見出し画像

映画激論 「ヱヴァンゲリヲン Q」

満員の客席を観てつくづく思った、 日本の少年少女は哲学的だよね。
よくもまぁ、あんな難解な作品についていくよね、偉い!

フランス哲学をかじっただけの世代のおじいさんに 頭が悪くなったとか簡単に言ってほしくないよね。
よほど昔の人よりも果敢に難解な作品にチャレンジして 哲学的に内省してるよ。

作品は4部作の3作目、しかもタイトルも「Q」というだけあって、
まったく説明なしの、容赦ないくらい観客を突き放している内容です。
内部の設定資料を見ている数人しか全貌がわからないでしょうね。


でも、併映の「巨神兵東京に現わる」がヒントを出してますね。
師匠筋の宮崎駿監督に対するリスペクトが明確に表現されています。

つまり、エヴァンゲリオン=巨神兵オーマ(裁く人) だということを表明したのです。
ここでいう巨神兵はアニメの巨神兵ではなく、 マンガの巨神兵であり、 オーマと自ら名乗る進化した巨神兵です。

オーマになった巨神=エヴァだとするならば、 庵野監督が考えたQのストーリーは「裁き」を描くことであり、 裁きとは、人類への裁きとなります。

つまりこれは、キリスト教における「裁きの日」 の物語であるということです。

キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の3大宗教は同じヤーファの神を抱く。
この神は、「預言者」を選び、自分の言葉を授ける。 そして、人類を支配するために「災厄」を与える。

今回、判明したのはゼーレは「神」であること。 ゼーレのシナリオとは「神が人間に与える災厄」であること。
そして、神の言葉を預かる選ばれた人間、その裁きをするのが 碇司令であるということです。
つまり預言者「イエス・キリスト」です。 碇司令が超人的なのは、キリストなんだから当たり前です。

しかし、この神の預言者は神を裏切ります。 故に新たなる希望として、
世界の再生を「ノアの夫婦」に任せます。 それがつまりイエスの息子シンジ君とアスカになります。

今回、イエスの息子が災厄の火ぶたを切り、 地球は絶命の危機的状況になります。
しかし、その災厄の時に選ばれた「種」が 災厄を逃れて、方舟に乗り組むのです。

ということで、災厄の後の世界観、 救世主とその妻の物語=ノアの方舟が次の物語になるでしょう。

救世主とその妻のふたりによる方舟と新たな地球の始まりという構造は 映画「マトリックス」と同じ構造になります。

奇しくも今回、ミサト艦長が乗る母船が、 マトリックスで登場したネブラスカにそっくりなことや、
壊滅した「赤い地球」がマトリックスの「本当の地球」に近いなどの類似が 感じられます。

マンガの「ナウシカ」と映画「マトリックス」シリーズを 宗教的な解釈の上で読み解くことが物語の核心に迫るような気がしてきました。

ご愛読いただきありがとうございます。 テーマごとにマガジンにまとめていますので、他の気になる記事も読んでいただければ幸いです。