバいです。
芸大の文化祭やギャラリーに来るような方には汚い服装はショックなようでしたが、ときに怒りすら湧いてくるかも知れません。

オジサンの一人して私はそういうオジサンを見ると怒りが湧いていました。


今回のこの記事。
作者の方のお人柄が伺えます。
ものすごく心の綺麗でお優しい方と想像します。
あくまで他人を悪く見ない汚れなき心。
スピ的にいうところの愛され子供さんだなという印象。

それ故に、この方にはギャラリーストカーのようなヤバいオジサンの本質はわからないだろうなと思うのです。そもそも普段は接点が無いはずなので分からなくて良いのですが。

ここで、「ギャラリーストーカー対策委員会」という存在と注意喚起のポスターが掲げてあることが大きな意味を持ちます。
第三者はポスターがなかったら多くの場合は「きっと問題はないだろう」という選択肢を選んでしまうでしょう。もし、迷惑な人物ではない場合は学生から「ちがうんです、大丈夫です」と言えばいいし、被害を事前に防ぐということにおいてポスターは大変有益であると思いました。

気になった部分を抜き出して引用として使用させていただいています。
なので引用部分だけみてもこの記事の内容は想像しにくいと思います。
是非一読をおすすめします。

特にこうした場に行くことのある方は是非。

ちなみに最近行っていないデザフェスにはいないのかな?

前衛アートな雰囲気もモリモリなのでギャラリーストカーのようなオジサンは現れないかも。

で、このギャラリーストカー対策委員会 の存在に対する指摘。
まさにこの通りだと思いました。

ギャラリーストカーおじさんは本人がストーキングしているとは夢にも思っていないからです。 ストーカーとは女性の後をつけて家の前に張り付く行為であり、自分はただ公の場所で張り付いているだけで、彼女が本気で逃げようと思えば逃げられる状況なのだから。
だから自分はストーカーだという認識は一切ないです。

ここ重要です。
自分主体でしか思考できないので「逃げない彼女が悪い」のです。

相手の気持ちを想像できない非モテの思考ですが仕方ありません。

ゆえにオジサンに気が付かせるのは不可能です。
周りがギャラリーストカーのような存在があることを認知する。

このための「ギャラリーストカー対策委員会」ということなのですね。

なおこうしたオジサンは暴力は振るわないと思います。
これも肌感ですがかなり確信持っています。

そして以下の部分。
なんか読んでいて興奮してしまったw


「ウザ絡みおじさんにウザ絡みをやめてもらう」ということが不可能すぎて、こういった議論の時はもはや、ウザ絡みおじさん(ギャラリーストーカー)たちについての言及がゼロになります。

「ウザ絡みおじさんはなぜウザ絡みをやめられないのか」は別の分野の議論であるため、「ウザ絡みおじさん対策」について思案する際には、ウザ絡みおじさんをいったん横に置いておいて、誰がどのように対策すべきか、どう責任をとるべきか、という話になります。

つまり「ウザ絡みおじさん」は存在として「話の通じないモンスター」や「どうしても湧いて出てくる害虫」みたいなものにどうしてもなってしまうのです。

そんなふうに人としての尊厳を欠いた状態で他人に認識されているって、悲しい。だけど彼らは、自分がそんなふうに他人から認識されることを許しています。自覚していないのか、放棄しているのかは分かりません。

「誰がどのように対策すべきか、どう責任をとるべきか、という話になります。」

ほんとそのまんま。
それでいいと思います。

妙に張り切った気持ちになったのはこの部分。

そんなふうに人としての尊厳を欠いた状態で他人に認識されているって、悲しい。だけど彼らは、自分がそんなふうに他人から認識されることを許しています。自覚していないのか、放棄しているのかは分かりません。

自分からすると凄く単純なことなのに、こうした良識ある人には想像もつかないのだ!というのが率直な気持ちです。

尊厳を欠いた状態で認識されることを許すも何も無くて、尊厳というものを持ち合わせていない、いや、正確にはあるのですがとうの昔にどっかに置き忘れてきちゃったのです。

前はあったのですよ。恥の概念が。

彼らは恐ろしいことに自分が歪(いびつ)な状態に陥っているとは微塵も思っていません。むしろもっと純粋でピュアな感情だと思っています。
思っていると言うか、ピュアな気持ちになりきっている。
と言った方がいいかも。

今回のこのギャラリーストカーの記事の最後のカテゴリーのサブタイトルが
「自分の尊厳を自分で傷つけている」
でした。

その中の一文。

だけど、周りから指摘された間違いを正して、相手の言ってることを理解できたら、誰かからはちゃんと愛されます。人生はそこで終わりじゃないし、それまでやってきたことも無駄じゃないから、どうか話を聞いて、自分を振り返ってほしいと思います。

愛に満ち溢れた言葉です。
そうしたおじさん達に届けば良いのですが。
残念ですが届かないし、届いても響かないでしょう。

だから周りがフォローする必要があります。
もちろん狙われそうな被害者を守るっていう意味です。


最後に、目の前で見た悲しきおじさんの事例を1つご紹介。

それはわずか3年前の1年間だけの職場でした。

オジサン10人は派遣されてきていますが一応スーツを着用です。
社員の方たちも同じお部屋にいます。

そこに3人の女性が補助として部屋の真ん中に4机の島をつくって作業することになりました。それまでは男だけでした。
だから派遣されているおじさん達はちょっとうれしくなっちゃいました。
もちろん全員ではないですがウキウキです。

