122.エンディングノート

エンディングノート

銀行関連の整理を兼ねて、主人に向けてのエンディングノートを作ってみようかな?と、私が虹の橋を渡る時の準備をしてみようと考えた。私のメインバンクは三井住友銀行だが、相続などのこととか、預金の凍結のこととか書いてあった。法的な采配があるからそうなるのはわかるが。
ざっと見た印象は、大きな資産も持たないし、相続も発生しない私からしたらただただ面倒!だったので、さっと事務処理ができるように支度をしてみようと考えた。

勿論これは自分の両親が旅立ちの時にも役立つし、万が一に主人が先立つ際にも、お片付けに役立てられるので勉強と思って取り組もうと思っている。

私の部分はとても話が簡単だし、そうなるように支度している。
また私は一人っ子なので自分が終わればそれでおしまいだから、跡形をのこしたくない。風のように去る。それが目標で、仮に生き続けるならヒノの心の中で思い出として残りたい。腐って土に帰りたいのだ。

まぁそれでサイトを見ているところ。
ひとまず、私物の処理など簡単だろうから、行政の処理として目黒区のサイトでお勉強中だ。

亡くなったという事実の次は役所の窓口に電話して、死亡届から死体火葬許可証など流れがあるようだ。その辺の段取りだけでも、おひとりさまで旅立ちを迎える可能性も考えて用意しておかねばだめだね。健康保険と年金か…
結婚で名前が変わる時の手続きと同じく、今の状態を表すために、様々な変更の届が必要なものっていうのは、こうやって学んでいけば良いみたいだ。

本籍とか住民票とかパスポートも含め、(旅行しない間に期限が迫ってきてムカつくが)
情報をしっかりまとめる必要が出てきているね!
本籍も死亡届の提出で死亡って載るのかな…
位牌の写真もいらないけど、若くてまだ見れるうちに写真を撮っても面白いかもしれない。

大学生の頃、大親友と、今自分が死んだら何をどうして欲しいか?を話したことがある。当時私はオメガの時計を溺愛していたので、それを託す!だけだったが。後々大人になって、それ、私以外の人にはただの時計だし。要らないとなると売るだけだなと分かって、自分って他人との共通の思い出でしかなく、あっけない存在だと感じた。
義理の母の認知症で記憶がどんどんなくなる様子を見ていて、お互いに思い出の鎖でしか繋がっていないんだなぁと思った。片方が忘れたら、「私」といいものは、忘れられていく。
それで良いと思う。必要な時に必要な人と関係が持てれば。
その必要な人っていうのはどんどん変わるものだし。毎度同じ席で同じ温室にずーっとい続けたくない。
私は風にあたる方が良い。心地よい風ならば快適だが、そんなちっぽけな私が吹く風に逆らったって意味がない。風に吹かれて乗って上に上げてもらって広い世界を眺めてみることも、とても大事と感じてからは精一杯今を生きようと思った。はずだったが。ポイントにつられて固執していた点が否めない。。。なんとも情けない。まだ固執するきもちがあるが、いや、もうずるずるしていても心が疲れる。もうおしまい!で良いような気がする。

もっと軽く、へぇあの人亡くなったんだ!
で思い出の1つや2つ話しておしまいで終われるように目指してみたい。



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