30.母校での水泳

アトランタ五輪を落選で終え、坐骨神経痛が痛くて動くのもやっとこ…もう人生終わった、痛いしかない世界もう嫌だ。そんな日々だった私は専修大学の新入生で、教務課の場所を聞きながら遅ればせながらの履修を席が前後の男子と一緒に学食でやっていた。
ビュー定食奢ってあげるからさ、先輩からもらった情報教えてよ!

もう水泳なんて2度とやるもんか!そんなアンチ水泳だった。五輪のレースなんて水泳以外でも涙が止まらなくて、自分でも何で泣いているか分からないほどで、とにかくテレビを切る事しかできなかった。当時はこの舞台に立つまでの努力や苦しい日々を思い出したり悔しかったり情けなかったり、アメリカに留学出来ていれば…五輪に行っていたら、たられば、たられば。そんな日々だった。

大学では、苦手なことを死ぬ気で頑張ったらどこまで「もの」になるのか?と、簿記の勉強会に入った。簿記って?電卓使って計算できる!えーやる!って始めた。
縁あって原価計算のゼミで固定費の管理をはじめとする様々な勉強をさせて貰った。先輩方は会計士や税理士で博士号の先生や助教授の先輩もたくさん勉強を教えてくれたが、頭が良くていつも、ピンと来るまでに時間がかかる私をいつまでも待ってて下さった。君、勉強したことないでしょ?仕方を知らないね。そういうことか…
あー私は水泳が得意なんだなぁって感じたものだ。

水泳については、今もだが頑張ろうとか思わなくても、いつまでやってても苦にならない。興味が尽きることもない。楽しいし楽だし。
対して勉強は…何をして良いか突破口すら分からなかった。今は勉強の仕方や考え方を教わって多少効率よく学べるようになった。おばちゃんで頭に入って定着するスピードはあの頃よりは鈍いけど、学ぶって本当に楽しいと今感じている。

ここのゼミの教授は学部ゼミ前に、大学のプールで30分泳ぐことを習慣としている方だった。水泳をご一緒するうちにずいぶん可愛がって貰い、院生の先輩のゼミにもお手伝い係をさせてもらったり、教授の研究の関係者である経済産業省の方にも会わせてもらった。アントレプレーナーの会合にも参加して世の中すごい人だらけだ。これからどんな人に会えるんだろう、楽しみだなぁと思った。

生涯スポーツという言葉を当時は全力出し切ったら競技以外はスポーツあり得ないと考えていたが、20年弱時が経って、まさに今自分が生涯水泳をしている。

教授との水泳が楽しかった。教えてあげてうまくなる様子が、ありがとうって言って飲み物貰えたのが嬉しかった。

後に母校でのマスターズ練習会に誘ってもらえた。100m*30本とかとにかくスピード別にコースを分け、皆んなでたくさん泳ぐアメリカ式練習会だった。毎度楽しくて楽しくてしかたなかった。

教授が水泳好きじゃなかったら、母校での練習会がなかったら、あの時あの人が私に声をかけてくれていなかったら。

コラム読んでますよ!という、驚きの嬉しいメッセージに、あの頃の私に、まだ生きているあの人の笑顔に、あの皆んなでわいわいやっていた頃にタイムスリップ出来た。

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