続・おばあちゃんの話

おばあちゃんの話、を書いてからすぐ、危篤状態の連絡を受けて木曜日の最終新幹線で広島へと戻った。
モルヒネを投与されたおばあちゃんは、いつも夢の中にいるようだった。
「あつい?」「痛い?」という質問にうなずいたり、首を振ったりするくらいで、モルヒネによって痛みだけでなく思考までも奪われたようで見ていてつらいものがあった。

それから4日間、私たち家族は毎日朝9時から19時までおばあちゃんにつきっきりで、全員が疲れきっていた。
おばあちゃんが暴れて外してしまう酸素マスクをつけ直したり、お医者さんの話を聞いたり、遠くから駆け付けた親戚たちの対応をしたり、とにかくクタクタだった。

私が外出しており、オトンとオカンと弟の3人が病室で待機していたときのことだった。
おばあちゃんは突然パッチリと目を覚まし、クリームパンみたく真ん丸にむくんでしまった手を合わせて「お世話になりました、ありがとうございました」とはっきりと喋ったそうだ。
オカンが耳元で「こちらこそ、ありがとう!」と大きな声で呼びかけたけど、おばあちゃんはまた夢の中へと戻ってしまった。
その場にいた全員が泣いた、という話を聞いて私も泣いた。救われる気持ち、というのはこういうことなのかもしれない。

呉の山奥に住んでいたおばあちゃんは毎日ものすごい坂を登り下りしていたので、めちゃくちゃに体力があるらしくお医者さんの読みが外れまくっている。
48時間がヤマです→あと3、4日というところでしょう→3日経過→再検査の結果あと2週間以内です…(←NEW!)という感じなんだけど、どうかまた読みが外れてほしいという気持ちと、早く楽にさせてあげたいという気持ちがない交ぜになっていて、何も手につかない。たぶんこれは家族全員で一致していて「おばあちゃんがいちばんつらいのに何を勝手なこと考えてるんだ」という気持ちまで一緒だと思う。
それでも「あと2週間もこの苦しい状態が続くなんて」と考えずにはいられない。

東京へと戻る新幹線の中、彼氏からの「みんなに会えて元気になったんじゃない?」という呑気なLINEに、ほとんど祈るように「うん」と返事をする。2週間も休めないし仕方ないけれど、明日からまた会社だ。少し眠ろうと目を閉じると、おばあちゃんのことを思い出してしまうので、この文章を書いている。小田原駅を時刻通りに通過しました、とアナウンスが告げた。

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