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20210427 1年の流れ

月が照らす路地を歩きながら、ふと1年前何してたんだろうと考えた。

記憶なんてただの記録なので、笑える悲劇にも弊に具備されているのはJKフリップフロップ回路程度の記憶媒体なので。表現に余るほどの愚鈍なGooglePhotosを参照する手法でヒューリスティックに思い返した。何事もIoTでディープラーニングなクラウドコンピューティングでエビデンスベースドなのである。

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「記録」によると、どうやら1年前は豚骨を煮て、路地を歩き回り迷子になっていたらしい。

思えば1年前は、まだ事態に対する「対処」の領域で、非日常に混乱し、そして、ものすごく暇だった。

最近はというと、とうに対処のフェイズは終わり、何も変わらない「日常」を過ごしている。7割出勤削減という名の10割出勤の書面在宅勤務をして、せわしなく日常をこなす日々。
世間様からしたら、いわば反社なのだろうが、1年前の「対処」のツケをのちに払わされたのだから、誰も対処しなくなるのは倫理的にはともかく、論理的には当然だと思う。時の流れは祇園精舎だ。
弊は「日常」を過ごせているのだから幸せ度で言えば偏差値50以上なのだろうとは思う。ただ同時に、1年前もうちょっと有効に時間を使えばよかったとは思う。思った。時は流れ、時は来て、今や時間はない。
これが世界が望んだニューノーマルなのだろうか。時間の不可逆性を呪い、光速まで加速した。

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こんな情勢認識を踏まえ、明日から自らの意思でやっていくぞと決意した。
思うばかりじゃ想いは届かないので、思った今日が吉日、大安、13日の金曜日ということでρを早く切り上げ、ツァリーヌさんを自転車屋さんへ修理に出すことにした。というのも、先日発生した変速機が破断する重大インシデントでスポークが曲がり、後輪が歪んだのを直してもらおうと思ったのだ。理論なき行動は死、行動なき理論は無。ただ、何もかも20時にゲームセットすることだけが恐ろしい。

東京、カレンダー紙面上では赤く塗られた数字が踊る。東京きらめくオンステージ。弊では手に負えない修理なので、最低1週間はかかるだろうと踏んで、時空間領域における先行投資ということで自転車屋さんに向かった。自転車屋さんに到着するやいなや、なんでも明日には修理完了するらしい。仕事が早くてさぞかし感心したが、自転車屋さんに悪いなとも呵責し、幸運にも明日取りにいく羽目になった。

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早く家に帰ったので、荷物受取のタスク処理も兼ねて、歩みを止めず、S社の営業所へ徘徊に出ることにした。
月夜が照らす営業所までの約6kmの間、冒頭の1年前を思い返し、思い出し歩きながら、歩きながら考えた。
帰りは素直に電車に乗った。

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数日前、「100日後に死ぬワニ」の映画のトレイラーが公開されたとネットのニュースで見た。
1年前「対処」し、路地を歩いていた頃ラジオを聞いていると、のんきにも「100日後に死ぬワニ」のコミカライズのCMがヘビーローテーションされていたのだ。

まさかこんなにも「アフター」が長引くとは思わなかった。そんなこともあり、弊の中でワニは「ビフォア」の象徴だ。

私たちはアフターワニレジームに今、生きている。





ワニそのものは見たことはないんだけどさ。

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なんだか日々のおもしろを編むつもりで書きはじめたら、路地を歩き回り迷子になっていた。主語がでかい話になった。
歩きながら考え、今を生きるしかないのだ。
明日からやっていく。

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それにしても、でかい。



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月が綺麗ですね!!!!


おわり

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