起きてることに意味はなくとも・・・

覚者いわく、
「起きている(かに見える)ことに意味はない」

とはいえ、目覚めていない凡夫からすれば
とんでもない出来事に遭遇!としかラベリングできない物語も起きてくる。

実はこの「わたし」、只今まさにその真っ最中、
ジタバタ・バクバク・グルグル・ヘトヘト状態なのです。

時には、なるようにしかならないとサレンダーした気になってみたり
いやいや無理だわ、絶対にこんな理不尽は許せないと怒り再燃!
待てよ。そういえばこのシチュエーション、前にも思い切り嵌められたな~と、大嘘つきサイコパスに苦しめられたトラウマから恐怖が湧いたりと。

もう自我が騒ぎっぱなし。
爬虫類脳よ落ち着け、大丈夫だ右脳に任せてみようなどと独り言ちてみたり
してみても、
頭の中で起きている”未来”に対する妄想が勝手に全開爆走
それは「今」起きていることじゃないと自身を宥めてみたところで
気分が上がることもなく…
仕方ない、それが今起きてることなんだからと
グルグル

これなんだよね。
多くの人が悟りを得たいなんて思っていまうのは。
悟ったら、起きてくる全てを「わたし」に起きていることだと捉えることもなく、ただ起きてきたことに気づいているだけで

感情が張り付いてしまう個我が抜けているならきっと楽なんだろうなんて
どうしても思ってしまう。
勿論「わたし」も未だどこかで思ってる。

個人なんて幻想で
そもそも悟る「わたし」なんていないと諭されたとて
この辛い状況から一刻も早く抜けたい自分がいるという思いは消せない。

事象に意味付けしなければ…と言われても
同じテーマで何度も襲ってくるかに見える出来事があって
「わたし」の場合は、
何でこうなるの?という<理不尽物語>として映っている。

視点を相手方に替えたらどうなんだろうと寄り添うべく試してみても
「あり得ない。わたしなら絶対にそんなことはしないし、できない」で終わってしまう。

この「わたし」だと思っている肉体精神機構には矢張りオリジナルなDNA的影響や、生育環境等々の初期設定もあるのだから、出来事に対する「わたし」の反応パターンと、相手方の反応パターンとはどうしたって違うのだから仕方なし。
私が貴方で貴方は私
なんて思いきれない「わたし」がいる。嗚呼



が!
そんな愚痴を言いながらも
あれこれ下らぬことに思い悩みながら、嗚呼とまで嘆きながら言うか?
と笑われてしまいそうだが

この「わたし」

この物語の全ては既に決まっていると思うには至っており、
このしんどい状態すら、
その過程で湧く思考や感情・行動の全ても完全にシナリオ通りなのだと
信じているのだから質が悪い。

だったら早く諦めきろよーーー!
であります。

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