犬のしつけに何故「空き缶ガラガラ」がよくないのか〜プロたちの実験〜
昨日の「Do No Harm」の記事に絡んで記しておきたい。
嫌悪刺激のワナ
犬のトレーニングに嫌悪刺激を使った方法がある。
犬の苦手な刺激を使い行動をストップさせるという手法だ。
・水のスプレーを犬の顔にかける
・大きな音を出す
・空き缶に石ころを詰めて口をテープで留め音を立てる
他にもいろいろあるが、むかし雑誌やテレビのあちこちで紹介され飼い主が簡単に導入できるため人気だった。
吠えるからガラガラと音を立てて吠えを止める。
犬が噛み始めたら大きな音を立てて噛みつきを止めさせる。
飛びついた犬の顔に水をかけてやめさせる。
ナドナド。
一瞬で犬が行動を止めるため、インパクトは大きい。
これはオペラント条件付けの「正の弱化(罰)」を使った立派な方法である。
このまま継続して使い、行動をストップすることは可能だろう。
しかし同時にやっかいな条件付けをしてしまうことがある。
刺激と条件付ける「古典的条件付け」というのがそれだ。
犬は出てきた空き缶などの刺激に対して不安や恐怖と関連づけるようになる。
空き缶を持っている飼い主の手が怖くなり、手を避けるようにもなる。
飼い主の手が嫌いになり、最悪その手が近づいてくると威嚇をしたり噛みつくようになることも。
元々はなかった恐怖を植えつけてしまうのである。
人は犬の”行動”を直しているつもりだ。
しかし犬はその時に発生する”刺激”がどういうことなのか関連づけてしまう。
行動矯正をするための訓練をしているだけなのに犬は不安や恐怖を感じ、その時に出てきた刺激と恐怖を結びつけてしまうのだ。
トレーニングをした人のことを嫌いになったり、似たような人や刺激全般を怖がるようになる可能性がある。
ある有名海外トレーナーの実験
25年ほど前だったと記憶している。
私がオビディエンスやアジリティーの飼い主指導をし始めて5年ほど経った頃、
アメリカからある有名なトレーナーが初来日した。
当時は欧米から新しい技術や情報が次から次へと輸入されていて、我々プロはそうした情報を逃すまいとアンテナを常に張り巡らせていた。
アメリカではカンファレンス会場などで見かけたことはあったが、まさか日本で彼女に会えるとは夢にも思っていなかった。
通訳も兼ねて行動を共にし多くのことを吸収できる光栄な機会をいただけたことに興奮していたのを今でも思い出す。
彼女のセミナーは徹底的な正の強化を使った条件付けのトレーニング内容がもちろん多かったのだが、その中で印象的だったことがある。
とても興味深い実験をやってくれたのだ。
犬は人が意図しない条件付けをしてしまうことがある、という実験だった。
当時、日本はラブラドール・レトリバー全盛期で彼女のワークショップ会場にもたくさんのラブがいた。
「今からあることをやってみようと思う。」と彼女は提案し、
たくさんいるラブの中から楽しいトレーニングをしていて人も犬も大好きなラブを選んだ。当時の私のクライアントさんだった。
飼い主にこれから行う内容を簡単に説明し承諾を得た。
彼女が立つテーブルの上には大きなボストンバッグが置かれていた。
リードを離されフリーになったラブはシッポをブンブン振りながら周囲の探検を始めた。
世界で最も有名なトレーナーの一人である彼女がこれから何を見せてくれるのか、会場中の参加者が固唾を飲んでその様子を見つめていた。
犬はテーブルに近づいた。上に置いてある大きなバッグが気になったようだ。
そしてボストンバッグのニオイを嗅ごうとした次の瞬間、
そのバッグは勢いよく落とされたのである。
大きな音と突然のことでラブはびっくりし飛び上がったが、持ち前の明るさですぐシッポを振りながら別の行動へ移った。
(同時に会場中の参加者も飛び上がったのは言うまでもない!)
