骨のない魚を食べたいよ

骨をすべて取り除く器用さや忍耐力もなければ、喉に引っかかることを覚悟して飲み込む気風の良さもない。

大事だと思うことは苦手なものと複雑に絡んで成り立っていた。
能力と性質が混同して述べられることが多い。多様性とかありのままとかの一人歩きで。○○力を○○性と置き換えて、反対側に対になる××性を作って両方いいねと。でもね、社会に対してアクセスできる方が強いに決まってるよ。言葉でごまかしたって結局は優劣でしょう。変わらない自分のままで欲しいものがすべて手に入るならいいけど、当たり前にそんなことはない。なら自分の個性なんて大事なのか。そもそも自分らしさを確立している人間なんているのか。

可食部を食べきるには工夫が必要なことがわかった。

そんなわけで最近の取り組みを書きます。
まず、ぼやかす言葉の使用を減らしています。これは「かも」や「とか」などです。こういう可能性を残す言葉は判断を先送りにしています。自分が決断しないことで誰かの生活を滞らせていることもあるのでしょう。現に、自分の生活が滞っています。

そして、業務連絡以外でも自分から連絡するようにしてみました。人間は意外と情報を共有して生きるものなのだと知りました。人から連絡が来たら嬉しいものだし、人懐っこい人は愛らしいものですしね。

こうやって目に見えて取りやすそうな小骨から取り除いてみています。まずスタートラインに立てるようにのろのろと歩みを重ねますよ。

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