メモ0829?

勤労青年の教養文化史の「冷却」システムは外因(環境)、内因(心理)があった。そして時代や位置をスライドしつつ、また媒体を変えつつ、教養文化は没落(見えなくなっていった)。かれらの(教養への)リバイバルは歴史ブームだった。
彼らの足並みをそろえたのは敗戦、復員だった。
農家の過剰人口問題、戦後民主主義と旧弊、青年学級と農村、長男とそれ以外、進学組、就職組、就職組にも養成所かどうかの差。さらに人生雑誌。それらがすべて次々と冷却されていくさまを読んだ。
これらは週間はてなで特集されていた「あの頃みたいに、インターネットに書き続けよう(2022/06/13)」で引かれる一節のような「なぜ?」に彩られている。
いなくなっていってしまう。
これらは00年代のインターネットで書かれたものが好きだった、それらを習慣として追っていた人間にとっての「教養」だったのではないか(それも非常にうすくのびた?透けた?教養)。

教養が薄まることと、古代のレリーフにも「近頃の若いもんは」って書いてあった、みたいな噂話からして、おそらく教養は薄まらない。教養が変わり、また、人が増えていくだけなのだろう。

消えた教養、雑踏に溶け込んでしまった教養主義。知への憧憬。これらがもう一度足並みをそろえたのがインターネットだったのではないか、とはおもう。
そして、一足先に社会人として「去勢(?)」されたはずの(『勤労青年の教養文化史』でいうところの、知やエリートへの夢を諦めて、農業の知識や技術の習得や農地改革に乗り出す青年たちのような?)少し年上の世代は、場を作った。

①場はそのままサービスとして運営されることもあった? レンタルサーバー、無料HPスペース、日記サービス、ウェブリング、ほかには?

→無料HPサービスでいかにIFRAMEの中に広告押し込めるか深夜に奮闘していた→金はないけど広告によってデザインが崩れるのは嫌っ→しかし、そそぎこむコンテンツはさほどなかった、すぐに工事中の画像がたくさん貼り付けられたまま、What's newも更新情報も滞ったまま、借りていた無料BBSがスパムで荒らされ、それも消え、BBSごとサ終し、虫食い状態のままWebArchiveに保管される…(本人すら記憶していない可能性…)

②サーバースペースを借りて、CGIのBBSを多数導入し、疑似的な投稿場所として機能させることもあった?

疑似的な場所的な機能を果たす…とは
今ではTwitterのタイムラインでもYoutubeの動画ひとつでも場としての機能を果たしている。以前と違うなと感じるのは散開(散会?)のし易さが違う。また、人数が多く、3人ほど代表的なオピニオンがあればそれでもう十分な感じがあるので、全員分を読むという発想はない。
そういう規模ではなくなった。
2chでもテーマ毎のスレッドであればずっと単線的、時々次スレを立てるときにダブったりしてこっちを使い切ってからあっちに行こうとかいってた記憶がある。なんか950番ぐらいの人が立てることになってたりして、すまん立てられないみたいな話になってそのまま1000までいってリロードしてたら出来てたりした。
それでも、その1つのスレのアイデンティティ?というか、想像の共同体ができていた。

2ch的な想像の共同体は電車男などにも現れているのかもしれないが、それまでにもテレビなどの、「上位(?)」媒体に取り上げられることで、その共同体は賦活され、テレビに2chのことが出るたび鯖落ちを繰り返していた(2ch公式ガイドブック2004 年譜参照)。
このころの勤労青年はオマエラであり、働いてようが働いてなかろうが、そういう括りではなかったように思う。彼らの想像の共同体はある種のノリ、非モテというか、自虐的な二十代の青年オタクのノリだった?。
働いているなかから時間を捻出し、教養を身につけようとしたり、人生雑誌で想像の共同体をもったのと、おそらく構造的には同じなのだが、やってることは全然違うというか、「勤労」という括り(就職組と進学組)はなくなり、ニートか学生か社会人かおさーんかという括りになる(というか、当時のわたし=20代前半ニート=は、勝手にみんな同世代か少し上ぐらいだと思ってた。確認のしようもないのだが)。

当時は汎適とかを見て、そうだよね、着ていく服がないよね〜と思ってた気がする。今の人はほんと、みんな服がうまいなぁと思う。

就職氷河期の間、わたしはどん底のニート、ひきこもりだったので、なんかひきこもりの定義とか、ニートの定義とかを読んだりしていた。あとはひきこもりサポートキャンペーンも見てたから、ueyamakzkさんとかの日記も読んでた気がする。当時、頑張ってビッグイシューのひきこもり特集買いに行ったりしたなぁ…(遠い目

なんか話がそれてる気がする。
「場」の問題である。これはもう少し考えないといけない。

ただ、個人的な考えとしては、教養文化的なものや知への憧憬というものや冷却されていく過程というのは歴史においても繰り返されてきたことと、インターネット上に書かなくなることには相似系?というか、形がよく似ているように思うのだ。
すでにわたしたちは足並みをそろえた集団ではなく、すでに個人として憧憬をどこに向けるか決める権利を手渡されている気がする。
1970年代以降?
それがインターネットという空間?の一般的な解放(Windows95など)によって、まずはPCに詳しい人間や、ジャンルやアカデミックな近さでその周辺から入っていった? アーリーアダプター?

