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ぅらいふすてーじ熊野寮祭特別号2023

この記事は、エクストリーム帰寮 Advent Calender 2023の19+10日目の記事です。20+n日目は私の同行者の記事なので、併せて読むとすこし楽しいかもしれません。


事前準備~降車

参加は今回で三年目になる。本年度はサークル設立39周年ということで、39kmでのエントリーとなった。
私はこの9月に京都を去り社会人となったわけだが、なんだかんだ月1回のペースで帰ってきている。今回も12/8がちょうど有給奨励日だったため、夕方ごろには京都駅に降り立っていた。
昨年夜間の帰寮に参加して気づいたが、昼間なら時刻と太陽の位置でおおよその方角がわかるのに対し、夜間は方角を知るのに星を読む必要がある。新幹線の中で北極星の見つけ方を調べた。
出発時刻は25:00、それまでサークルの部室で仮眠した。といっても、寝たのは1時間程度で、あとはボドゲをしていたが。
装備は例年通り、靴下は5本指と厚手の2重履き、中敷きを2重にして、荷物は最小限。ポケットにスマホとライト、コンビニのレジ袋にチョコチップスナック、羊羹、板チョコ、ペットボトル1本を詰め込んだ。昨年は結構物資が余ったので、全体的に減らして軽量化を図る。
今年も昨年と同じ同行者と2人で参加。彼も経験者なので自分の面倒は自分でみるだろう。彼は今年も高性能ヘッドライトと祖父から受け継がれたという杖を装備していた。食料は受付でもらった食パンのみ。ひのきのぼうとやくそうだけで冒険する縛りプレイみたいだな。

時間通り熊野寮を出発し、目をつぶって運ばれる。例のごとく山道で少し酔ったが、同行者とドライバーのアフリカ留学経験トークに耳を傾けていたらあまり時間を感じずに降車場所についた。ここら辺の詳しい話は、きっと同行者が執筆してくれるだろう。

仙禅寺~集落

車を降りると時刻は午前2時。車を降りて目の前には「仙禅寺」と大きく書いた石碑と寺。現在地は分かったも同然だな!
とりあえず寺で安全を祈願した後歩き出す。幸い、今年のスタート地点は明らかに道路に傾斜があったため、とりあえず山を下る方向へ行った。
(ただこの判断基準はよく考えると危険かもしれない。比叡平の少し滋賀側に降ろされたりしたらどうしよう……。今後帰寮される諸氏は注意されたい)
今年は熊の活動が活発という話を受けて、なるべく大きな声で話しながら歩く。道沿いに茶畑を見かけて、ここは宇治かな?などと大声で話しているうちに、道路標識を見つける。

場所はよくわからんが滋賀

ここは滋賀県らしい。じゃあとりあえず西に行けばいいのかな?茶畑に出て空が開けたので星を観る。結局北極星がどれかは分からなかったが、大体の方角はつかめたので、道は西のほうに向かっていると分かった。良い流れが来ている気がする。(後から地図で確認すると、バッチリ南に向かっている)
進むこと20分ほどで、集落にたどり着く。

朝宮~国道分岐点

集落のあちこちで地名を見かけて、詳しい現在地が判明。信楽町上朝宮だった。この時点で私は正直楽勝ムードだった。確か信楽は山の中のそこそこ大きな町なので、外部とは少数の大きめの国道でつながっており、あまり迷う余地はないと思ったからだ。大津までであれば自転車で何度も訪れたことがあったため、琵琶湖周辺まで行けば何とかなる見込みがあった。

これまで2回の帰寮と比較して、開始20分で帰寮の見込みが立ったため、拍子抜けしてしまった。正直記事にするにしてもコンテンツ力が足りない。ということでいらんことを始める。
熊よけのためとはいえ、うるさくして朝宮の地域住民の方々にご迷惑をかけるのが忍びなかったため、「来たときよりも美しく」をモットーに道端のゴミ拾いをしながら歩いた。同行者にゴミ袋を持たせて、彼の食パンを自分が預かる。彼が持つゴミ袋に、私がゴミを(軽いものに限る)放り込んでいった。

