学歴コンプレックス、色違い

何が言いたいかというと、高学歴って、本当に選択肢広がってる?という話だ。

勉強は好きだ。新しいことを知ることが好き、知識を増やすことが好き。ただ覚えただけのことを聞かれて答えることが好き、何度も練習して一人で数式を解き明かすことも好き。今まで生きてきた学生という社会において、勉強が出来ることは力を手に入れることだった。大きなヒエラルキーの中で、勉強が出来れば出来るほど上の階層へ登ることが出来た。いい高校に入って、名の売れた大学に入って、私は日本の学生の中のひと握りの頂点のグループに加わった。

高学歴であることは、将来の選択肢を広げるらしい。良い大学を出れば、色んな仕事が選り取りみどり、そう聞いていたけれど。

不遜な態度を続けるが、私はタイトルに付けた学歴コンプレックスという言葉についてよく知らない。今まで縁が無かったからだ。それが、最近になって、というのも就活を始めてから、自身の高学歴が理由で悩むことが多くなってしまった。そこでふと思ったのだ。私の悩み、ある意味学歴コンプレックスの一種なのでは?

就活をしていると、日々圧力を感じる。お前は高学歴だからさぞ良い企業に行くんだろう、年収はいくら以上になるんだろう、あぁ羨ましい。そんな声が聞こえる気がする。あるいは、この大学に入れてもらったのだから大企業にどうしても入らないと恥ずかしい、親に申し訳ない、学歴がもったいない、そんな同胞達の嘆きの声かもしれない。別に誰がそう口にしている訳でもない、しかし確かに感じる。高学歴なのにそんな会社しか採用してくれないの?と嘲るような、無言の圧力。

ここで最初の問いかけに戻る。高学歴だからって、本当に選択肢広がってる?

いい企業に入って、出世して、誰もが羨むような金額の収入を得る。それ以外の選択肢が、本当に手の届くところにあるのか?それ以外の選択肢に手を伸ばす者を、もしくは用意されたこの道を選ぼうとして失敗した者を、敗者と見なす風潮が、私たちの周りに確かに存在しているのだ。

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