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「表現の自由の十字架を分解してみたパレット」


「表現の自由の十字架を分解してみたパレット」4篇



「十字架」


おまえは聖女ではない
おまえは悪魔だ


そう言われて
敵国で灰にされたジャンヌ・ダルク

処刑を免れるために
発言を撤回することはなかったソクラテス

地動説を主張して
命を絶たれたのはブルーノだった


コぺルニクスでもなく
ガリレオでもなく

律法の限界を説いたイエスは
民衆の声によって十字架を背負うことになった



「反省が足りないと言われるとき」


反省は
どれくらい提示すればいいのだろう


悔い改めが足りない
償いが足りない


あちら側とこちら側


OKとする反省の度数は一致しない


失敗に対する反省の場合は
成功するまで許されないということなのだろう


価値観が異なる場合


『反省が足りない』ではなくて


『その価値観は間違っている』


『オレに従え』


ほんとうは そういうことなのだろう

反省を要求する相手に服従して
相手の思い通りになった


反省が足りる基準は
そういうことなのかもしれない


「ビッグバーン」


制限がなかったはずのワールド
新しく開いたはずのワールド
そう思っていたはずのワールド


個人の価値観を展開する個の集合体


価値観と価値観が対立して
価値観をつぶし合うこともできれば


価値観と価値観が共鳴して
ボーダーラインを越えての価値観を求めることもできる


個人の欲求を満たす個の集合体


自由と自由が対立して
自由をつぶし合うこともできれば

自由と自由が共鳴して
自由と自由が手を結ぶこともできる

制限がなかったはずのワールド
新しく開いたはずのワールド


ルールを作らなかった空間にも
やがて
ルールは作られるようになる


ビッグバーン


その構想の中に


ルールはあったのだろうか


「言葉に表現の自由はある?」


表現の自由と言ってみてたところで
伝えたいことを伝えようとするとき
共通の言語を使うしかない


相手が知らない言葉を使っても
伝えたいことは
伝わらない


造語を使って
自由度の増加を得たとしても
品詞の特性みたいなものは
なんとなく守っている


自由とする場合


表現の自由に重きを置くよりも
思考の自由
価値観の自由
ということになるのだろう


言いたいことを言って
なぜ悪い?
それを自由とするなら
表現の自由というのはピンと来ない


その表現こそ
自由を感じられない


言い方を変えると
芸がない


もっと完成度の高い表現を探す

そういうのが表現の自由

そう思っているのだけれど


#詩人のパレットQ4

オリジナル詩と音楽AI生成、イラストAI生成で遊んでいます。 YouTubeチャンネル「ポエトリーパーク910 」 https://www.youtube.com/@QioPoetryPark