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ケーキはミルクレープがいちばん好き

前回の記事から約4ヶ月が経とうとしている。

2022年上半期を終え、noteを始めてから1年経ったので、それを振り返った記事だった。


わたしはあの記事を完成させた5時間後
人生ががらりと変わってしまった。



恋人が目の前から消えた。



今こうやって書きながらも、なにか悪い夢を見ているんじゃないかと、ふわふわした気分を感じる。4ヶ月経ったから、それなりのけじめはついているけど、まだまだ状況は飲み込めない。今まで生きてきて、こんなに受け入れ難いことってあるんだな、と、この歳になって知った。いや、まあ、この年に知らなくてもいいことかもだけど。

あの日から、自分の心にぽっかりと穴が空いた、そんな感覚があった。
心って穴が空くんだ、こんなに何も感じなくて、それでいて何もかもを感じてしまう心ってあるんだ、と思った。

ただ、その感覚もだんだん薄れている。穴は完全に塞がったわけではないけれども、ちょっとずつ布を縫いつけて、何かが満ちていく感覚。そういう、何かで埋められていく心の動きを感じている。

なにかいい表現がないかなぁと思ったときに、1日のスケジュールを円グラフ風に表すあれを思い出した。

24時間でちょうど円になるあのグラフは、たとえ1時間なにも予定がなくても円になっている。バーチカルの手帳に予定を書き込むときは予定のところだけ書くけど、円のときはその予定と予定の間さえも、ホールケーキを切り分けたときのようにちゃんと存在している。気がする。

毎日の心の容量も円グラフなんじゃないかなあと思った。

わたしの中に自分を支える心の円グラフがあって、それがきれいな円になったとき、「いい感じだね。さあ眠ろう、今日は終わりだよ。」と自分に声をかけてあげられる。

だとすると、最近夜中の3時まで起きてしまう自分の生活が、急に納得できた。

失ったケーキの1ピースを何かで補って、ホールケーキを完成させよう、今日の心の円グラフをきれいな円にしようと頑張っているのだな、と思った。

そして、もうひとつ気づいたのは、その補っている何かは、今までのものではなく、まったく新しいものだ、ということ。

今までも心を満たしていた推しの存在や友達の大きさは少し大きくなるくらいで、それよりも今までまったく円に入っていなかった人や物の存在がグラフを埋めている。

毎日の仕事はどうなんだろう、と考えてみると、実は職場にいる時間が以前より増えている。でもそれはあくまで時間であって、心の円グラフでの大きさは変わっていない。だから、プライベートの時間が減った分、睡眠を削ってまで夜中に心を満たそうと思ってしまうのだ、と思う。でも、心が満たされているからか、夜中に遅く寝ようとも、大した疲れにはなっていない。ああ、納得。だからこんな生活でも最近ちゃんと元気なのか。ちゃんと調節してるなあ。笑
まあでも、仕事の時間が増えていることは、心とは別に身体のこととしてちゃんと考えなきゃいけないなぁと思う。身体が資本だからね。

ちなみに、なにでその円を埋めているのかというと、今まであまり深く関わってなかった職場の人や同じ趣味の人とか、昔の友達とか、普段全然見ないはずのジャンルのYouTubeとか。

新しい関わりをすることで、刺激が生まれるから、なんとなく心が膨らむ感覚があるのかもしれない。その膨らみでなんとか誤魔化しながらも円にしているのだろう。

これがまた、安定した割合で、適切な時間で円になるときがくるのだろうか。
今はとりあえず、そのときをのんびりゆらゆらと待とうと思う。


結局なにが言いたいかというと
君は毎日のわたしの心の円グラフに
それなりの大きさで存在していたんだよ
ってことです


じゃっ、また〜

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