ぶっ壊れたまま、変形して、ねじれつながったママゴトの末裔 『イモンドの勝負』ナイロン100℃
「そろそろご飯ですよ」という声がいつまでたっても聞こえないままママゴトは続き、ママゴトを続けているうち私たちは老年を迎えようとしている。
寺山修司みたいなロジック=レトリックだが、実際こういう文章を寺山修司はどこかに書いているのかもしれないが、コトバだけのことではなく、これがリアルになってしまったらどうするのだ。という問題がある。
チラシ裏面にケラリーノ・サンドロヴィッチは記した。
何よりも切な嬉しいのは、漢字ひらがなのひらき方の絶妙のごとく、舞台がこの文章通りだったということだった。
観なくても損はない
ナンセンス・コメディばかりを連発していた頃の私には成し得なかった舞台
ソレの極北に行ってみる
劇中、電柱のたもとで繰り広げられるママゴトのシーンがある。劇中のモチーフをもう一度、ママゴトとして反復する入れ子。瞬間、ナイロン100℃の全て(ちょっと盛った)があの舞台内舞台、劇中劇=「ごっこ」に吸い込まれていく。というか、90年代のサブカルチャーの大半が、あのママゴトに吸引されて慰霊された。そういう思いを私はもった。
もう少し書く。なぜ「成し得なかった舞台」「極北」に行けたのか。ということについて。
結論は明白で、ケラリーノ・サンドロヴィッチが老練な大家に近づいてしまっているからだ。
ある歴史を負わされてしまった作家の悲劇は、その過去にあるのではない。圧倒的な過去の厚みが、未来を予言自己成就的に達成させてしまうことにある。大家が「こういうことをやってみようと思う」と口にすれば、それはその通りになるのである。
だって大家なんですから。
必死でイタ(舞台のことです)を叩いて、制御できないブラウン運動の流れにすべてを任せきりたい気持ちを捨てて、段取り通り大家は勝利するのだ。
ドラスト、主人公スズキタモツが吐き出すセリフは、だから、ほとんどカンパニーの本音なのだと思う。
観客は言うだろう「そら、そうだよ観に来てんだから」(というか危うく叫びそうになった)
この後、再演の予定はないようですが、そして、観なくても損はない演劇ですが、もし機会があればナイロン100℃を知らない観客にこそ観てほしいです。めっちゃエンターテインメントです。演劇の面白さに満ちています。そして、そのままうすら寒い極北にタッチしてしまった芝居です。
(2021年12月18日兵庫県立芸術文化センター 阪急 中ホール 2階席にて観劇)
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