228.自ら理由を考える

自ら理由を考える


昨日聞いていた占いのYouTubeで自由ってなに?という話が出ていた。そこで、この方はこのようにおっしゃっていた。
深いなぁと思って書いてみようと思ったわけだ。
みなさんは自由って言われて、なにを感じますか?

昔話で恐縮だが五輪落ちて腐っていたとき、腰が痛くて動けないんですよ…。坐骨神経ってやつで。今なら神経を潰すとか、ブロック注射でとりあえず動けるように痛みを和らげたり出にくくしたり、トレーニングで正しい位置に戻し痛みが出ないように体の使い方を矯正したり、治るための手段もたくさんあるのだが、当時は全然情報もなく、コーチ陣も人脈もなく、ただただ、知り合いが勧めてくれた治療にひたすら通って改善傾向なし。時間とお金ばっかりが消えていく日々だった。治療のために生きている感じがしていた。

そんな時に私が思ったのは、(水泳辞めていたので)これから水泳だってしなくていいし、練習時間(17:00)にプールに行かなくたっていい。陸トレもなし。大学通ってやって、これまで出来なかった勉強しながら暮らす、お金も、まぁまぁ自由で。でも行きたかった留学は、ダメ!といわれ、国内で自由に暮らしてやる!となった時に何がしたいんだ?となったわけです。

まず、動けもしないから動けることからスタート。
何がしたいかな?と思ったら、やってみたかったスタジオレッスンに出て、当時はエアロビ、のちにヨガ、太極拳、筋トレ系、をやってみたいと思った。

心理学勉強して、見たことも聞いたこともない統計学ってやつを友達に教えてもらって…。のちに役立ちました。標準偏差しかしりませんけどね。

一般教養の薬学の先生に、もう一度ベンゼン環とか舟形、教えてもらおうとか、これも役立ったなぁ。何もかも手前にあることしか考えられていなかった。そうそう、留学生とも友達になりたいなぁとかね。

今社会に出て、日々を淡々とこなすという、あまり先ばかりを見るわけでもなく、かといってみないわけでもない状態となった。

自由ってある程度の制約がある中でないと結局何も選べないと思った。
今もそう感じている。

前提条件が変われば置かれる環境も違うので、そもそもそこを変えたいのか、このままでどちらを選ぶのか?と、自己に意思決定が委ねられている状態のことを自由というならば。なぜこれを選ぶのか?をなんとなくでもいいから答えられることなのかな?と。

仮に私が中世のヨーロッパの貴族で、毎朝クルクル巻きの金髪に、ロングドレス暮らしだったとしたら。
頼めるならば、クラッシックの生演奏を毎日聴けるだろう。
それは幸せだと思うけど、1日暇で仕方なさそうだ。
お庭のお手入れくらい出来るかな?
お野菜くらい作れるかな?
お馬に乗りたいかなぁ。
ご飯を食べて、御本を読んで?!哲学者や美術家と戯れて?時々運動?
過去専業主婦だった時にこれに似た(CDや画集だけど)暮らしだったが。つまんなかったしボケたねぇ。

私は割と忙しく飛び回る方が性に合っている。
と、今は思っている。
今のところ、水泳でしかお役に立てないが、生徒さん達とお友達みたいな感じで世間話したりする中で趣味を通じて日々楽しく健やかに暮らすそのお手伝いでお役に立ちたい。

余談だが、月曜日の夕方の生徒さんにゴルフのレッスンプロになるには?と聞いてみた。スコアは関係ないらしい。とは言え私練習もコースもそれぞれ3回くらいやった程度でなんとなくわかるってレベル。今ゴルフブームで先生不足らしい。出来るレベルにはない。汗💦

体の動きや仕組みは説明出来るから、悪くない。
こういうふうにしたいと言われれば指導可能だ。
でもやっぱりあんまり興味が持てないなぁ…

なんて思った朝でした。

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