その後犬はテーブルには寄り付かなくなった。
そして近くにいる彼女に対しても近づくのを躊躇する様子が見られた。
「私はバッグに触れて欲しくなかっただけ。
でも結果はどう?犬はバッグよりもテーブルを怖がるようになり、私のことも嫌いになった可能性はある。」
その後、彼女はすぐにラブにたくさんのトリーツを与えながらしばらく遊び続けた。
アメリカで出会った強面トレーナー
8年ほど前に訪米した際すごいトレーナーに会った。
元々警察犬のトレーナーだった彼はメキシコの国境地域やアメリカ全土で大きな事件の解決に多々貢献をしてきた。
過去には彼と彼の犬が大きな事件の犯人を取り押さえるシーンがヘリコプターからライブ中継されアメリカ全土のニュースで流れた。映画のワンシーンかと思われるほど迫力あるニュースシーンを見せてもらい、今までアメリカ映画やニュースなど遠い存在に感じていたシーンが急に身近に感じられ、彼の話に釘付けになった。
今は第一線から引退し後進の育成に携わっている彼はクリッカーを使ってチキントレーニングを経験するために私と同じワークショップに参加していた。
彼の大きく成長したお腹はコワモテ(強面)の顔を中和するには充分だったし、イカつい顔でニワトリを静かにシェーピングしている姿は説得力が抜群だった。
(↓ ニワトリにアジリティーの連続障害をクリッカーでトレーニングしている。
Aフレーム、トンネル、ウィーブの3つ)
トレーニングに力は必要ない。
彼の実験
彼はそのワークショップの参加者でもあると同時に講師でもあった。
彼ほどの経験がある人から出てくる話は本当に面白かった。
そんな彼がワークショップ2日目にある実験をするというアナウンスがされた。
20名ほどの参加者の中から彼が誰かをトレーニングしたいと募った。
人が人をトレーニングする通称「トレーニングゲーム」だ。
私たちプロのトレーナーは、使用するトレーニング方法全てにおいて人間同士で経験をし犬の気持ちや身体の使い方を学ぶ。
アメリカでこうした「やりたい人?」という募集には困ることはない。
みな率先して手をあげるのだ。
今回もたくさんの手が上がり、その中から一般の飼い主が選ばれた。
というのもそのワークショップの参加者は彼や私のような業界のプロが多く、一般の飼い主は2人ほどしかいなかった。
プロが選ばれなかったのは後で考えると意図的だったんだろうな、と思う。
ワークショップ会場の真ん中でトレーニングを行うと説明された。
目的のゴール行動は彼のみが知っている。
どんなトレーニング方法を使うのかすら誰にも知らされなかった。
犬役に選ばれた一般飼い主の彼女はワケがわからない様子で教室中央に立たされたが、選ばれたことが嬉しかったのか終始ニコニコしていた。
彼は相変わらずのコワモテで鋭く犬役の彼女を見つめていたが、彼が本当はとても優しくお茶目であることをワークショップ2日目にして皆知っていたので、”その時”まで彼の鋭い目線もそれほど気にしていなかった。
そして”その時”はいきなり始まった。
意味不明な怒号
スタートの合図が出された。
しかし彼はほとんど動かないし指示を出さない。
あぁ、これはシェーピングなんだな、と皆すぐに思った。
犬役の彼女は状況が掴めないことに少し不安の様子を見せながらも動き始めた。
自分が動く必要があると感じたのだろう。
すると突然彼は「あ”ぁ!!」とドスの効いた低い声で怒鳴ったのだ。
文字にならない大きな音を身体全体で発したのだ。
犬役の彼女はビクッと一瞬肩をすくめ、動きを止めた。
何事もなかったかのように再び静寂に包まれた。
彼のコワモテの顔は表情を変えることなくただ犬役の彼女の動きを見つめている。
彼女は勇気を振り絞るかのように恐る恐る動きを再開した。
「あ”ぁ!」 再び怒号のような低い声が響き渡った。
彼は微動だにせず大きな身体の底から一瞬声を出すだけなのである。
「え?え、、え??」
彼の声が発せられるたび、犬役の彼女は困惑した様子を見せた。
こんなことが数回続くと、
最初は一生懸命あれこれと動いていた彼女はついに動くのをやめてしまった。
彼女は両手をお腹の前で強く握り締め、顔から笑顔はすっかり消えていた。
大きなストレスを感じていた様子だ。
5分弱程度の短いセッションだったと思う。
彼は終わりを告げ、犬役の彼女に詫びた。
犬役は何を感じたか
彼は犬役の彼女に気持ちを聞いた。
・混乱した。
・怖かった。
・何をしたらいいのかわからなかった。
・頭が真っ白になった。
・その場にいることが嫌になった。
・やめたくなった。
・彼のことが怖くなった。
彼は静かにこう説明した。
「僕は望まない行動をやめさせようとしただけ。」
「もっと時間をかければ目的の行動を仕上げることも可能だっただろう。しかし犬には必要のない感情や精神状態を持たせてしまい、それらは全てトレーニングにおける学習の妨げ以外の何モノでもない。」
「そして訓練に対する躊躇や嫌悪感までも持たせてしまった。」
ワークショップの参加者全員が嫌悪刺激に頼らない”正の強化”をメインとした手法でトレーニングを行なっている。
嫌悪刺激のこうした”害”は充分に理解しているはずなのだ。
それなのに全員が大きく頷きながら彼の話を聞いていたのは、実際に目の前でやって見せてくれ、犬の気持ちをしっかり言葉で聞くことができたからである。
全員が再認識した。
「だから僕はこうした嫌悪刺激の使い方はしない。」
彼は断言した。
彼の現在のトレーニングはシェーピングを代表とする正の強化だ。
現役の警察犬のトレーナーたちに指導をしているという。
こうした第一線で活躍するプロのの犬たちも既に学習理論に基づいた人道的な手法をメインとして使っているのだ。
多くの経験に基づいた彼の話に、一緒に参加していたマッチョな二人の現役FBI捜査官たちも笑顔でうなづいていた。
飼い主の手や声は世界一素晴らしいもの
空き缶を使わないトレーニング方法はたくさんある。
飼い主の手や声は犬にとって最高に素晴らしいものであり続けて欲しい。
トレーニングとは少しずつ成功を積み重ねながら学習させること。
トレーニングの過程も愛犬と一緒に楽しんで欲しいと願う。