「GODZILLA 怪獣惑星」はあんま愉しめなかったし、設定や演出に杜撰な点が散見されたけど、まあ突出した怪獣作品が最近あってそれに見劣りするっていう点もあるし、にしてもダメな部分はダメだったなっていう話

■SF設定は呆れるほど雑

 まず、SF設定が杜撰である。地球に怪獣が大量出現――これはいい。最強の怪獣ゴジラが人類文明を破壊――これもいい。陰謀を抱いて来訪した宇宙人――旧作には宇宙人・未来人・超能力者が居たのだから別にいい。エイリアンテクノロジーの亜空間航行やスパコン――艦首にドリルを着けた潜水艦が空を飛んでいたのを考えるとマトモ過ぎるとすら言える。
 問題は、いざ地球に戻ってきて、ゴジラに挑む理由だ。ゴジラは強大な脅威だが、結局のところ一頭しかいない(ように見える)ので、宇宙船を運用する技術レベルならば、遭遇しないように逃げ回ることは容易だろう。
 地球降下作戦の隊長・エリオットは、セルヴァムとの初交戦後、「月面に植民地を作って資源を地球から運ぼう」という案を語る。まったくもって尤もであり、勝算があるとは言ってもリソースが乏しい状態で大きな損耗を強いられる戦いに挑むのはアホのやる事である。と言うかそもそも、この案が出る事自体、「いきなり太陽系を脱さなくても、月面やラグランジュポイントのスペースコロニー建設で地道に橋頭堡を築いていくべきだったのでは?」という仮定を呼び込むのだが、そういう考えは無かったのだろうか。冒頭に登場した“姥捨て”の惑星が仮にも植民候補になるのなら、火星や金星のテラフォーミングだってよっぽど楽そうだ。それをしないで宇宙を彷徨うというのは、どうにもアホっぽい。まあ、金星にはキングギドラがいるかも知れないが。

 先述の通り、リソースが乏しい状態でゴジラに挑むのはアホなのだが、主人公・ハルオは「怯えて生きるのではなく、ゴジラに立ち向かって誇り高く生きよう」といった旨の主義を掲げ、対ゴジラ作戦を展開する。「賢い生き方よりも勇猛な生き方」とは作話における一種のセオリーであり、また「魔法少女まどか☆マギカ」の“ほむらの静止を振り切って変身するまどか”や「鬼哭街」の“復讐のために死闘を繰り広げる濤羅”、或いは「沙耶の唄」の“治療を拒み狂気の世界で沙耶を愛することにした郁紀”など、脚本の虚淵玄氏が持ち味とするスタイルでもある。
 ただ、これは捨て身の「叛逆者」である時にこそ輝く設定だ。指揮官のキャラクターにこのスタンスを与えると、「部下を引き連れて崖に突っ込んでいくアホ」になる。ザビ家への報復を狙うキャスバルのような立場ならば、そのキャラクター付けでもいいだろうが、ハルオはそのような立ち位置でもない。そして、そんなハルオに扇動されてノリ気で対ゴジラ作戦に挑む隊員達は、どうにもアホっぽい。
 また、作戦行動中には指揮官が命がけの行動に挑むというシーンが2度も描かれる。漫画的なシナリオとしては定番の「熱い展開」というやつだが、現実的には「やってはいけない事」だろう。まして、演出も「もう指揮官自らが飛び込むしかない!」というほどではない。言うまでも無い事だが、指揮官が戦死したら指揮系統が混乱して隊が瓦解する。アホっぽい。

