朝礼はなしごと素案1
昔○○さんがネット通販について「実物みんと買うなんてわしからしたら考えられへんわ」と仰っててそれが16、7年前なんですけど、今は当たり前になってます
ネットで買うようになって耐久消費財、家電も案外ネットでポチります。
むしろ電気屋さんとか靴屋さんとか閑散としてるイメージが最近はあります。
薬局はそうでもないかな。
本屋もAmazonでポチることほとんどですけどかといって本屋が閑散としてるかといえばそうでもない。「町の本屋さん」はかなりなくなってる気はしますが。
古本屋はすごい増えてるというか自分の関心のせいかもしれないですけど、増えてる気がします。これは商売とコミュニケーションハブのぎりぎりみたいなところがある気がします。ぎりコミュニケーションが成立しないという意味で。
最近家電でも本屋でもなんとなく近くにあったときにふらっと見てみて、現時点での自分の興味関心や欲求をダウジング(探知?)するように歩くために実店舗が存在しているような気がします。
興味や関心や欲求を掘り当てたら、その場では買わず、家に帰って「吟味」します。それはスペックから寸法から何から。
あとは隙間時間で、たとえば洗濯機が欲しかった!となれば、Youtubeで2022年洗濯機ベスト5みたいなやつを家事しながら聞いたりして、その中から自分に一番合うやつを探して、型落ちでいいか最新がいいか悩んで、あとはAmazonの安い日(かポイントがっつりつく日)にポチる、みたいなやり方ですね。
自分が何に惹かれてるかぼやーんと歩ける場所みたいな意味で外とか店舗があって、ぼやーんとして見つけてきた興味関心を深掘り(これも現在では深掘りに至れる環境なのかという問題はさておいて)して一番「コスパ」のいいやつか、高くて無駄でもいいから「自分に合うやつ」を選び取る。
買うほどでもなければ一旦Amazonのカートに入れて、それでもまだ決済に至らない程度であれば「あとで買う」に入れて、「そこまでほしくなかった」と気づけば、削除するし、「やっぱりほしいかも」となればカートに戻し、他の日用品がたまったときに一緒にポチったりします。
じゃあ何が実店舗の強みだったり、何が吟味せずにでも買おうと思えるのだろうと考えた時(以下途絶)
デパ地下で考えると、ふだん見ない食材や惣菜がいっぱいあって食欲で徘徊するわけですね。でもお腹に限界もあるし荷物にもお財布にも限界があるので選ぶわけです。他の商品も基本は同じですけど、お腹ぐらい感覚的にわかるやつならいいですけど、脳、あるいは興味関心とか食欲じゃない欲求はあとはよく言われる三代欲求、性欲と睡眠欲ですけど、これは昼間そと歩いていて満たすにはハードルが高いやつなので、まあAmazon、FANZAまったなしの感じですけど、じゃあ頭の中の欲求の具合を掘り当てるためにぶらついて、なんかとりあえず手にとってみたりおもしろそうだなーっていう感じで冷やかす。その冷やかしとか興味があるけど手にとって買っちゃうほどでもない人を「買っちゃわせる」には、どうリーチすればいいか。
なんとなく歳をとればとるほど「声」というものの情動性がリーチしてくるけど、若ければ若いほどどちらかと言えば明晰に、性格にもよるのだろうが、さっき書いたような、店でがいらんして興味を掘ってから家で一番いいのを買う、まあうまい人に御されるのも若さゆえであるので、冷静に対処するにはうちに帰ってもっともベスト、またはベターなものを買うのが吉と出るのがふつうでしょう。歳をとるとやっぱり信号がないところでももうしんどいから渡るでしょう。もうここで買っちゃえーってなるでしょう。
じゃあ若い人に買っちゃわせるにはどうすればいいのか。「情動や関係」と「知識や認識」との組み合わせ、掛け合わせの配分を年代層や個別具体性によって切り替えて接客する?
とはいえ、もう今広い家電屋、靴屋では店員さんは逃げて行ってるようにしか見えない。店員と競歩してる。腰をぶりぶり振りながら、直角に曲げた腕を振りながら店内を競歩して店員を捕まえる世界。
そもそも接客の接点がもうすでに客に牛耳られているし、店員も別に接しようというつもりもそんなにないときた。まあこれはこれで安定はとれているけど、もっと儲けたい。もっとお金ほしい、あと自分がそこにいる意味というか意義もほしい。
じゃあどうしようかと。
やはり情報源であるネットとかで先に何か情報を流しておいて自分がいい感じであることを先に知らせておかなければならない。あのネットでいいと言われてるやつがたまたまぶらぶらしてたらあった、もしくはそこめがけてチャリで来た、というのが望ましい。
最近はほんとあれですね、そこめがけての人が増えてきて、豆餅もそうですけど、あとはオムライスかな、なんかすごい列になってますけど、鈴木謙介さんの多孔化概念でいうと、ドーム式の個人の情報取得層にスマホなどの情報機器によって孔(あな)が情報が飛び込んでくることによって、同じように外にいる人なのに、もってる情報によって行動が変わるわけですね。
Yahoo!天気で傘もってるもってないから、ポケモンGOでなんか謎にガードレールのところに人が固まってるとか、ああいうのも外からわたしたちとまったくべつの情報源を引き入れてきてそれが行動を変えさせていて、わたしたちからすると俄かにその事情が判然としない、なぜかあそこに人がいっぱいいる、みたいな。
今はもう自分も使ってるから、ああ食べログかとかポケモンGOかとか目星がつくような時代ですけれども、そうやって個人に飛び込んでくる情報によって行動を変容させて実店舗へと人を向かわせるには、その実店舗自体の魅力と商品自体の魅力というか訴求性、コスパと情動(エモさといったほうがいいのかなここでは)に働きかけなければなりません。
認識や知識はスマホという孔(あな)から個人にじゃんじゃか入ってくる。
そして、個人はその認識や知識によって、実店舗に向かいたい(または旅といってもいいかもしれない)という欲求がうまれる。そして実店舗は情動(エモさ)と関係を紡ぐための働きをしなければならない。
この情動と関係を、バギーちゃんのネジとかボルトみたいなものにしたものが「ブランド」なのかもしれません。これは思いつきですが
で、なので、実店舗というのは情動と関係の期待値を超えること、少なくとも「思ったとおり(わたしが目をつけたとおり)いいお店だった」と思われながらお買い物してもらわなければならない。
あとは「落胆防止」、待ち時間、順番後回しにされたトイレ汚いバックヤードから笑い声髪の毛が入ってたetc…なんか色々落胆する要素はありまくるわけで、どうせえっちゅうねんという話ですけれども、、、
結局吟味もできて情動も満たせて商品も満足できる。プラス新しい(その人の生活にとって。)なんかそういうのじゃないといけないのが今の世の中で、ハードルたけぇなぁと思うわけですけれども、ハードルの低いほうは低いほうでもう「百均でええやん」てすぐ思っちゃうわけですからね、百均じゃないような、それにしたいと思わせるようなそれじゃなきゃいけないわけですから、難しい世の中ですね昨今ではでは風邪ひかぬよう
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