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演技と驚き◇Wonder of Acting #15

タイトル画像:フランシスコ・ゴヤ「フランシスカ・サバサ・イ・ガルシア」
女性はどこか描かれることが本意ではないかのような表情をして見つめる。画家は描かれることが本意ではないかのように見える表情をその美しさとして描きとめる [演技を記憶するためのマガジン Mar. 2021]

01.今月の演技をめぐる言葉

らむきゃらめる @rum_caramel >original tweet

毎週思うんだけど、西田敏行の芝居がうますぎてバケモン。今回の、泥棒の存在を疑った挙句、寿限無の事まで疑うシーンなんてもう。介護に縁のない人ですら介護のことを真剣に考えちゃうような。あー凄い。まさに人間国宝。 #俺の家の話 #西田敏行

じぇれ@映画垢 @kasa919JI >original tweet

誰がなんと言おうと、2020年の主演男優賞は『超擬態人間』の杉山樹志さんしか考えられない。遺作だとか、お話したことがあるとか、そんなことは一切関係なく。あれほど技術と熱量が見事に融合した芝居には、そうそうお目にかかれない!

ふゆなご @FuyuNago >original tweet

映画は結局つくりものな訳ですが、観客がそれをポカンと忘れる位に『この人物は実在する人間だ』と思い込ませる≒観客を騙せるのが良い役者さんだと思ってます。
『騙し絵の牙』の松岡茉優さんは流石。素晴らしかった。彼女は佇まいや迸る言葉に嘘っぽさが無いんですよね。

引用させていただいた皆さん、ありがとうございました

02.雲水さんの今様歌舞伎旅(ときどき寄り道)

第四回:絡み合い息づく芝居と音楽 ~箕山 雲水

ひさしぶりに『第三の男』を見ていたのは、先日『ようこそ映画音響の世界へ』でオーソン・ウェルズが取り上げられていたからだけれど、何度見てもあのツィターの音楽には感情を不安定にさせられる。ヱビスビールのCMの、というと「ああ」という人も多いだろう。重いストーリーに明るい音楽でかえって時代や内容の違和感を増す手法があまりに見事で、学生時代に出会っていらい、いまだ好きな映画のうちのひとつに必ず入っている(影の使い方の秀逸さは言うまでもなく)。

歌舞伎でも実は同じようなやり方はあって、有名なのは『夏祭浪花鑑』。凄惨な人殺しの場面でエネルギッシュな祭囃子が流れるのには毎度心がえぐられて「参ったなぁ」と頭を抱えてしまう。こちらの感情をえぐっていくその音楽はただBGMなだけではなく、きちんとその場面に存在している現実の音でもあるから面白い。

演技について書くはずの場所でこうして音楽について書いているのは、歌舞伎の音楽が芝居と切ってもきれない関係にあるから。歌舞伎では、作品にもよるけれど、かなりの時間当たり前に音楽が演奏されている。BGMからその場で演奏されている音楽が効果音的に聞こえてくるもの、効果音としての音楽、場所の説明、ストーリーの説明…あまりにもずっと演奏されているものでその存在を気にすることもないのだけれど、あとから振り返れば「そういえばあそこの場面の音楽がああだったから泣かされた」と思うことも多い。

近年では特に南座での『東海道四谷怪談』の独吟で、お岩さんが整理仕切れない感情の中でいやに落ち着いて髪を梳き、その髪がずるずる抜けていく様子の哀しさが音楽で増幅されて泣かされたのだけれど、今まで観劇してきた中で一番印象に残っているのはなんといっても『魚屋宗五郎』の「片門前魚屋宗五郎内の場」。あの時の主役・宗五郎は中村梅之助丈だった。旗本の家に妾奉公に出ていた妹が前の場面で殺されてしまい、兄の宗五郎が悲痛な面持ちで家に帰ってくる場を単独で上演していた時に見たのだと思う。酒癖が悪いために禁酒していた宗五郎だったが、訪ねてきた妹の召使いから信じられない死の真相を聞かされて、「呑まずにいられるか」とひさしぶりに酒に口をつける。呑みはじめたら妻や若い者にとめられても止まるわけはなく、そのまま一升樽の酒を呑みほして樽を片手に殿の屋敷を目指して走り出していく、そんな場面だ。つまり、かなり長い時間、酒を呑んでいる人を見ていることになるわけである。それを支えているのがまさに音楽。