3人のうちの女声1人は40代。
あとの2人は学生のバイトさんです。

おじさん達はこの中の1人に意識が集中します。
この女性をAさんとします。

ある50代後半のオジサンが私に相談をしてきました。
この男性をKさんとします。

Kさんは
Aさんが優秀で素晴らしい女性あることを説明しています。
(3人の仕事内容を評価する立場に居ないのであくまで感覚もしくは思い込みです)

KさんがAさんにめちゃめちゃ好意を持っていて、それを隠せないほど夢中なのがわかります。 50代後半が20才にとかもうそんなのコレッポチも意識に有りません。
少しヤバさを感じるKさんに僕が「Aさんは普通ですよ。気のせいです。素敵でも何でも有りません!」とも言えません。

翌日Kさんはみんなの居る部屋で(かなりガヤガヤしている)Aさん1人に「ケーキ何が好き?」とカタログを見せています。

ちなみにそこはデパートの中の社員部屋なのでデパートの店舗のカタログがあります。だからスイーツショップのカタログがあるのでそこは造作もない事です。
ケーキのカタログをAさんにみせてしきりに好きなケーキを選ばせています。

他の二人の女声は聞こえないふりです。
最年少のAさんがここで「わあ、私これが好きです〜」と場違いなことは言えません。ちゃんと場の空気を読んでいます。Kさんの言う通り優秀です。

周りの男性も大勢いますがKさんは本当に純粋にAさんの好きなケーキが知りたいのです。 半ば無理やり聞き出した後、Kさんは私に色々手伝ってくれるようにお願いしてきたので私はケーキを冷蔵庫に入れたりしました。(私も同罪!?)

そしていよいよ就業間近。

満を持してKさんはAさんにケーキをプレゼントします。

部屋には私と女性3人とKさんしかいません。

あのシーンとした部屋で、Aさんだけにケーキをプレゼントする。
今日はクリスマスでもホワイトデーでもないただの日常。

40代の大先輩女性の隣に座るAさん。

極めて機械的に「ありがとうございます。」とだけ伝えまるでなにごともなかったかのように仕事を続けます。

Kさんもここで多少我に返り、あとは特に何も起きませんでした。

多くのオジサンは若い女性に好意を持った時、自分は高校生か20代の若かりし頃に戻ります。その結果一瞬で周りが見えなくなります。

さきほど引用した文章の中に

そんなふうに人としての尊厳を欠いた状態で他人に認識されているって、悲しい。だけど彼らは、自分がそんなふうに他人から認識されることを許しています。

とあります。

認識されることを許していると。

結果論としては許していますが、若い女性を目の前にしたギャラリーストカーなりオジサンには目の前の女性にたいする純粋な思いしかないので周り、他者は存在しません。

許すも何も無いのです。

でもどこかで我に返るときはあります。

その時、それまでのことは無かったことになります。

仮にそこで相手の女性が恐怖を感じていたとしても、それを指摘されたとしても、もう無かったことなので反省のしょうがありません。

またそう見られていると知ったところで悲しくも有りません。

わが道をいくだけです。

現在の50代から60代の人々はバブル経済の時代を経験しています。この世代の中にはその時代の影響を受け、(自信に満ちた人々がいることが見受けられます。
半ば根拠のない自信でもあります。

そもそもバブル時代には「このまま株価は上がる。」という根拠のない自信が世間にあったと認識しています。

社会がそもそも根拠ない自信に満ちていたのでそのときに生きてきた人々にもその感覚は根付いていてそれは今もそのままです。

働かないオジサンも根本のところではこの根拠ない自信の時代に培った感覚が生み出しているのかも知れません。

ちょっと話それましたが、この自信は時には彼らの強みとなります。
もちろん過度な自信は「ヤバいオジサン」と見なされる原因にもなり得ると考えられます。

ある意味ピュア。

寂しいオジサンという見方もありますが、自信だけはあるので決して自分を寂しいとは思っていないはずです。だから妙な同情は不要です。
マインドの自己修復機能は若者の比ではないのです。
オジサンはつおいのです。

これからもわが道をゆくおじさん達を、どうぞよろしくお願いいたします!

ごきげんよう〜


追記:長すぎました。オジサン研究しているわけではないのでもう今回を最後にしようとおもます。

なお一部、ChatGPTから以下のような指摘を受けました。

この文章は、特定の人物像(この場合は「ヤバいオジサン」という表現を使用している)についての意見や評価を表していますが、いくつかの点で慎重な言葉選びが求められます。特に、個人や特定のグループに対する批判的な表現は、不適切に映ることがあります。文章をより客観的かつ丁寧な表現に変更することを提案します。

もし今回の文章を読まれて不快な気持ちになられた方がいらっしゃったら、、、それは感じ方の問題です! by おじさん


さらなる追伸 ChatGPTのGPTsにサムネの作成を断られた件と、DALL-Eが作ってくれたイラスト。

以下のようなプロンプトを投げました。

50代の日本人男性が、若い女性を好きになる様子。でも若い女性は拒否をしている。そんなイメージのサムネイルがほしいです。

GPTsの中にCanvaがあります。
CanvaのGPTsには「ネガティブなワードが入っているので作れない」と拒否されましたが、DALL-Eさんは作ってくれました。

それが今回のサムネです。

なんかいい感じ〜


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