サッカーの経済学 クライフ、母国オランダを痛烈に批判:W杯2010・決勝:オランダvsスペイン戦

スペインであれ、オランダであれ、決勝はどちらが勝とうが、結局クライフの勝利となるはずであった。


クライフが生み出したトータルフットボールのコンセプトは、いまや全世界のフットボールの中心に君臨している。

それは理想のフットボールとして神の如く崇められている。


全員攻撃全員守備は、いまやどのチームでも基本コンセプトのひとつだ。
差があるのは、それが試合中続くか、続くかないかだけなのだ。

そのため、選手には、より走る能力が求められるようになり、
ポジションにこだわらないポリバレントな能力が重宝されるようになった。

ボールを取られなければ失点しないという信念のもと、ポゼッション主体で高速パスを交換する、ボールを奪われない技巧派が憧れの対象となった。

その世界の中心に燦然と輝くのが、クライフの最高傑作、バルセロナである。

今大会の決勝は、そのバルセロナの選手で埋められたスペインと、クライフがトータルフットボールを開始した母国オランダの対決という趣向となり、いまだ優勝の経験がないクライフ・コンセプトのフットボールの完全勝利となるはずだった。


しかし、現実の決勝では美しく華麗なサッカーは展開されなかった。


こともあろうに、オランダはラフプレーで試合を醜い、
むごい内容にしようとした。

引用したクライフのコメントは、そうした母国の行為を裏切りと糾弾するものだ。

クライフの遺産で初優勝したスペインと、クライフからの離脱を図ったオランダ。

ではいったい、進化していたのはどちらだろうか?


「美しくなければ、サッカーではない。醜い勝利より美しい敗戦を」

クライフ・コンセプトで一番厄介なのが、この言葉だろう。
オランダを30年以上苦しめたのは、この言葉による
美しいサッカーへの呪縛だった。

だからこそ、今大会のオランダはいかにクライフ・コンセプトから離脱するかがテーマだったのだ。


「勝たなければ意味がない。美しくなくとも勝つためのサッカーを」
ファンマルバイク新監督の目指した新しいサッカー哲学は、
オランダを32数年ぶりに決勝に導いた。

そして決勝でクライフ・コンセプトの権化であるスペインに対して、退
場すれすれのラフプレーで凌辱した。

オランダがこういうやり方にもう少し手慣れいれば、
もっとエレガントな方法で、スペイン選手を削ることができたはずだ。
南米チームのように巧妙に冷静に残酷に、
イニエスタやシャビを試合から葬ることができただろう。

所詮あのラフプレーは幼稚な真似事だった。

しかし、そこまでしてもオランダは勝ちたかったのだ。
オランダは確信犯であの手法を選んだのだ。

同じく今大会、若手が躍動し3位になったドイツも、
準決勝のスペイン戦では、確信犯として、攻撃力を抑えて守備に徹した。

その二つのチームに見え隠れするのは
今季チャンピオンズリーグで優勝したモウリーニョのインテルだ。

CL準々決勝で完璧にバルセロナを抑えたインテルの処方箋を、
クライフ・コンセプトを全うするスペインに使おうとしたのだ。
その処方箋を用いたスイスが初戦にスペインに勝利しただけに、
モウリーニョ・コンセプトは有効に思えたはずだ。


現在を未来から見ることができるなら、
我々は時代の変節点にいることがわかるはずだ。

その歴史的な視点から眺めれば
長年追い求めてきたクライフ・コンセプトが、
スペインのユーロ2008とワールドカップ2010の連続優勝で頂点を迎え、
緩やかに後退していくのがわかるだろう。

そして台頭してくるモウリーニョ・コンセプトの波も見えるだろう。

過去5年間に渡り、チェルシー、インテルとチームをかえながら続けられた、
モウリーニョ監督のバルセロナ封じの戦術の数々。
最強の攻撃力がありながら、その刃をひた隠し、
全員で穴熊のように守り、ポゼッションには目もくれず、
後方の最後の数メートルには絶対に侵入させずに潰し、
球を奪ったら高速カウンターで仕掛け、必ずシュートで終わる。

それは、ひたすら勝利だけを追い求める貪欲なモチベーションに支えられた
リアルサッカーだ。

チャンピオンズリーグが定着した現在、
サッカーは経済の一部となり、ビジネスの規模が拡大し、
世界に市場が広がった。

モウリーニョ・コンセプトとは、この時代に現れるべくして誕生した、
負けないためのビジネスライクなハングリーフットボールなのだ。

この見地から見た場合、クライフ・コンセプトは、なんて牧歌的なことか。

勝たなくても美しくあれば理解されるとは、
どこかの赤字垂れ流しの企業の戯れ言のようだ。

そう、歴史的に見れば、今大会に現れた時代の趨勢とは、
クライフコンセプトの勝利ではなく、終わりの始まりなのだ。
時間をかけてゆっくり歩んできたサッカーの神々の黄昏。

それは、ある種の必然である。


なぜなら、スペインの足元ですら、クライフの帝国は揺らいでいるから。

スペイン代表とは、ある種の連合国である。
首都マドリッドと、それに反発するカタロニア。
独立戦争の歴史もあるふたつの祖国の危うい連合。

バルセロナは、カタロニアの魂である。
「クラブ以上の存在」

今大会のスペイン優勝の原動力が
バルセロナの選手による、クライフの戦術の勝利であればあるほど、
スペイン代表の中での崩壊の内圧は高まる。

実際に優勝パレードで、バルセロナ選手たちが、
カタロニア国旗を持ち出したことが問題になっている。

そしてそのバルセロナに対抗するのが、
首都マドリッドに君臨するレアルマドリーなのは周知の事実だ。

レアルマドリーこそが、サッカーを巨大ビジネスにした張本人であり、
世界を相手にマーケティングを繰り広げたビジネスフットボールの
創始者なのだ。

チャンピオンズリーグで優勝から遠ざかることが
経済的に許されないチーム。
勝つことで強大化し、負けることが破滅を意味するビジネス基本のチーム、
スター選手による試合以外の売り上げ方法の確立、
全世界を巡る興行による新規顧客の開拓・・・などなど
すべてはレアルから始まった。

バルセロナ対レアルマドリーという内紛の予感を抱えたまま
代表がまとまったのは、いまだに優勝経験のないスペインという
不名誉の汚名挽回のためだった。
しかし、それが達成された後にどうなるのか?

肥大化するサッカーの経済学。
対立するビジネスサッカーと国別の個性的なサッカー。
UEFA会長に就任したプラティニの問題認識は
これからのサッカーの歴史的な転換点を鋭く指摘している。

サッカーの経済学からみた場合、
スペインとオランダのどちらが進化していたのか?

この長い日記は、4年後に再び引用してみよう。
そのぐらい長いスパンで考察すべき課題だろう。

それは面白いのかどうかは別の討議になるだろう。

ちなみに僕がもっとも面白く、進化したサッカーだと思ったのは
ユーロ2008で優勝したアラゴネスのスペイン代表だ。

いまのデルボスケのバルサ型スペイン代表と違って
パスサッカーとカウンターサッカーが見事に融合して
高速展開のすばらしい戦術を展開していた。

マルコス・セナがいて、トーレスが万全なら
あのサッカーを世界に披露できたのに残念だ。

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