かくかくしかじかで、VR ZONE SHINJUKUに行ったでござるの巻

 コンピュータゲームは2次元のディスプレイ上に産まれて、3次元を目指して様々な挑戦をしてきた。ファミコン3Dシステム、セガ3Dグラス、バーチャルボーイ、メガバイザー、PUD-J5A、とびだシッド、ニンテンドー3DS、他色々。そして今、VR HMDが新たな挑戦の舞台になっている。その最先端のひとつが、バンダイナムコのVR ZONE SHINJUKU(以下、VZS)だ。

 基本的にはゲームメーカーたるバンダイナムコゆえ、そこで体験できるコンテンツ――彼らは「アクティビティ」と呼ぶ――はゲーム寄りの内容になっていた。しかし、それは「VR HMDには慣れきって今更感動を覚えず、ゲームとしてどうかという観点からしかコンテンツを見ない者」にとっては、「素晴らしい未来のゲームだ」ではなく、「ひょっとしてゲームが夢としてきたVRは、ゲームに不向きなんじゃないか」という感想を持つ内容だった。

 これはそういう話だ。

 なお念のため言っておくが、主観的な低評価こそ付けるがバッシングする話ではない(明らかな失敗だろうという部分以外は)。あくまで、ノリの悪い男が遊園地に行った日の手記みたいな物である。


■主観という新たな呪い

 従来のゲームは、基本的に第三者的な視点を取ってきた。プレイシーンが一人称のゲームでも、デモシーンやプレイヤーの得る情報まで絶対的に一人称である事は稀だ。

 しかし、VRコンテンツは基本的に視界が主観に限られる。プレイが時間制のコンテンツでは「過去の情景をフラッシュバックする」のような表現も使いづらい。

 これにおいてまず問題となるのが、「画面端が無い」という事だろう。二次元的なゲームは「邪魔にならないUI」を実現するため、画面端に体力ゲージや制限時間などを表示してきた。しかし、VRコンテンツでは何処に置いてもUIが邪魔になる。特定のポイントをマークするとメニューがポップアップするような作りにしても、ポップアップまでのタイムラグがプレイのテンポを削ぐ。

 また、VRコンテンツは多くの場合「主観的な:実際に目で見たような」視界を表現するため、ゲーム的なUIが省かれる傾向にある。ゲーム的なUIとはつまり、攻撃のヒットマークや攻撃を当てた敵の頭上にポップするダメージ値などだ。これはゲームプレイに弊害をもたらし、特にVZSで稼働している『エヴァンゲリオンVR THE 魂の座』は、それを明確に受けていると感じられた。

 エヴァを操作して第10の使徒と戦う『エヴァンゲリオンVR THE 魂の座』には、「制限時間内に倒しきれるか否か」という成功および失敗が定義されている。プレイヤーはライフルとガトリング、N2ミサイルで戦う訳だが、この攻撃が効いているのかいないのか、ダメージの入り具合が明示されないので、かなり解りづらい。受けるダメージも同様だ。

 ゲームとしての構築を考えるならば、普通に体力ゲージを表示するか、もしくは昔のセガのガンシューみたいにターゲットマーカーを表示してその破壊を積み重ねていくかというところだが、前述の通りそういったUIは省かれている。視覚的な表現を避けるならば、オペレーター3人衆や葛城ミサトに逐一アナウンスさせる(「有効射程の範囲外!」や「装甲損傷、下がってシンジくん!」みたいな)という方法も思いつくが、それはそれで煩そうだ。ゲーム的なUIを削いだ画面構成では、ゲームとしての駆け引きをプレイヤーが掴み難い。ただ、「架空の存在のシミュレータ」という方向性については個人的には大正解だと思う。

 VRにおける表現とは体験の再現であり、VRコンテンツはまず何らかのシミュレータであるべきだ。その点、VZSの『釣りVR GIJIESTA』は、実際の釣りを単純化したシミュレータであり、体験したアクティビティの中では一番面白いと言えた(評判の良い『装甲騎兵ボトムズ バトリング野郎』や『マリオカート アーケードグランプリVR』には触れていないので、VZS内における“最高”と言えるかは解らないが)。

