ロナウジーニョがいた世界に戻りたい
いや、亡くなったわけじゃなく。
プロサッカー選手としてのロニーがいた時にってこと。
誰も想像できない、だから、誰もが楽しみにしちゃう存在。それがロナウジーニョ。
そして、最後のファンタジスタだと思ってる。
いろいろな意見があると思うけど、僕はメッシ、クリロナ、ネイマールはファンタジスタじゃないと思う。想像できちゃうからね、どんなプレーをするのかを。つまり、「言語化」できてしまう、ということ。
「言語化」
最近のサッカー界では、どんなプレーも戦術も言語化される。
悪いことじゃないし、紐解いてくれて「あぁそうか」と納得できることはいいことだし、意見が異なれば議論が生まれ「別にどうだっていいじゃん」てことでも熱く語れるってことはいいことだと思う。
このnoteという機能だって人の思いの言語化でしょう。誰かの気持ちを知りたいと思うから、自分の気持ちを言語化したいから、多くの人が利用していると思う。
でもさ、
「言語化」して欲しくないことだってあるじゃない?
例えば、漫才の面白さの解説
例えば、どこが彼をブ男にしているパーツであるか、
そして、ロナウジーニョ。
ロナウジーニョの解説いります?できます?
おー!ファンタスティック!
うぉー!すげ〜!
何あれ?どうやった??
そこでそれやる⁉︎
かっけー!
アンビリーバブル!!
で、どうですか??
難しく「言語化」せずに、感覚的に楽しむ。これってすごく大切だと思う。特に今、コロナ禍では、行動のすべて、思考のすべてに意味をもたすんじゃなくて、たまには感覚的に、feelingで、のんびり、楽しむ。
感覚的に刺激してくれる存在、ロナウジーニョ。YouTubeでプレー集あるので是非。ジダン、小野伸二でも可。ただ見て、感覚を解放してください。楽しいですよ。
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