【Vol.20】投資スタイルを変えた出会い

こんにちは。NORIです。
今日も読んでくださり、ありがとうございます。

息子とのいさかいが絶えない毎日にほとほと疲れ
「義務教育が終わったら、曜日も時間も気にせず
好きなことを仕事にする!」
と固く心に決めていました。

引き続き、過去の投資について書いています。

「好きなことを仕事にする」
というキーワードで仕事を探した時、
私は損害保険会社のシステム管理者として
日進月歩の進化についていこうと
必死で資格試験に挑んだり
技術の勉強をしていました。

が、一方で
IT技術の進化の速さにはついていけない
とも感じていたので「温故知新」、
昔からある仕事
さらには女性が長く続けられる仕事
をしたいと思いました。

そして出会ったのが生命保険業界だったのです。
完全歩合制の生命保険業界、
しかも未経験の営業職に転職してすぐ、
通い始めた研修で出会ったひとりの投資会社社長。
この人が前回「当時の資産状況」の中に書いた
S社の社長さんです。

この社長との出会いが、
私の投資との向き合い方を大きく変えたのです。

投資会社の社長というと
なんだかすごそうに聞こえますけど、
私より年下だし、一緒に冗談を言い合える
普通の友達でした。

仕事が投資会社の経営。
そして「2度ならず3度も投資の詐欺に遭い
こんなことなら自分で会社をやろうと思った」という彼は、

「大切な人の、大切なお金だけを守れればいい。
誰でもいいからお金を預けてほしいとは思っていない。
自分が守りたい人のお金だけを預かる」

と言って憚(はばか)りませんでした。

その時私40歳。
社会人になって以来、持ち株会、投資信託、FX、外国債など
「お金を殖やすため」に手を出した「投資」もどきに
ほとほと疲れていました。
でもこの社長の話を聞いた時

「もう一度、投資をやってみたい」

と思うようになりました。

正直なところ、海のものとも山のものともわからない
投資会社にお金を預けることについては
不安がなかったといえばうそになります。
初めはとにかく
「投資をしたい」
「お金を低金利の銀行に預けておくのはイヤ」
「自分で投資先の信頼度を図ることは不可能に近い」
と思っていました。

だから「大切な人のお金は守りたい」という
この社長の言葉だけを信じてみよう、と思ったのです。

ここでいう「信じてみる」とは、
お金が殖えて戻ってくることではありません。
この社長が、本当にこの言葉を貫くことを信じてみよう
と思ったのです。

もしもこの言葉が貫かれなかったら、
私自身の見る目がなかったと思おう。
もしもお金が殖えるどころか減って戻ってきたとしても、
この社長の姿勢をみてみよう。

そんな気持ちで私は、
息子の大学進学用に貯めておいた学資保険を解約し、
この社長に預けることにしたのです。

もちろんきれいごとばかりを言うつもりはありません。
学資保険を中途解約してもなお、
S社に預けた方がお金も殖えるという提案もあったからこそ、です。

そして息子の進学をあきらめきれなかった私は、
息子が進学しようと思えばできる年齢になった時には
償還(注4)されるように、
期限を設定してもらったのです。

かくしてその我が家の最後の貯金は、
インターネットにも出ていない
コマーシャルも打たれていない
証券会社でも扱われていない場所へ
「人の情熱」だけを頼りに
預けられることになったのです。

友達のひとり、から、友達兼投資家へと
名義上は変化したけれども、
私たちの友達付き合いが変わることはありませんでした。

社長は相も変わらず
「大切な人のお金だけを守れればそれでいい」
と言い続けていたし、
彼自身が投資詐欺に遭った経験もあったからか、
私が預けたお金は今どのように運用されているのか、
今後どのように運用していこうと思っているのか、
ということを折に触れて知らせてくれました。

私以外にもたくさんの顧客がいるだろうに、
社長くんは愚直なまでに電話で私にアポを取り、
マンツーマンでの時間を確保してくれました。
どの顧客にもそのように対応していたのでしょう。

その時間にはお互いの近況報告
投資中の案件に対してのアナウンスなど情報提供
それに夢や希望を語り合い
彼の信念がまったく変わっていないことを
確認することができました。

そして期限が来れば
約束された通りのリターンを
受け取ることができたのです。

そうこうしている間にも彼の会社は成長を続け、
国内での為替運用から事業投資へと
投資対象が広がっていったようでした。
S社にお金を預けて3年ほど経ったある日、
定例と化したこの社長との「お茶飲み」兼「報告会」で
「スリランカでホテル事業をすることにした」と言われました。

正直、スリランカって「インドの隣の島国」「紅茶が有名」
ということぐらいしか情報がなく
「へぇ。そうなんだ」以外のリアクションが難しい状態でした。

でも社長は相変わらず
「大切な人のお金だけ守れればいい」
と言っていたし、さらにはその進化形で

「どうすれば大切な人のお金を、有意義に育てられるだろうか」

ということを発言するようになっていました。

彼がなぜスリランカに感化されたのか?
スリランカで実現したいことは何なのか?
会社の将来をどのように考えているのか?
ということまで熱く語ってくれました。

私が願った息子の大学進学は、まだ気配がなく
私が預けているお金はそのまま預け続けられる状態でした。
そして日に日に息子の大学進学が
遠のいていくのを感じていた頃でした。

それにしてもスリランカでのホテル事業とは。
規模が大きくて、にわかには信じられないほどでした。

でも数ヶ月に一度
そのホテルの建設現場の様子をiPadで見せてもらい
ジャングルが更地になり
更地に基礎ができ
基礎から上物が建っていく様や
彼のiPadに映りこむ、採用されし現地スタッフの
バックグラウンドを聞かせてもらううちに、
私もなんだか建設に携わっているような気持ちに
なったものでした。

このホテルは2013年12月オープンながら
翌年のSmall Luxury Hotels of the World (注5)に選ばれるなど
最初からそのホスピタリティの評価が高いホテルでした。
私にはその理由がわかるのです。

経営とはこういうことなのか。経営者の仕事ってこういうことか。
この社長の姿勢を見るにつけ
何度こう思ったかわかりません。

いつかこのホテルに泊まる。

それが私の夢のひとつになりました。

セブ島留学実現よりも3年ほど前の話です。

(注4)償還
預けたお金を払い戻すこと。

(注5)Small Luxury Hotels of the World
世界最高峰のラグジュアリーホテルの会員組織
http://www.slhhotels.jp/

明日に続きます。

夢を、夢のままでは終わらせない
お金もじぶんも育て「わたし資産」をつくりましょう

山形 則子
Ms.NORI

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