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2年分のケーキを食べよう

今日は彼の誕生日。



29歳になる予定だった誕生日。




やっと少し気持ちの整理がついてきて、経緯とか今までの思い出とか、いろんなことを友達に話してもいいな〜と思えるようになってきた。

1年はあっという間だけど、この1年は大きい。

こんなに気持ちに変化があるんだな。





約1年前に書いたnoteのように、常にぽっかりと空いた穴はなくなった。時々すきま風が入るような穴ができ、その度に眠れなくなったり泣いたりするけど、それはもう日常になったので

「あ、また穴を空けに来たな。いいよ、今日くらいは付き合ってあげるよ。」

と思えるようになってきた。










「50くらいで死にたいな〜」と言う人だった。
その発言に 悲しい と心で思っていた時期もあったけど、50までいられるならそれでもいいか、とだんだん思っていた自分もいた。



だから、正直、心の準備はずっと前からできていたのかもしれない。



それがちょっと、早まっただけ。







……なんて、まあ、今を納得させるために頭がそう思っているだけなんだけどね、






死をちらつかせることは、他人の心を離さないようにするための一種の洗脳だと思う。

彼のそれが悪いとか、そういうことじゃないけど、そうやって人の心を自分に向かせようとするのは、絶対に違うと思う。


わたしはそれを彼に言えなかったし、そんなことしなくてもずっと一緒にいるよと伝えられなかった。8年も一緒にいたから、伝わってると思っていた。し、なにより、未来を約束するのが怖かった。裏切られたら、辛くなってしまうと思ったから。


だから、死を目の当たりにして、わたしは悔やんだし、むかついたし、絶望感でいっぱいになった。



もっと自分の存在をちゃんと相手に示せていたら、相手の存在を肯定していたら、




何度も何度も自分のことを恨んだし、許せないと思ったし、生きてていいのだろうかと思った。











でも、みんな言ってた。
「今までありがとう」
「いてくれて助かったこと、たくさんあったと思うよ」
「生きててくれてありがとう」
「あなたは悪くないよ」
「いつでも連絡してね。なんでもいいよ。連絡したくなかったらしなくていいから。」
って。
そして、何も言わないでくれた人もたくさんいた。













多分、自分が悪かったって気持ちは一生消えないと思う。真実は分からないし、本人もそんな言葉一言も残さず感謝だけだったけど、それでも彼の人生に関わった以上、わたしに悪いところが全くなかったとは思えない。







ただ、わたしは生きていいんだと思う。わたしの思うように、ありのまま生きていいんだと思う。

彼のためとか、周りの人のためとかじゃなく、わたしが生きたいように生きる。それが、彼のためや、周りの人のためになるから。







目的と手段を逆にしてはいけないよ。

わたしが生きたいから生きるんだ。



大丈夫。大丈夫じゃない時があったって、大丈夫だよ。わたしがいるよ。













今日は誕生日。
去年はつらくてケーキとか思えなかったけど、今年はケーキ食べられそう。

そのケーキ、NEWSの20周年(9/15)のついでだろ!と嫉妬混じりの文句が聞こえてきそうだけど、祝ってもらえるだけありがたいと思え!笑












ハッピーバースデー、

またいつか。

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