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Let's talk about 90's

これは、地方に住む、ひとりの音楽好きから見たことだけで、本当がどうだったかというのはあまり念頭にない話なので、ご理解いただければ幸いです。

90年代初頭に音楽を自発的に聴き始めた私、すぐにトリコになり、漫画を買うのをやめ、小遣いをCDに注ぎ始めた。音楽はCDで聴くか、テレビで見るか、ラジオで聴くかという時代だった。もちろん、ラジコなんていう便利なものはないし、県内の限られた局の番組しか聴けなかった。

もちろん、SNSなぞおろか、インターネットもなかったし、個人情報に関する決まりも何もなかったので、好きな音楽を語る友達が欲しいと思えば、音楽雑誌の「文通相手募集」に住所・氏名を載せてもらい、手紙が来るのを待ったような時代だ。「売ります」「買います」「バンドメンバー募集」のようなものも同様に雑誌誌面で扱われていた。

アーティストのインタビューなどというものも、雑誌でしか読めなかった。今でこそ、いろんな雑誌が休刊・廃刊に追い込まれているが、当時は雑誌の全盛時代、好きなアーティストが載っていればたくさん買ったなぁ。

だから、今みたいに好きなアーティストに対し、直接何かを言える場所なんて、ファンレターくらいしかなかったし、ファンはテレビやラジオ、雑誌を通して、ありがたい彼らの言葉を受容するしかなかったのである。

では、どのように音楽をディグったの?と言われれば、雑誌はもちろん(色んな人が載っているので興味があれば聴いてみる、とは言ってもCDを買わなくちゃ聴けないのが基本だったから、ハイリスクであった)、フリーペーパーや、あとは通信教育教材の音楽紹介のコーナーとか、聴いて確認できたのは、テレビやラジオと言った音を伴う媒体、もしくは試聴機くらいのものであった。

そんな時代なので、アーティストは「スター」だったし、聴く方も何かを崇めるような気持ちだったに違いない。
だからこそ今、アーティストが血の通った言葉をSNSやライブなどで直接ファンにかけるのを目にすると、目頭が熱くなるような気持ちである。90年代には、こういった血の通ったコミュニケーションなんてなかったのだからな。

そう、だからこそ、音楽の流行りは聴く方が決めるのではなく、タイアップでたくさん流されるという「与えられるもの」だったような気がする。お茶の間のヒット曲がいっぱいあったし、それを大勢が歌えて、カラオケでは取り合いとかしてたのだから。

私は、文通もしたし、その中でグラスバレーを教えてもらうことができた。多分、出口さんの次のキャリアとなるREVはBeingの所属だったので、グラスバレーについては隠されていたのだと思う。だけど、だんだん音楽ネタも語ることがなくなってきて、パーソナルな話に変わっていくのが常で、やり取りも最後はだんだん尻つぼみになっていった。でも、帰ってくると手紙が届いてるかも?というのは大きな楽しみだった。

90年代前半は、そうやって与えられる音楽の中から聴くものを決めていった感じなので、あまり「知る人ぞ知る」みたいなものを知らない。ハマったら旧譜を掘るというのは、この頃から変わっていないけど。

自分で横に掘るようになったのは、スピッツとL⇔Rの大流行に乗り遅れたことがキッカケとなった。スピッツもL⇔Rもデビューしてすぐにブレイクしたバンドではない。そして、そのデビューから売れる間に既に知ってた人の話を聞くと羨ましくて、自分でもそういうバンドを見つけてみたくなった、、、というのが原点。その頃はフリーペーパーも全盛期だったので、Being系のフリーペーパーとSONY系のフリーペーパー「GET」を出るたびに欠かさずもらっていたなぁ。

