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身を包まれるということ:『イントゥ・ザ・スカイ 気球で未来を変えたふたり(The Aeronauts)』

あまりにも良い映画だったので、できるだけ多くの人に映画館に観に行って欲しいと感じました。だからネタバレのないよう感想を書きます。

気球で気象学者と冒険者(というのかな、冒険することをエンタメ化する人)が天高く飛んで行く話です。

気象学者はエディ・レッドメイン(『リリーのすべて』『ファンタスティック・ビースト』シリーズ)、冒険者はフェリシティ・ジョーンズ(『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』のヒロイン)。この二人のバディネス(仕事仲間の友情)が素晴らしい。後半はひたすら二人に「がんばえーがんばえー」と幼児のような応援を贈り続けました。

もちろん、天穹の映像が素晴らしい。それだけで身体締め付けられる。『天空の城ラピュタ』実写版という評を読みましたが。まさにその通り。

そして、数多くの困難とそれを乗り越える二人が素晴らしい。『ゼロ・グラビティ(Gravity)』と比較する声をいくつか聞き(読み)ましたが、スペクタクル映画としても百点満点です。(これだけで映画3本くらいのお得感があります。)

そして

この映画では、人が何かに包まれる描写が本当に美しい。観ているこちらも一緒に包まれるかのような臨場感がある。3Dでもないのに。

ネタバレしないように奥歯にものの挟まった言い方しますが、例えば霧につつまれるような体験を私たちは持っています。けれどあの臨場感は映画ではなかなか出せないのです。というのは、カメラが主観(登場人物)の視点だった場合、霧は一方向にしか見えない。包まれている感じが立ち上がってこない。ところがカメラを3人称にすると、何かに包まれている人物は伝わってきても、自分も包まれている感じがでてこない。

それが、この映画の場合、丁度良い距離感、画角、俳優の演技、何より空間の拡がり(あのサイズはベストだったと思う)とあいまって、観ているこちらまで包まれているかのように感じるのです。

映画は天空のシーンとその前日譚である地上のシーンを交互に描きながら進行します。この地上サイドのシーンで、フェリシティ・ジョーンズが一度、冒険を断ります。あれ、これ、どうやって思い直すのかなあ、と割とドキドキしました。とても思い直せないように感じるし、安易に転向したら、めっちゃ興ざめだし。

ここで、ある「もの」が非常に重要な役割を果たします。丁寧に伏線を張られます。そして彼女にとって、とてもとても大切な場所で、彼女がその「もの」に包まれる。それを観ながら、顔を少し上に向けるフェリシティ・ジョーンズ(すいません。あいまいとしたものいいで)

それだけで、充分に伝わってくるのです。彼女の心が再び冒険に向かったことが。それも非常な説得力を持って伝わってくるのです。

感動しました。感動しました。(大切なので二回言いました)。二の腕に鳥肌が立った。ああ。こんな感情描写があるんだ。この時間と空間全体が彼女の気持ちを表しているんだ。

このシーン、映画後半開始くらいの位置に置かれているのですが、これがあったからこそ、後半での二人の間の信頼がリアルに伝わってきたのだと思います。

ということで『イントゥ・ザ・スカイ 気球で未来を変えたふたり(The Aeronauts)』。Amazon primeでも観られるようですが、映画館で是非体験して欲しい映画の一本です。

映画5本くらいの密度、ありますから。だまされたと思って是非に。(だまされた場合はコメント欄に悪罵の限りをつっこんでください。それくらいの覚悟はあります)

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