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逃げるということ


にげることは はずかしいことでもわるいことでもない。



そう、逃げていい。
学校から、社会から、人から…
自分を守るため、逃げていい。

ここからは私の話。

私は何度も逃げた。
大人になってから、障害をもってから。
もちろん学校から逃げたかったこともある。
でもその頃は逃げるということを知らなかった。
人のせいにはしたくないけど、誰も逃げていいとは教えてくれなかった。
今は時代も変わっている。
若い時から逃げ道は昔よりあるし、逃げていい。

逃げていいけど、「誰かに迷惑をかけるかも」「どう思われるんだろう」というのは考えてしまう。
残念ながら迷惑もかけるし、よく思われることは少ない。
逃げたからといって100%心が軽くなるわけでもない。
逃げた傷は消えない。

私が逃げる時、障害を理由にはしたくないし、それだけが理由ではないけれどそこから逃げなければ、という兆候はある。
まず寝れなくなる。
寝れたとしても頭が冴えて脳が休まった気がしない。
薬で眠るしかなくなり、明け方にやっと眠りについたり。
その後はちょっと治療が必要になる。

若い頃、自分の限界を知らずに働き続けたことがある。
できません、わかりませんも言えないのだから辞めたいなどとは言えるはずもない。
障害も隠して働いていたからなおさら。
その結果、その場で壊れてしまうという最悪な状態になってしまった。
その後はしばらくひきこもった。
「どうして辞めちゃったんだろう」そんな変わるはずのない、もうどうにもならない過去の現実ばかり考えて、みんなが私の事を噂してる所を想像して、街中のみんなに後ろ指をさされているような気すらした。
考えても仕方のないことばかりぐるぐるぐるぐる。

私は「忘れるための」薬も飲んでいる。
昔は脳に電気を流して記憶をなくす治療もした。
記憶はただでさえ薄れていく。
忘れることでしか前を向けない事もある。
でも痛みは消えない。

その後も逃げたことが何度もある。
「1度逃げたら癖になる」
その言葉が狂気のように突き刺さる。
自分はダメだ、ダメだダメだ。
いきつくのは「もう死にたい」。
周りの人たちは私を元気づけるため、たくさんの優しい言葉をくれた。
とてもありがたいし、理解はできる。
でもその苦しい最中には、膜がはったように私の心には届かなかった。

逃げるにも理由は必要だ。
でも理由はひとつじゃない。
決定的なものがある場合もあるかもしれないけれど、私の場合は自分でもよくわからず、「壊れる」ということだけわかる。
私は考えることからすら逃げるようになった。
気を抜くと考えてしまう。
とにかくそこから何とかして逃げなければ。

にげることは はずかしいことでもわるいことでもない。


あくまでも私が逃げてきた話です。
逃げたら私はこうなってきた、という言い訳の話です。
過去を振り返って、あの時はあぁするしかなかったと自分を納得させることでしか前は向けません。
だって、逃げてしまったのは事実だから。
これから逃げようとしている人にとって、あまりよくない事を書いたと思います。
ごめんなさい。


ヨシタケシンスケさんのこの本には続きがあります。

ひとは うごくことができる。
              
うごくかどうかを じぶんできめることができる。
  
きもちの おきばしょだってうごかすことができる。

そして、すてきななにかと、すてきなだれかをさがしにいくのです。

私が好きなのは、すてきな何かや誰かがまわりにいる人だけではないと書かれているところ。
まわりに誰もいなかったとしても、本や、テレビや、音楽や、スマホの中にすてきな何かや誰かがいるかもしれない。
たとえ今その苦しいさ中にいる時には私のように心に響いてこなくても、後で響いたり。
その人その人で響くものは違うけれど、何かがそのタイミングで響くといいなと思います。

私の場合は音楽が救ってくれる事が多いです。



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