すれすれまで満たされた湯呑みに口をつける、そこから少しずつ呑みはじめて勢いがつき、呑み終わる。これに寄り添うように、西行桜の合方と言われる音楽が演奏される。だんだん酒の呑み方にも勢いがつき、器も大きなものになり、感情もどんどん高まっていく過程すべてに音楽が伴走している。ひとつひとつの動きにもぴたりと合っているけれど、それ以上に宗五郎の心の動きとしっかりと結びついて、まるで音楽までがひとつの生き物のように展開していく。酒が尽きる。宗五郎の動きも、音楽もおさまる。ようやく落ち着いた。そう思っている間にも宗五郎の怒りは徐々に徐々に高まっていき、とうとう殿様の屋敷に乗り込んでやると決心すると祭囃子がかかる。そうすると妻が「今日はお祭りでね」と声をかける。なんとここからは現実に聞こえている音になるのだ。はじめは静かな、笛を中心としたお囃子、宗五郎が怒りに怒って暴れ始めると、太鼓や三味線が目立つ賑やかなお囃子になり、宗五郎の息遣いとあわせておさまっては高まりを繰り返してやがて幕となる。

人が酒を呑む姿を見ながら気づけば涙がこぼれ、最後にはもはや隠しようもないほどに泣かされていたのだけれど、それが役者の芝居とともに音楽によるものだったと気づいたのは、数日経ってからどころか数年後のこと。それほど自然に、BGMと効果音的な音楽が芝居と絡み合って息づき、作品と観客の心の奥底との橋渡しをしている。

『ようこそ映画音響の世界へ』の監督に紐どいてほしいような、このまま「すっとそこにある」存在でいてほしいような。

そういえばあの映画でとりあげられていたオーソン・ウェルズの話は『市民ケーン』のそれだった。まだ未見の『Mank/マンク』でも見ながら、歌舞伎と映画の音楽の使い方の違いについてでも、突き詰めてみようかな。

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03.今月の「Wonder of Act」(編集人一押し)

今月は、日本映画の確実に数パーセントを支えている、あの俳優をめぐる言葉を。

作品を重ねても役柄が固定化されるどころか逆に広がっていく中村には、死角がない。本人に聞いても「大変そうでしたねぇ、あの日の僕」などとうそぶく姿が目に浮かぶが、全てを己の身一つでやり切るには、相当な体力と知力を要するだろう。
ただ、その努力をひけらかすことなく、ジョークに持っていくのもまた、中村流。つまり、作品内で演じ切った後にもう1回、客観的な視点を加えた「解説役」の演技を自らに課していくのだ。

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04.こういう基準で言葉を選んでいます

舞台、アニメーション、映画、ドラマなど、<演技>全てを対象としています。編集人が観ている/観ていない、共感できる/共感できないは問いません。熱い・鋭い・意義深い・好きすぎる、そんな魅力ある言葉を探しています。皆さんからのご紹介もお待ちしています。
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引用中に俳優のスチールが載っている場合、直接埋め込まず、文章のみを引用し、オリジナルエントリーにリンクを張っています(ポスターやパンフレットの表紙などはそのまま引用しています)。

05.執筆者紹介

箕山 雲水 @tabi_no_soryo
兵庫県出身。物心ついた頃には芝居と音楽がそばにあり、『お話でてこい』や『まんが日本昔ばなし』に親しんで育った結果、きっかけというきっかけもなくミュージカルや歌舞伎、落語を中心に芝居好きに育つ。これまで各年代で特に衝撃を受けたのは『黄金のかもしか』、十七世中村勘三郎十三回忌追善公演の『二人猩々』、『21C:マドモアゼルモーツァルト』

06.後記

まさか後記から読む人はいないと思いますが、まだの人は、ぜひ「雲水さんの今様歌舞伎旅」読んでください。もう観ることのない舞台の中で、宗五郎が酒に酔い、決心を固めるまでのさまが、ありありと脳内再生されるかのようでした。ああ、こういう言葉に出会いたくて、このマガジンやっていたんだと、初心に帰えらされました。箕山雲水さん、ありがとうございます。来月もよろしくお願いします。

と、いうことで、記事・論評を執筆いただいたり、ご自身の見つけた他人の言葉を寄せてくれる方をいつでもお待ちしております。次号は4月25日発行予定。続けますとも。誰かが今日も出会っている<演技の驚き>に会いたいからね!

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