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私の夢は平行線

noteを始めて、いくつものコンプレックスに出会った。


その中の一つに
「夢」についてがある。


noteを始めてすぐに出会った

note EXPO

noteEXPOとは


目的

noteで夢を叶える人、
みんなで夢を応援したい!
夢を持つもの同士繋がって
noteをもっと魅力的な場所として
盛り上げていきたい!

というもの。


この中で、大人になってから久々に自分の夢を考えた。

みんなの夢は今の地点から上にあって、とてもキラキラしてみえる。
それに対するものが私には浮かばない。


結局最終的に出したこの時の私の夢の結論は

文章を書いていきたい
noteでもっと人と繋がりたい


ただこの夢も、この時に自分の中で最大限にしぼりだしたもの。
今のままで満足だという思いが強くて、目標とか夢とか自分がこれから向かうものがハッキリ見えたわけではない。


その後もnoteを続けていくうちにたくさんの人の夢を目にしてきた。
やっぱりその人達の夢とか目標というのは、今いる地点よりも上にあってキラキラして見える。

そしてそれを叶えるために真っすぐ向かっている姿はパワフルで、輝いて見えた。


それがなかなか見当たらなかった私にとって、夢というものに対するコンプレックスは常にあった気がする。
自分にもそんなものが欲しかった。


だけどもっとnoteを続けていくと、色々な方との出会いによって、私にもキラキラした今の地点よりも上にある夢が見えてきた。

たとえばこんな夢



私にも何かできるかもしれない。
やっと見えてきたキラキラした夢。
私も夢に向かって真っすぐ頑張りたい。
何だか自分が変わっていくことがうれしくて、その夢の世界に夢中になった。


でも私は自分を過信して、立ち位置を完全に忘れていた。

夢を見るのは本当に素晴らしいこと。
ただ私の場合、統合失調症の症状として「妄想」がある。

「夢」と「妄想」そのあやふやな境界線が私の中でグラグラしだした。
そして自分のバランスが壊れかける。
ここまで来るのに何年もかかったのに、落ちるのは一瞬だ。



それで少しnoteから離れた。
中毒のようにnoteの世界にはまっていた私にとって、それはとても辛い時間だったけれど、自分を取り戻すためには必要な時間だったと思う。



そして私は気づいた。

私の夢は

「普通に生きていくこと」
「当たり前の生活をすること」

「普通」や「当たり前」に対する定義などは今回はふれないとして、20年前の私からすると今の私はその頃の私の夢のてっぺんにかなり近い。
何年も症状があまりないのをいいことに、私はすっかりそれを忘れていた。

普通に生きているのも、当たり前の生活をしているのも、あまりにも日常すぎてその大切さは見失いがちだ。
気づかないことだってある。

でも今の私は「普通に生きていくこと」「当たり前の生活をすること」がどんなに大変で、どれだけ貴重なことか知っている。
それを夢だというには少し引け目もあったし、ささやかすぎる気がしていただけだ。

私の夢は、キラキラはしていないかもしれない。
頑張る姿も見せるというよりは、見せないように頑張っている。
飲みたいお酒を我慢する、薬だって飲んでいることを知られたくなくて隠れて飲んだりもする。
調子が悪い時に大勢の人と接触しなくてはいけない時には、まわりの雑音や視線を気にせず自分を保つようかなり頑張る。


つまり、私の夢は上にあるものではない。
この状態を保つという平行線なのだ。


だけど、見てしまった夢をまったくあきらめる必要もないと思う。
自分の状態を保ちつつ、平行線の高さを上げていくことはできるかもしれないから。

夢にむかって一直線には頑張れない。
だけど足元をしっかり確認しつつ、ゆっくりでもいいから新しくできていく夢と向き合っていきたいと思う。



そんなことをずっと考えていた。



久しぶりに開いたnote。
恵子さんがまさにそんなテーマを企画していた。

note自粛中の私にとっての宿題だったようです。



記事を読んでいただいて本当にありがとうございました。 めちゃめちゃうれしいです! もしちょっとでもいいな、と思っていただきましたらサポートぜひぜひお願いします🙏