 ゲームにとって「単純化したシミュレーション」は一種の最適解であり、タイトーの『ミッドナイトランディング』や『電車でGO!』、『パワーショベルに乗ろう!!』などはヒットを飛ばした。しかし、このジャンルは基本的に「実際の体験」を超越できない。全く主観的な話にはなるが、実際のバイクの運転はバイクレースゲームの『RIDE2』や『MXGP2』をプレイするよりも愉しい(もちろん、プレイの気軽さや肉体的負担が少ない等のゲームならではの良さはある。また、これが『ハングオン』や『スズカエイトアワーズ』、あるいは『モーターレイド』や『サイバーサイクルズ』くらいだと別物としての面白さもある)。『釣りVR GIJIESTA』もまた、実際にあるスポーツを単純化したものなので、実際以上の愉しさは演出し難い。

 「VRコンテンツならではの愉しさ」を最大限に発揮させるならば、そのコンテンツは「架空の存在をシミュレートするもの」だとより良いだろう。それを考えると、スクエニの『MONSTER OF THE DEEP: FINAL FANTASY XV』は発表時点で「先鋭的なハードウェアに向けられた人気タイトルの正統シリーズ最新作のスピンオフ作品が釣りゲーかよ!」と思ったものの、「超常的な存在を相手にした実際に普及している釣り」を体験できるというのは、VRコンテンツとして大正解なのではないだろうか。

 しかし、架空の存在のシミュレートは難しい。想像だけで実在しない街の絵を描くようなものだ。それにおいて、VZSの『アーガイルシフト』と『機動戦士ガンダム ダイバ強襲』は、失敗しているように感じられた。


■VRのRはリアリティのR

 『アーガイルシフト』の基本的な哲学は『スティールガンナー』や『スターブレード』に代表されるレールシューティングのものだが、それをVRコンテンツに落とし込んだことにより、「敵が脇を素通りして後方に消えた」や「視界に入っているのに攻撃の手段が無い」というような、「リアリティある空中ロボットバトルの体験」からはかなり掛け離れた内容になっている。

 デモシーンでも、「自機は敵に囲まれている。交戦状態にあるが、自分は撃てない。何か自機の特殊機能が発動したが、周囲の敵はボケーっと眺めている」という状況になり、これは単純な映像表現レベルでの失敗である。これが『エースコンバット』シリーズのようなタイトルであれば、主観のプレイシーンから神の視点によるデモシーンへ切り替え、自機と敵機のドラマチックな鍔迫り合いを演出できるだろうが、視点が主観に縛られるVRコンテンツではそれも難しい。

 また、「誘導ミサイルをヘッドトラッキングで操作する」というシーンも辟易した。何処の世界に首の動きで軌道を操作するミサイルがあると言うのだ。て言うか、何でその操作性が最適だと思った。マジで。また、そのシーンではリアルタイムのスローモーションという非現実的な光景を主観で見せられるため、まるでナンセンスの塊となっている。

 VRコンテンツにおける「主観ゆえの表現力の低さ」は、今後も長く命題として残りそうな気配だ。VZSの『極限度胸試し ハネチャリ』も、ステージ演出を見せるために「幾つかあるルートを選び、それに沿って進んでいく」という内容になっており、自由な飛行が出来る訳では無いので、高所というシチュエーションに特別な恐怖感や高揚感を覚えない身にとっては「やらされてる感」が否めなかった。

 ただ、『アーガイルシフト』でコックピットに同乗している美少女ロボの造形はかなり良い。このロボが移動中に席から外れ、「女が邪魔でモニタが見えない」という状態になったのは、ゲームプレイとしては好ましくないものだが、「現実味のあるフィクション」としては悪くないと感じられた。意図的ではないだろうが。

 そして『機動戦士ガンダム ダイバ強襲』は、余りにも「能動的な愉しみ方に依存したコンテンツ」だった。「あなたはザクに襲われた! アムロ・レイがガンダムの手に載せて守ってくれる!」いかにも愉しそうだが、突っ立っている分にはザク・マシンガンは絶対に当たらない、ガンダムには絶対踏まれない、ヒートホークは絶対当たらない……というのは、ネタバレしているホラーハウスみたいな物だ。「足が着かないチェアに座って、加速度を感じなくても違和感が無い程度の視点移動を映像で見せると、そこそこ臨場感のある浮遊感を味わえる」というのは面白い体験だったが、視聴コンテンツとしての面白さは皆無だった。ガンダムの装甲の内側を覗き込んで「流石にフレームまでモデリングされてはいないか」と思った事には、ゲームでグリッチを試している時のような面白さがあったが、それは言うまでもないがイリーガルだ。正直な感想は「金取るものか? これ」だった。


■ただまあ、誤魔化されやすい性格の方が人生は楽だぞ

 「アーガイルシフト」も「機動戦士ガンダム ダイバ強襲」も賞賛するコメントはTwitterで目にする。しかし実際に体験した後では、それは「面白い」と“されている”から「面白い」と言われているようにしか見えない。

