140.思い出として残す「物」と心に残す物

思い出として残す「物」と心に残すもの

私は子供の頃、両親と長い時間過ごすということはあまりなく、誕生日とクリスマスくらいだった。

私の世話は大半が母で、銀行のように父の存在があった。
まぁ現在もふたり元気に床屋をしているが…

商売をしていたこともあって、私がどこにいるかといえば、銭湯か、定食屋さんか、隣の家か、保育園か、商店街のどこかのお店で店番か、プールだった。小学生から選手コースなので英語と公文と習字とそろばん(そろばんはすぐやめた)と、学校の掛け持ちで………

そんな中現在絶賛断捨離中、傘、靴、食器…やっと世界大会のメダルまで手放し、さぁーて!と主役のみで揃った我が家を(私の分だけ)見てみて、大事に持っているお取り皿(四角の平皿)がある。

それは、子供の頃、お祝いとなると出してもらえた白地に青で竹林などの模様が描かれた、勝負食器。
必ず、ショートケーキが乗った。

お茶碗から湯呑みから大皿まで総セットで、母がたまーに使っていた。
一部普段に使おうとなったものを持っていて、約45年戦士となった。
前原から松田になり、持参して、松田から高橋になっても持参した。
家族への思い入れは別にないけれど、お守りみたいなもので。
これが過去どのお皿よりも使いやすくて持ちやすい。

いちごのショートケーキが定番のこのお皿は、母が天国に行くときに手放すと決めている。

みなさんにも、手放さない「物」はありますか?

逆に私は自分の思い出として、残していても使わないし見ないし、見たくもないものもして、過去の栄光がある。

大半は松田の家に置いてきた。

元夫がコーチとして掴んだ結果でもあるし、高橋の家はこれを全く理解しないし、私自身はいらないから。
一部世界大会の金メダルや日本記録の記念品が我が家にあったが、どうも、いやなのだ。
マンションのゴミ管理人のお兄さんが、えええ!!!と、これどうするのよ……と、私と同じようなとても困った顔で不燃ゴミの整理をしてくださっていたが。いらないものは、いらない。

私が前に進むために、新しい自分に会うために、スーツケースの反面は、もう空けたいのだ。

恐ろしいほどの捨てっぷりで断捨離をして、様々な買い物に対する反省や教訓、使いやすいと自分が思うものはこれだ!好きなものはこれ!というのが見つかって、何百万とかかってしまったが、とても良い勉強ができたと感じている。

過去はもうこの一瞬から過去で。
未来はまた別の空気や風が吹いている。先日傘を売りに出してみたのだが。これを使い始めた当時は折り畳みで2つになるだけで、どんなに便利か?!と感じた。まだ時間がのんびり流れていた。
今は、ワンタッチでポン!と開く。
さっと動くようなことが、当たり前となった。

自分の水泳もそうだなぁと感じて感慨深い。昔は一生懸命に頑張ろうとしていたが、今は軽やかに、さっさーっとおこないたい。
その分考えたり感じる時間をたくさん欲しい。

変わらないもの、四角い思い出のお皿のような本質部分と、これを見れば心が温かくなるものと、

傘一つ、この機能の変化を見て、私は変わるんだ!と思うところと。


子供時代からホテル生活が長かったので必要最低限で生きることに慣れていることや、高校生の時は家は物置と思っていたほど、家にいなかった。

心のこだわりや、整理にはとてもいいと思っている。大事に使うことはそれはそれで大切だが、身軽に素早くのための新技術は取り入れていくべきことと思う。

お片付けについて、立派な文章を書けた立場ではないけれど。
好きなものだけに囲まれているって本当に幸せと思ったので書いてみた。笑笑

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