バースデーイベントという文化

田原町のcasual bar flappyの店主のつばめです。
眠れず、朝6時からnoteを書き始めてしまいました。
有料設定をしてしまっておりますが、本編についてはすべて無料でお読みいただけます。有料部分は完全な余談ですので、よろしければぜひ無料部分だけでもお読みください。

田村のバースデーイベントのお礼


先日はflappyの常勤、田村宗一郎のバースデーイベントにお越しいただいた皆様ありがとうございました。
当店はカウンター6席、4人掛けのBOXが3席で18名ほどのキャパシティです。そんなお店になんと40名の方にお越しいただきました。
田村をはじめflappy一同、大感謝です。
田村からの感謝の気持ちは本人のnoteをご参照ください。

いただく一杯への感謝

下記は田村のnoteの引用です。

>>そう、決して安くないのですよ。麻雀で一日に払うゲーム代金、「田村くんにどうぞ」と頂いたショットやシャンパンの数々。そのお金を稼ぎ出すのに、人は一体どれくらい働かねばならないのでしょうか?それでもお客様はその雀荘を、そのBarを選んで来てくださっているわけです。果たしてその恩義に報いずして仕事と言えるのでしょうか。

上記note「皆様へのお礼」より:田村

これは僕が常々言っていることでありますが、彼にこのマインドが浸透していることをとても嬉しく思います。
一杯どうぞといただけるお酒にかかるお金はその方が汗水流して働いて稼いだものです。どこからも降ってはきません。
そこに多大な感謝をするのは人として当然だと思っています。

感謝は薄まってしまうのか

「バースデーイベントに来られたのだから主役の俺は一杯もらって当然」という感覚はもちろんここにはありません。
しかし、毎年バースデーイベントをやっていたら。2年目は、3年目は。
日々店に立っていたら。毎日お客様からいただいていたら…

人間は前回と同じことが起きるというバイアスがかかってしまうものです。(確証性バイアス?アンカリング効果?わからん。)
無意識でいたら感謝は薄まってしまうかもしれません。
だからこそ、常にお客様への感謝の気持ちを再確認しなければなりません。
僕がよく感謝について発信するのは自身に言い聞かせている節もあるのかもしれません…

バースデーイベントという文化

表題に戻りますが、僕はバースデーイベントという文化が大好きです。
自身が主役として行うのも、ゲストをお呼びして脇役として行うのも、一顧客として訪れるのもです。
大人になってから誕生日を40人もの方にお越しいただき、ここまで祝っていただくことは中々ないものです。
であるからにして、その空間は幸せに包まれています。
そんな空間にいられることは、どの立場であれとても楽しいものです。

開けていただいたシャンパンなどの抜き物を近くの席の方へお配りする文化など賛否あるのは分かります。(flappyでは合意の上で開けていただいた方と知った仲の方にお配りできるよう配慮はしていますが…)
しかしそれも幸せの共有や、空間で祝う気持ちと捉えればそれもまたいい文化なのではないかな、と思います。

「バースデーイベントは一年間の通信簿」

尊敬する元上司が毎年言っているのが「バースデーイベントは一年間の通信簿」という言葉です。
日頃の営業中ないし他での振る舞いについて「この人のことは応援したい」と思っていただけるからこそ誕生日を祝っていただけるものだと、この言葉を解釈しています。
応援したいと思っていただけていなければ、いくら個別営業をしても多くは来ていただけないでしょう。

注:
もちろん日頃の活動のスタイルなどによって来客数が少なくなってしまうことはあるかもしれませんが、あくまでスタイルの差と捉えています。
「来客数が少ないから応援されていないんだ」とは必ずしも結び付きません。

感謝は内から出るもの

感謝は、しろと言われてするものではなく、必ずしも形にならないこともあると僕は考えています。
一方で、感謝は言葉にしたり行動に移さなければ意味がないという意見もあります。理解はできます。
ただ、表現が苦手な人もいるでしょう。お礼のために足を運ぶには金銭面や時間的都合にて難しいこともあるでしょう。
それでも、内側に感謝の気持ちがあれば、それで十分なのではないでしょうか。

ただ、僕は極力表現していくスタンスです。個別感謝や行動が足りなければ遠慮なくご指摘ください。

余談:麻雀バーはどこに向かうのか

下記は完全に余談ですので、僕のちょっとした私見を読みたいという方だけお読みいただければ。

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