 リリースが乏しいって言ったけど、もしかしたら乏しくないかも知れない。“姥捨て”の惑星に向かう揚陸艇が爆発するというシーンがあるが、これがもし人為的な爆破だとすると、相当量の燃料や酸素、化学物質などを消費したことになる。リソースに余裕が無ければ出来ることではない(劇中では「知的生物の存在する惑星では、最終的にゴジラに準ずる生物が出現し、全てを灰燼に帰させる」という事が語られる。”姥捨て”の惑星が準ゴジラによって「既に滅ぼされた」惑星であり、そこに住まう準ゴジラが揚陸艇を撃墜したとすれば理解もできるのだが、しかし爆破の真相は劇中で明かされない)。
 また、遺体が宇宙葬で船外に放出されるという描写もあったが、これもリソースが乏しいという設定にそぐわない演出だ。一般的な成人男性なら痩せていても5,60kgの重量はあり、それは水と有機物で構成されている。ハンバーガー500個分くらい(マクドナルドのハンバーガーが109gであることから極めて雑な概算)のエネルギーはあるだろう。カニバリズムが蔓延する最悪の極限状態まで描けとは言わないが、「遺体を含む様々な有機物を分解して閉鎖環境内における循環サイクルへ還元するプラント」はSFとしては定番のガジェットであり、例えばあさりよしとお氏の「アステロイド・マイナーズ」や弐瓶勉氏の「シドニアの騎士」、そのほか「マクロスF」(これは実際観てないうえ、埋葬墓地の無い遺体がプラント送りにされたという描写なそうだが)でも描かれている。
 でも乏しくないってことにすると「じゃあ船内に暖房が効いてなかったり、食糧配給で水のパックしか与えられなかった描写ってナニよ?」って事になるし、それは誰もわからない。て言うか寒さに関しては、普通に考えて搭載物資の梱包材や作業用のダクトテープくらいはあるだろうから、それでテントでも作れば多少マシなのではないだろうか。それをしないというのは、なんだかアホっぽいし宇宙ヤバイ。
 まあ、船内時間にして20年ばかりで限界が来ていたあたり、数百年単位での宇宙探索は考慮されていなかったとも考えられるが……それで広い宇宙を探索しようというのも乱暴な話だ。超技術のスパコンがあるから数十年で移住惑星が見つかると踏んでいたのかも知れないが。まあ、どんな裏設定があったところで作品上で語られていないのならば、評価には値しない。

 そんな訳で、どうにも皆「アホ」に見えるのだ。系内惑星への植民を考慮せず太陽系からトンズラし、その船は装備不十分で、思慮浅はかな首脳部が資源を浪費し、別段工夫もしないでリソース欠乏に困り、乗員達は容易に雰囲気で流され、現場責任者が率先して死ににいく。360°見渡してもアホばかり。全員が自分なりの最善を尽くしていた「シン・ゴジラ」が先にあるので、なおのことアホ達の群れに見える。

 とは言え、アホな事自体はそれほど悪くはない。問題は、そのアホを蹴散らすほどのパワーが無い事だ。船員達が正気でなくゴジラ撃滅に狂気を燃やしているのなら、損害を顧みない対ゴジラ作戦もすんなり受け入れられるし、移民船内にディストピア的な管理社会が強いられているのなら、困窮に甘んじている人々も理解できる。しかしシナリオはヌルヌルと流れ続けるだけで、考証を吹き飛ばす程のパワーがあると言えるのは、クライマックスの5分間、本物のゴジラが暴れるシーンだけだった。

■画の情報量的に怪獣が2種類だけというのは非常に厳しい

 "怪獣惑星”と化した地球。刃物のように鋭利で危険な植物が生い茂り、翼竜状の凶暴な生物が棲まうジャングル――魅力的なシチュエーションである。
 しかし2017年3月に「キングコング 髑髏島の巨神」があっては、どうしても見劣りしてしまう。まず怪獣の数が違う。「髑髏島の巨神」にはメインとなるコングの他、哺乳類や爬虫類、節足動物、頭足類など多彩な怪獣が登場するが、「怪獣惑星」で登場するのはゴジラの他にはセルヴァムだけだ。しかも劇中におけるセルヴァムの役割は、序盤の脅威としての出現、大群という脅威、終盤での再来……「髑髏島の巨神」でサイコ・ヴァルチャーが担った役割とほとんど同じであり、つまり哺乳類や爬虫類、節足動物、頭足類が占めていた役割は空席になっている。
 「髑髏島の巨神」が無かったとしても、偉大なる先人として「ウルトラマン」第8話の多々良島が存在する。吸血植物が人を襲い、多数の怪獣がぶつかり合う島は、ゴジラとセルヴァムしか居ない刃物の森よりもバリエーション豊かだ。
 登場怪獣の少なさは、トゥーンレンダリングによる画の情報量低下と負の相乗効果を起こし、絵面を殊更「薄味」にする。情報量の多い実写ベースならば、1,2頭の怪獣でも間がもつのだが。
 出現する怪獣が実質2種類だけなのは、本作が3DCGアニメだからという都合もあるだろう。セルアニメなら最低でも1枚絵、特撮なら最低でもギニョールで演出できる登場怪獣だが、3DCGアニメとなればポリゴンモデルとテクスチャが要求される。1体のキャラクターに対するコストが、他の手法と比べて格段に高いのだ。

