命日
凍て晴れの空を眺めながら五年前の今日に思いを巡らしている。 あの日も外は寒い日だった。 入院していた母がこれ以上良くなることはないということと、症状が安定していることで転院する日になっていた。
AM6:00 朝早くから看護師さんがバイタルチェック、点滴の交換、紙オムツの交換等をしながら「小栗さん、今日転院になってますよね。忘れ物のないようお願いします。タクシーは手配してありますので、先生の回診が終わりましたらいつでも転院できますよ」 「ありがとうございました。本当はこちらに居たかったのですが、一人だけわがまま言えませんしね。ちょっと残念です」 「すいません」 「いえいえ、あなたが謝ることでは」
AM10:00 複数の足音が聞こえてくる。 ノックの後、朝早く来てくれた看護師さんの顔が見えた。 「先生の回診です」 重森先生が母の様子を診ながら若い担当医や看護師から最近の母の状態を聞いている。「小栗さん、お母様の付き添いご苦労様です。お母様の病状からみて先日もお話しましたが、余命はあまり長くないと思います。おつらいでしょうが、精一杯のことをしてこられたとを幸せだったと思ってください。 転院先にもしっかり伝えてありますので安心してください」 「重森先生いろいろとお気遣いありがとうございました」
AM11:00 三人の看護師さんが病室に入ってきた。 「小栗さん、タクシーが来ましたのでお母様の着替えをさせていただきますね」
僕は母の手をとり「母さん着替えだって。聞こえた?」ボーッとした目が僕を見つめる。何か違和感が母の手から伝わってきた。
「看護師さん、母の手が熱いんですけど」 「えっ、10時の回診ときのバイタルに異常はなかったんですが、ちょっと代わって下さい」 彼女は落ち着いた様子で検温を始めた。 体温計を見て再度検温する。 後ろにいた二人の看護師に体温計を見せ「直ぐに先生に連絡して 指示を聞いて下さい」 「看護師さん、母の…」 「小栗さん、体温が異常に高いので今先生を呼びました」 「異常って」 「はい、私も初めての経験なんですが48℃を超えてます。間違いじゃないかと計り直したんですが」
AM11:15 若先生が病室に駆け込んできた。看護師に代わり母の診察を始める。 聴診器をしまい「小栗さん、一般的に44℃をこえると短時間でもいろいろ問題が発生して回復できなくなると言われていますが、それをはるかに越えてます。会わせたい方がいらっしゃったら早く連絡して頂いたほうがいいかと」 「短時間…そうですか…」
AM11:30 朝から何回も来てくれる看護師さんが顔をみせる。 又、検温と点滴を換えていく。 「小栗さん、転院先には事情を話しておきました。タクシーの方も帰っていただきました」 「看護師さん、母はこの病院から移りたくなかったでしょうかね」 「どうでしょうね。環境が変えることは、病人じゃなくても結構たいへんですものね」「そうですね…母なりに一生懸命転院を拒んだんですかね」 高熱が続いているのだが、母からは苦しい、熱い、痛いなどの反応もない。 ただ眠っている。
PM4:15 先ほど設置していったベッドサイドのモニターの波形を祈るような気持ちで見詰めていた。 モニターの波形が突如フラットに。 僕はナースステーションに連絡するのも忘れ、ただ母の手を握っているだけだった。 重森先生が看護師を連れてやって来た。 「あっ先生」 「診させてもらうよ。向こうにもモニターがあるのでね」 心拍停止、呼吸停止などと順番に ゆっくりと触診と聴診をおこなっていく。 先生の一つ一つの行いが厳かにみえ、死んでいく人に対する敬意のように感じられた。 重森先生の顔が僕に向けられ少し頭を下げ「お母様は4時34分 御臨終です 」 先生は事務的に母の死を僕に告げたです。 2017年1月12日(4時34分)永眠
意識のある間に孫やひ孫にも会うことができ、嬉しそうに枕元からお年玉を渡していた顔が忘れられない。 あの笑顔が最後だった。 それにしても最後の最後、母が僕に言った言葉 『やっぱりあなたはウソつきね 』は五年たった今も刺が刺さったような痛みを感じ、忘れられないでいる。
早いものだ もう五年。 母の写真が 笑ってる。 お線香の煙が部屋中に漂い浄められ、読経の声が続いていく中でひ孫たちの笑う声が。