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犬は「ひとりぼっち」が苦手

先日とある用事で娘と郊外へ行った。
厳しい残暑にクラクラしながら駅から目的地へ向かって歩いていると、
周囲の木々から競いあって鳴いているセミたちの声が聞こえてくる。
歩いている人に全く出会わないのは暑さのせいだろう。
しかし道に迷って聞く人がいなくても今は何も困ることはない。

二人でスマホを片手にセミの声を聞きながら歩いていた。

初めて見た犬小屋

「あれは何?」

娘の指差すほうに見えたのは昔ながらの犬小屋だった。
家の庭の隅にボロボロになった犬小屋が置かれていた。
今は使っていないと思われるその犬小屋の前には犬が繋がれていたと思われるクサリも放置されていた。

「犬小屋だよ。あそこに犬をつないでおくんだよ。」

娘はびっくりした。
あんな小さな部屋に入れるの?つなぐの?

我々が住んでいる近所では外で犬をつないで飼っている人は見なくなった。
娘は赤ちゃんの頃から周囲に動物がいる生活をしてきたので、家族と一緒にいるのが当たり前になっている。

犬の飼い方の話をしながら歩き進めると、再び犬小屋が見えた。
今度は実際に犬が繋がれていた。
犬小屋の中から半分身体を出しボーッとした表情でフセていた。

「こんなに暑いのに可哀想。」

素直な感想だ。そしてその通りだ。

お屋敷の黒い犬

ある家で飼われている黒い犬はそれはそれは広い庭で過ごしている。

白く高い壁と立派なアイアンの門扉の中には大きな洋風の家が見える。手入れの行き届いたたくさんの木々や植物がその家を囲み、玄関前には外車がとめられていた。暗くなり始めると少し抑えた暖かい明かりのランプが玄関を照らし異国情緒が漂っている。
その立派な広い庭には黒い犬がいつも自由にしていた。我々がアイアンの門扉に近づくとフレンドリーなその犬は寄ってきて我が家の犬にも優しく挨拶をしてくれる。吠えた声を聞いたことがない。いつ行っても尻尾をゆっくり揺らしながら門扉までやってきて、匂いを嗅いでくれる。いい子だね、そんな風に我々は自然といつも声をかけている。

「どんな人が住んでいるんだろうね。」
そんなことを子供達と話しながら散歩で通るのだが、最近は
「犬は中に入れてもらえないのかな?」に変わった。

家の中に入れてもらえない犬

暑い夏、我が家の犬の散歩の時間は夕飯後などすっかり遅くなった。
暗い夜にあのお屋敷の前を通ると、玄関の照明は消されていて二階の出窓のカーテン越しに明かりが漏れていた。庭は真っ暗だ。

我が家の犬がいつものように門扉に近づき黒い犬に挨拶を試みるが、真っ暗な中に真っ黒の犬だからどこにいるのか人間からは全く見えない。かろうじてうちの犬が門扉の真ん中で止まり尻尾を振り始めたので相手がその反対側にいるのだと気づいた。子供達が自身の持っている懐中電灯の明かりを向けるといつもの優しい顔をこちらに向けるあの黒い犬が見えた。人様の敷地内をライトで照らすことは憚れるため、子供たちには消すよう指示をし、すぐにその場を立ち去った。

あの犬は一日中外にいるんだ。家の中に入れてもらえない。
そんな事実を知ると大きなお屋敷に対する子供達の見方が変わった。

「犬は中に入れてもらえなのかな。。こんなにお家は大きいのに。」

犬の幸せ

広いところで自由にしているから犬は幸せだ。
そんな意見を聞くことがある。

しかし犬はひとりぼっちの時、あまり活発に動かない。
最近流行りのホームカメラを設置している人はわかると思うが、留守中は意外とおとなしくしている。
(盗み食いや飼い主がいるときにできない家具を噛んだりするのは活発な活動という分類はしない。またひとりぼっちによるストレスで破壊行動をする場合もある。)

犬に必要なのは広い場所より家族と一緒に過ごす時間なのだ。

犬はひとりぼっちが嫌い

群れで生活をする犬にとってひとりぼっちほど苦痛を感じることはない。
留守番が長い場合、もう一頭犬を迎えるケースがあるが、それは決して悪い方法ではない。一頭だけで留守番をするなら、仲間が一緒にいた方が犬にとって良い場合もある。猫を迎え、犬が猫と仲良く留守番をすることもいいだろう。
(ただし2頭目を迎えることにより当然ながら大変なことも多くなる。)

犬に必要なのは広い場所ではなく仲間なのだ。

良い関係が築ける仲間が必要だ。その仲間は人間家族であって欲しい。
事情があって外で過ごさせる時間があっても、一緒にいる時間を増やして欲しい。

犬には心を許せる仲間が必要なのだから。






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