「GET」には、今でも活動している、フラワーカンパニーズ、Hicksville、ザ・カスタネッツ、Theatre Brookなども載っていた。さらにそのフリーペーパーに収まらず、そこから会員登録すると「BLOVER」という無料の会員組織に加入でき、試聴用のシングルCDや、VHSビデオ、冊子が送られてきた。この組織でさらに音楽を知ることができて楽しかった。その中にKangaroo Pocketsもいたし、他はオセロケッツ、平井堅、スキップカウズ、移籍したばかりのマッキー、古内東子、Continental Breakfast、The Chewinggum Weekend、奥田民生、他にも色んな音楽をたくさん教えてもらった。今は送られてきたシングルCDしか残っていないけれど、これは既に貴重な資料なんじゃないかと思う。

あとこの頃は、SONYのデビューしたてのアーティストの最初のアルバムが2000円だったので、経済的に厳しい高校生はいいカモになってたかも。。

で、現在、SONYでは、Discover the 90'sという発掘企画を行っていて、私が聴いていたアーティストも聴いていなかったアーティストも色々レビューがされて、サブスク解禁されている。
その中で現在Kangaroo Poketsが最新のPOSTとなっているのだが、この中で「やっぱりそうなの!?」という言葉が書かれていた。

(以下引用)
どファンクなのだ。ソウルなのだ。R&Bなのだ。総じて言うと、歌って踊れるブラック・ミュージックなのだ。で、ロック・バンドの編成で、日本語で、そのような方向性の音楽を受け入れる土壌が、90年代の日本には、まだなかったのだ。今思えば。

ええーーーー!!
私達は、これを知らずにロックとして聴かされてたんだ・・・orz。
そう、当時、J-POPという音楽は、日本の音楽というくらいの意味合いでしかなかった肌感がある。そして、それはすべてが乱暴にROCKとPOPSにしか分かれていなかったから、日本人がFUNKをやろうとも、それはROCKにカテゴライズされていた(驚)。でも、うすうす変だなとは思ってたけど。
だから、私達世代は、90年代や80年代をディグっている若い人たちと比べると、ジャンルというものに非常に疎く醸成されているのである。
(今思えば、そりゃーcdmもKroiも好きだわよ!って感じですな。)

(以下引用)
「今度やる新人バンド、観てくれない?」と旧知のディレクターに誘われて、ライヴハウスに足を運んだ。ライヴが終わって「どう?」と感想を訊かれた。「うーん……俺がディレクターだったら、やんない」と、正直に答えた。「なんで? 曲、よくない?」「いや、曲はいい。とてもいい」「だろ? じゃあ、やっぱり、あれか?」「……うん」。
要は、「このルックス、売りにくい! パッとしなさすぎる!」と思ったのだった。んなことねえよ、そんなバンドなんぼでもデビューしてるし、ブレイクしてるのだっていくつもいるよ、というのは、2020年の今だから思えることです。

2つ目の引用は、スキップカウズに対してのレビューより。そう、これもそうだった!と思うのが、90年代のメジャーシーンでは、見た目の偏差値がそれなりに必要だったということ。そうだよなー、T-BOLANの森友さんも、REV出口さんもめっちゃかっこよかったし、L⇔Rだってスピッツだってミスチルだって、みんな高感度高かったもの。。今売れているバンドでも、この時代で売れたかどうかというと、疑問符がついてしまう(具体的に誰とかは言わんとこ)。

そう、90年代って、意外と「メジャーシーンで出す音楽」に対して、縛りが多かったのだな、と認識させられる。それも、タイアップあってこそのヒットという図式があったから、一般のリスナーの好みというより、流行を投げかける側の意図が強く出た時代だったからだと思う。多分、インターネットもなくて、一般の人の意見などが世間を出回らない時代の産物・・・だったのだろう。

90年代半ば、J-POPの品質の飛躍的向上があった影で、こんな制約があったことに、今になって知らされた。面白いタイムカプセルが今後も開封されていくであろう。新しく聴く人たちには新鮮な話だと思うけど、当時を生で体験してきた私達にとっても、面白い答え合わせになっているのである。

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