 人間は感情が豊かな生き物だと言われるが、実際のところ自発的な感情というのはごく僅かだ。「面白い」と“されている”芸人の一発ギャグを見れば愉しくなり、「哀しい」と“されている”葬式や卒業式では哀しくなり、「怖い」と“されている”ゴキブリやカマドウマを見れば怯える。人間は、経験から「状況に応じて発露すべき感情」を学習し、半ば無意識的ながら、それを能動的に発露させる。大抵の一発ギャグに面白みは無いし、大抵は離別で泣くほどの執着なんて無いし、毒針を持たないゴキブリやカマドウマに恐怖を覚える理由は無いのに。

 既存IPのファンを愉しませるのは簡単だ。キャラクターがプリントされたチープな缶バッジやアクリルスタンドでも作ればいい。僕だってそういう物を買う事はある。エンタテインメントも同様で、ユーザーが自発的に愉しむ物と、能動的に愉しむ物の2種類が存在する。ディズニーランドやニコニコ超会議におけるメインユーザーは愉しそうにしているが、そうでない僕はIKEAの家具でも組み立てていた方が、「造る」というプリミティブな面白さを愉しめる。

 僕はシューティングゲームが好きだ。シューティングゲームには、「撃って壊して得る」というプリミティブな面白さがある。基本的に、あらゆるゲームの価値はそういった面白みが有るか否かで測っている。僕の哲学において、「キャラクターのモデリングとモーションが可愛いからゲームシステムは置いといて良作」みたいな評価は唾棄すべきものだ。

 しかし、VZSのアクティビティに触れた限りでは、「既存IPやチープな驚きに依存しており、プリミティブな面白さを欠いてしまった側面は否めない」と感じられた。バンダイナムコは強いIPを幾つも抱えているが、それで足元が疎かになっていると。まあ、「アクティビティ」と呼び、「ゲーム」とは標榜していない辺り、それは承知でIP偏重の姿勢を取っているのかも知れないが。商業的には、そっちの方がよっぽど正しい訳だし。個人的には、愉しむ気が無くても自然に高揚できるような、プリミティブなゲームの面白さをVRコンテンツで表現して欲しいものだが。それか「ギャラクシアン3」のVR版。

 既存のゲームの哲学、およびバンダイナムコが得意とする商法の上では、僕のような人間がVRコンテンツに新鮮な驚きを持つ事は難しい(既存の技術の延長線上の凄い物としては感心もするが)。ゲームが夢としてきたVRは、実際のところ従来のゲームには根本的に向いていない――つまるところ、設計哲学の部分から、従来の二次元的なゲームとは大きく異なる考え方が求められる。「このゲームを主観で遊んだら面白そうだな」というタイトルは幾つもあるが、しかし例えば「鉄拳」を主観視点にしたら、方や空を眺めながらボコボコ殴られ、方や浮いた敵の尻にパンチやキックを突っ込み続けるという状況になるだろう。「鉄拳7」のVRモードが戦闘の鑑賞である事に不満を訴える者は多いが、現状ではどうしようもない。VRコンテンツは、まだまだ発展途上なのだから。




■余談

 そういや慣れてるからかも解りませんけど、VR酔いは無かったですね。バンナムはエーコン7のVRでも酔いは相当考慮してるそうですが、その辺はなべて高成績。

 滑り台とかボルダリングとかは普通にスポーツとして面白いんじゃないでしょうか。やってませんけど。

 飯はかなり旨そうです。食べられませんでしたけど。

 脱出病棟Ωは、ビックリ系ホラーが嫌いなのでやりません。コエテクVR SENSEの「ホラーSENSE だるまさんがころんだ」のデモは以前やりましたけど、延々ビックリの前フリが続くので嫌でした。急に怖い顔見せたら驚くし、急に怖い顔を見せそうな空気を醸し出されたら怯えるっての。表現としてはビックリFlashと大差ねえぞ。まあVR SENSEは暗い個室に押し込められるので、ホラーとの相性はいいですね。昔、旧アトラスが確かインデックスとの資本提携ちょい前くらいに販売した「4Dミニシアター」での「バイオハザード フォーディーエグゼクター」は、圧搾空気の連射でゴキブリの大群の触感を再現したり、立体視で触手にぶっ刺されるのを体験できたりというのが爽やかに気持ち悪かったので、僕はそういうのがいいです。

 あと、ドラゴンボールのやつはドラゴンボールのなりきり以上でも以下でもなかったので、特に言う事はないです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?