遠目にときどき車が通る大きな道が見えたため、それに沿って星を参考に西~北西のほうへ歩く。30分ほどで集落を抜け、国道の分岐点に差し掛かる。

標識に現れた大津の文字

私は大津まで行けば帰寮できる自信があったため、我々は国道422号へと右折した。同行者は集落から離れて山間の道に入ることにしり込みしていたようだが、たぶん307号をたどっても状況は同じだと思うので黙殺した。

国道422号

ほとんど灯りのない道を、大声で話しながら歩く。どうか熊よどっか行ってくれ!
幸い道路はしっかり整備されており、10分に1台程度の間隔で車が通るような道だったため、あまり文明から離れている感じはしなかった。また途中で、帰寮者を放置した帰りと思われるドライバーに追い越しざまに声援をかけられた。無性にむかついたので怒声をあげながら数十mほど追いかけてしまった。
ただ、おかげでこのルートは正しそうだ、という確信が持てたのはよかった。あとは熊を追い払いながらひたすら歩くだけ。ウォーキングには、どんなラジオを聴くよりもエチオピア帰りの人間を連れていったほうが良いと思う。
ちなみにこの辺りは、ペットボトルのゴミが多かった。

瀬田川~大津

夜明けごろに山を抜け、瀬田川沿いに出る。川を行き交うボート部を眺めながら、ボート部だった研究室同期を思い出していた。そいつのTwitter(当時)で見たことがあるボート部の倉庫に通りがかったときは、ちょっと感慨深かった。
この辺りから右膝が痛みだしたため、時折同行者の杖を借りたり、なるべく柔らかい地面を歩くようにして膝への衝撃を和らげようと努めていた。昨年は平地での杖の価値を疑問視していたが、評価を見直さなくてはならない。

ちなみにこの辺りはお菓子のゴミや菓子パンのゴミが多めだった。

瀬田の唐橋を越え、見覚えのある景色が増えてくる。いつもは自転車で琵琶湖沿いを通っていたが、夜を徹して歩いた後は最短距離重視、少し内陸の幹線道路を歩き、びわ湖浜大津のラウンドワンまでたどり着く。

逢坂の関~山科~蹴上~熊野寮

ここまでくればあとは何度も通った道をたどるだけである。痛む足を無心で動かして進む。逢坂の関と蹴上の二度の峠越えで、足の痛みはさらに悪化した。昨年と靴を変えたのだが、足に合っていないのか小指がひどく痛む。特に下り道では、大した傾斜でもないのにつま先に体重がかかりやすくなり、ダメージが大きかった。

あと山科駅周辺は、驚くほどたばこの吸い殻が落ちていた。3メートル間隔くらいで落ちてる。拾うのがだいぶめんどくさい。

蹴上を抜けて岡崎公園で最後の休憩をとったのだが、これがまずかった。痛む足指をストレッチしようと靴を脱いだら、痛みでもう靴が履けない。結局、熊野寮までの残り数百mは靴のかかとを踏みながら、足指に刺激を与えないように非常に気を遣って歩く羽目になった。たぶん、もっと早い段階でこまめにストレッチをおこなうべきだったんだろうな……。

ついに熊野寮に到着。時刻は14時前、今回は帰寮に12時間かかった計算になる。

帰寮を終えて

万歩計アプリによると、今回の帰寮の歩数は5万6870歩、歩行時間は8時間24分、歩数から算出した歩行距離は43.28kmとのことだった。ちなみにGoogleMapのルート情報では、38.7kmの道のり。おおむね注文通りの距離である。
今回、後半は足の痛みでかなり歩幅が小さくなっていたため、万歩計とMapで乖離が起きているのだろう。

昨年と比較すると、歩いた距離は大して変わらないのに、昨年よりかなり過酷に感じた。原因としては、靴が足に合っていなかったのが大きな要因だと思う。普段使いではあまり意識したことがなかったが、今履いている靴はつま先が固め&細いのか、足の小指に少々干渉がある。足指の痛みで歩幅が狭くなり、速度が落ちることで一層歩く時間が増える、という悪循環が起きていた。来年までにもっと柔らかい靴を用意しなければ。

また、今年は帰寮ルートがわかりやすく歩いた距離も事前申請通りとなったが、一方で、右も左もわからない土地で帰り道を探す、という体験はできなかったのが残念である。注文通りの距離と帰寮ルートを探すワクワクはトレードオフになるのだろう。ままならないものである。

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