 対ゴジラ作戦も興醒めな部分が少なくない。特にアホらしいのがホバーバイク部隊だ。
 AIで自律飛行・自立攻撃を行う予定だったノースロップ・グラマンのX-47は開発が頓挫したが、それでも特定経路を自動航行するRQ-1は実戦投入されているし、イスラエルは自律飛行から能動的に目標を見つけて突撃する「徘徊型兵器」を運用している。完全無人機というのも遠い話ではないだろうし、エイリアンテクノロジーを得た近未来の世界なら、むしろ完全無人機を運用している方が自然だろう。
 しかし、ホバーバイクは直に人が乗る。て言うか地球に着いてから最初に投入した偵察機は無人だったじゃん。そのシステムをホバーバイクに積もうよ。なんで人乗ってんの。そして貴重な人員が戦死するし。

 余談だが、個人的にはこういった「機械技術力は非現実的なまでに高いがAI技術力は現実的予想図未満」という日本のアニメにありがちな描写について、“ガンダムとハロ”が源流にあると考えており、「ガンダム病」と勝手に呼んでいる。ハロはアナライザーのようなロボットへのアンチテーゼとして「現実的」なロボット的反応とロボット的喋りになったのだろうが、しかしAIや音声という点では今や現実の方が凌駕しているだろう。

 また、対ゴジラ作戦の描写も粗雑に感じられた。なにせ、また「埋める」のだから。
 ゴジラは埋めると大人しくなる。「ゴジラの逆襲」では氷山を崩落させて埋めたし、「モスラ対ゴジラ」では干拓地に埋まって寝てたし、「ゴジラ対ヘドラ」ではヘドロに埋められて死にかけたし、「ゴジラVSキングギドラ」では都庁の瓦礫に、「ゴジラVSモスラ」では観覧車に埋められてしばらく動けなかった。そして「シン・ゴジラ」では東京駅周辺のビルを崩落させてゴジラを埋めることが作戦のカギとなった。ただ、毎週同じ必殺技で終わるニチアサじゃないのだから、「シン・ゴジラ」から1年後の作品でゴジラを再度埋めるのはいかがなものだろうか。平安京エイリアンじゃねえんだぞ。あと「怪獣黙示録」でもヒマラヤの大断層に埋めてるね。

 ついでに、これは単なる疑問なのだが、「怪獣惑星」の前段である「怪獣黙示録」では東宝特撮のさまざまなオマージュが行われながら、「怪獣惑星」の搭載兵器に定番のメーサーが用いられていないのは何故なのだろうか。方向性があまり統一されていないのかもしれない。

■デレレーデレデーン デレレーデレデーン

 と、文句を書き連ねてきたが、アニメーション作品としては品質が悪いという事もなく、他と比較しても水準的には高い位置にあるだろう。怪獣惑星はあくまで3部作の初手であるので、今後に期待したい。

 ……と言いたいところだが、このアニメには「シン・ゴジラ」や「髑髏島の巨神」に続く、さらなる「比較対象」が待ち受けている。2018年公開の「パシフィック・リム: アップライジング」だ。
 「パシフィック・リム: アップライジング」の予告が「怪獣惑星」上映前のCMタイムで流されていたが、強化された怪獣軍団、群体として襲いかかる小型怪獣、それが結合して誕生する超大型怪獣、そして立ち向かうイェーガー部隊と、予告だけで軽く腹が充たされるレベルだ。まあ、正直「デル・トロ氏が特撮リスペクトで描いた世界がどれだけ継承されるか」に不安はあるが。
 「怪獣惑星」から続く第2部「決戦機動増殖都市」では、メカゴジラをもって超巨大ゴジラに挑むこととなるのだろうが、ロボットで超巨大怪獣と戦うというのは「パシフィック・リム: アップライジング」と丸被りである。イェーガーは4体なので、また数の面では端から負けているが、演出でそれに劣らないものを見せてくれるだろうか。


 あとアレだね。スピルバーグ氏の「Ready Player One」は原作小説だと機龍が出てきて、もし映画にも出るならアニゴジでメカゴジラ、「Ready Player One」でメカゴジラって感じになるけど、どうなるかね。ワーナーだから無いかね。


 というか、虚淵氏を起用しておきながら全体的な下敷きが虚淵的でないって処がかなり問題なんだけどね。

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