「ジェラシーの雫を飲んだ魔物」
「自分」という「魔物」は
目に見えないらしい
自分は
自分を正しく
判断できていると思っている
考えるということ以上に
夢中になれるものがない
何をしていても
思いがめぐる
種火の音を聞き分けて
だいじょうぶだと
そう声を出せたら
正しさの味を確かめる
苦いときは
少しミルクをつぎ足せるようにしたくなっている
思考のレシピ
自分がある
自分がない
オリジナリルとエゴイズムの境界線なんて
あるのだろうか
自分があると罪?
自分がないと愚?
自分自身の中で
ひとつの価値観を
つらぬくのは
難しいのに
他者が
違う価値観を持って
近づいてくると
自分で
つらぬけていない価値観を
守ろうとする
限りなく
正しい答えに近い場所で
生きることには
力が必要だ
やさしさは
れっきとした力だ
素直さも
れっきとした力だ
受け入れる力も
選ぶ力も
組み合わせる力も
そして
それらの力で
生きてゆく人生は
れっきとした人生だ
人生が変わる
そういう劇的な瞬間ばかり
望まないほうがいい
90度とか
180度とか
方向転換があるほうが
かっこよく見えるから
そういう瞬間ばかり求めてしまう
それが人生の目的じゃないのに
それが生きてゆく理由じゃないのに
ジェラシーの雫を飲んだ魔物
「自分」という「魔物」は
目に見えないらしい
オリジナル詩と音楽AI生成、イラストAI生成で遊んでいます。 YouTubeチャンネル「ポエトリーパーク910 」 https://www.youtube.com/@QioPoetryPark