とはいえ、パソコン通信は既にあった。ここに関してはよくわからない。

わたしが初めて買ってもらったパソコン雑誌は「ぱそ」という、黄色い雑誌だった。初心者おすすめパソコンランキング10みたいなのが載っていて、MacだとColor Classic Ⅱが入ってたような気がする。あとはNECのPC98、エプソン、富士通、東芝、あとなんかエプソンっぽいポジションのなんか会社、、、高いのは40万近かったように思う。
当時はパソコン通信だったのだ。
わたしは結局パソコンを買ってもらうことはなかった。
なぜかパソコン雑誌ばかりを与えられていた。
そういう親のチグハグした行動は今思い出すと腹がたつので措くとして、

何が言いたかったのか

もう少しもどると、いったん諦めるというか、仕事に集中しようと「知や教養に向けられていたもの」を振り向けようとしたときにインターネットが現れた。
この可能性。

もう少し何か整然とした、決して消えないデータベースを思っていた。

実際のところは、雑誌のように時間や距離の制約がなくなり、想像の共同体ができる。そしてさらにそれらは常に更新されたり、追記(返信?)・削除が行われる。
インターネット上に構築し、管理する。これなら業余で活動できるかもしれない。そして、「可能性」。

インターネット上には投稿雑誌のような査読や硬直的な?権威主義的な体制はない。ならば、あえて作るか。

インターネット上にある、わたしたちが「よい」と思えるものを押し上げる動作。動機。これは2ちゃんねらーがテレビで取り上げられたときの気持ちと少し似てないだろうか。

ドーム状の空間をイメージ。バリアーみたいな透明か半透明。
そのドームのおのおのの位置に、点線の丸い穴が開いて、いろいろ投げ入れられている。

投げ入れられているのは、多孔化(鈴木謙介)であれば環境というドームにの中にいる個人に対し、点線の穴から情報が入ってくる。
(ポケモンGOの情報で、謎にガードレールの端っこあたりに集まってる人たちは、多孔化といえるかもしれない)

*これを更に(概念?規模?を)拡大する。「ドーム」をインターネットにして、バリアーを情報空間への敷居のようなものとして捉え、自身が到着する(ドームの上から降り積もる)場所、位置が出てくる。
降り積もるイメージは、地球に寄生獣の綿毛が降り落ちるようなイメージ。

ネット上の位置関係。西とか東ではない。共感覚みたいに無理やり位置付けたりすることもできるかもしれないが、これらは使われている言語の荒さや取り扱われる話題みたいなもの(や、それを取り扱う姿勢? あと集まる人数)でその場所がどういう場所か決まり、そこにいくとああいう人がいるとかいうのがわかり「土地勘」ができる

さらに規模を縮小? 身近にすると、田中修子さんが以前書いていたように「学校」のようになり、誰々はいつも昼はここで食べているな、とかいう習慣を見にいく習慣ができる。
この周期は学校という例えと同じく、卒業があり得る。
常に短い、モジュール化された「学校」に過ごしていて、短い歳月のうち、周期のあった人を同級として、彼らの習慣の中に入り込み、外部や内部による変化によって心理的、環境的に入れなくなったり、離れていったりする。
興味や関心が離れていくということは、また別のものに心惹かれているということで、外部の、現実のモノやヒトによる物理的な事情や吸引力はいざというときに最も強く(強引で)、かつ暴力的であると思う。

なんらかの事情でこの強引さや暴力的なところから逃げ出してきて、少し遅れて(安定を得て)やってきた人間、というのをわたしはときどき見かける(気がする)。おそらくは、みんな少なからずそうなのだろうとも思う(と書いておく)。

体感的にいえば、逃げているとか、帰れないとか、社会的に生きている自分以外にも、もうひとつ自分を持ちたいと言いながら、逃げているという感覚も拭えない。
つまり、先に書いた強引さや暴力的なものになり損なっている?
要は、積極的にこのドームに降り積り、空間?に居るわけではなく、ここにしか居る場所が見つけられない、と言いつつ生きているうちに次第に社会的には生きていけるようになってしまい、じゃあ、結局、何が生きられていないのか?という話になる。

何も生きられていないことはないのだ。納得がいかない? なんか違う気がする?

「実質なにもしていない気がする」これはけっこうある気がする。

要は社会的に価値のあること?というか、まあ働いている以上はその会社の経営があり経営理念的なやつがあって、それに基づいた利益をだすための仕事があって、それが割り振られたり自分で動いたりして成果を出して評価をもらってお給金もらってわーわーいうてるわけですけども…
というのがある。

これではあきたりないということか。まあ黒子っちゃ黒子っぽいですしね。

俺は社会の歯車じゃねー とも思わない。いや、やはり業余。
暇と退屈の倫理学にもあったが遊動生活が一万年前に終わって暇ができてきたみたいなことと同じようなことがインターネットによっても起こった。
およそ情報と言われるものはこのひらこい画面に描出されるようになり、それらのうえで表現されるものは時制や公開の煩雑さを極力取っ払われた。
その時間とキャンバスのせいで、俺たちは筆を持たざるをえなくなった。

天野忠の「歌わぬ鳥」状態である。

 いきなりこの世にきて
 一本の木は
 恥ずかしそうに寒いぼを立てた
 一枚の花びらは とまどって
 呼吸を殺していた だから
 あどけない一羽の小鳥は
 だまっていた いつまでも
 だまっていた。

思潮社 現代詩文庫85 天野忠詩集 p93-94

これは定年となった男が絵筆をもって絵を描いた、その絵の中のキャラクターたちのようすである。

死、死である。

(つづかないかもしれない)           



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?