風空嚢考(1)

旧制新潟県立三条中学校(現三条高校)は1902年(明治35年)に県立新潟中学校・三条分校として創立し、1904年に三条中学校となりました。
その後、1905年には校歌が制定され、現在も三条高校の校歌として歌い継がれています。
歌詞の1番は以下のとおりです。当時の旧制中学校の校歌は皆こんな感じかもしれませんが、漢字の多い難解な歌詞です。

 風空嚢を翻し    説は愚人を驚かす
 只行ふに敏なれや  守門沈黙五千尺
 内に積れる徳あれば 見よ衆嶽の宗となる (平野 秀吉 作詞)

三条中学校創立時の本校である新潟中学校(現新潟高校)の校歌の歌詞は、

 玲瓏の天あふぐ時  胸颯爽の意気に充ち
 廓寥の地をのぞむ時 雄図にあつき血ぞ躍る
 讃へざらめや青春の 光不滅のわが生命  (相馬 御風 作詞)

となっています。これまた漢字が多いです。この作詞者の相馬御風は新潟県出身で、『都の西北』の作詞者として著名な方です。

同時期に校歌を制定した例として、埼玉県立浦和中学校(現浦和高校)の校歌は、2番の歌詞が印象的で、
 将来国家に望みある 一千有余の学生が
 守る倹素と廉潔の  美風示して春ごとに
 大和心の香も深く  匂ふや庭の桜花   (大和田 建樹 作詞)

となっています。作詞者の大和田建樹は、『鉄道唱歌(汽笛一声新橋を~)』などで著名です。

浦高校歌の「将来国家に望みある」というのは、今なら違和感があるかもしれませんが、明治期の中学校生徒にとっては、あながち突飛なことではないと思われ、その状況は新潟中学校や三条中学校の生徒にとっても、大きくは違っていなかったのではないかと考えられます。
旧制中学校(特に制度発足初期、明治期)は、学力や経済力の制約、また定員が多くなかったことなどから、ごく限られた少数の生徒だけが進学できたエリート校であるのは、間違いがありません。

ところで、上に挙げた3校の歌詞は、全て七五調で、(7音節+5音節)×6セットという長さも同じです。つまり歌詞と曲をどのように組み合わせても歌えるということ。コンパチですね。
七五調の歌詞は、童謡、軍歌、寮歌、ちょっと昔の歌謡曲などに多いそうです。
 も・~・~・も・た・ろ・さん(7) も・も・た・ろ・さん(5)
 お・こ・し・に・つ・け・た(7)  き・び・だ・ん・ご(5)
 ひ・と・つ・わ・た・し・に(7)  く・だ・さ・い・な(5)
ちなみに三条中学校の校歌は、曲を旧制一高の寮歌である『春爛漫の花の色』から借りてきているので、カラオケで校歌が歌えます。

閑話休題
明治期に創立した3つの旧制中学校の校歌を比較すると、サンプル数は少ないですが、三条中学校の校歌は、ほか2校の歌詞と印象が違っている気がします。

(2)では、このあたりを考察したいと思います。

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