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私だってもう、猫が亡くなる映画は観たくないけど

前回記事からやっぱり間が開いてしまいました。すみません。漫画家の松原千波です。

前回は、デートで割り勘にされて云々の話を書くと言いましたが、なんかどうでもよくなっちゃったので別の話を書きます。

前回、noteに記事を書かなくなったのはパートのバイトをしてたため、と書きましたが、実はもっと直接的な原因はありました。

映画『ハリーとトント』

です。
たぶん60年代か70年代のアメリカの映画で、ハリーという老人とトントという相棒の猫が、旅の末新しい人生を見つける話です。

猫が出てくる話、と聞いて、猫好きさんは心配されるかと思います。

「猫は無事なの?」

そこですよね!

ふーう。

…残念ながら、猫は最後亡くなります…

猫は最後亡くなります!!!!!!

もう、3年くらい前に見た映画なのに新たな気分でがっかりできます…

トントは亡くなります!

ふーう…

なんで死んでしまったんだ、トントよ…

わかる、わかるよ、あの、ハリーという頑固ジジイが周囲に心を開き、孤独から抜け出していく…そういうストーリー展開なら、最後当然死ぬよね、トント!それまでハリーの孤独を唯一癒してくれたトント…彼を亡くしても力強く生きていくハリーの成長を描きたかったんだよね、監督は!わかる、わかるよ!それがストーリーテリングってものだよ、わかる!

でもさぁ…

なんでトント死んじゃったのかなぁ…

前述した通り、私はこの作品をリバイバル上映で映画館で観ましたけど、何しろ昔の映画なので、フィクションとはいえ猫の死に耐えられない現代人の弱い心には清々しいほど無頓着。それゆえに名作なのかもなのですが。

この、トントの死が、マイナスな意味で私にツボったんです。

「トントを生かしておかないことで名作として成立する物語世界って厳しすぎる…」

物語を構築するって厳しいな、と思ったんです。それで、noteに文章構築するのお休みしたんです。
その後パートに出て働いたりしたことを思えば、私は物語を奥深くまで伝えようとする時の作り手の残酷さに、怯えたのかもしれません。

私にとって文章を書くのは趣味で、趣味だからこそ妥協したりおもねったりしたくありません。
漫画を描く時の、

「私がどうこうより、読者さんが楽しめればいいわけですから…それで原稿料いただいてるわけですから」

という、プロ意識に裏打ちされたクリエイティビティーの妥協を文章ではあんまりしたくない。

トントの死で傷ついた私は、創作から離れたのです。

今、エンターテインメントの世界の主流は、とにかく「傷つけない」「コンプレックスを刺激しない」という流れです。みんな傷つきたくないんだな〜と思います。

私は『ハリーとトント』で、めっちゃ傷つきました。猫が死んだシーンがある、というだけで。

でも、

「『ハリーとトント』って映画、面白かった?」

と、人に聞かれれば答えるでしょう。

「いい映画だったよ、猫は亡くなるけど」

痛みを伴わない娯楽ばっかり求める人は、それなりの世界しか見ることができないんじゃないかなぁ?覚悟があってこそ見られる世界もあるよ、と思うのです。

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