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いつか2

ここ最近頭がぼーっとして、風邪とかではないがうまく休むことができない。無駄にスマホをいじってしまう。
昨日SNSでchoriさんが亡くなったと知った。会ったことはなかったが、2003年のPoetry Lunch Boxというのを見に行って、そこから3回目のライブ(ことのはサーキット?)まで見に行った。

★「Paorett」とは
「ポエトリー・ミーツ・アート」を基本理念とする、ちょりを中心としたコトバプロジェクトです。
詩を、より多くのひとによりさまざまなかたちで届けるために、メディアミックス的なアプローチでイベントを主催したり、作品をつくっていきます。
2002年9月結成

Poetry Lunch Boxのパンフより

結成は9月らしいのだが、2回目のライブのパンフでは立ち上げは10月となっている。いやそういう話じゃない。


2003年の私の日記。

01/25
PLBに行ってきた。 一人では怖いのと、 おしゃれじゃないのと、 ちょとした使命感?みたいのを勝手に帯びつつ、 詩とは無縁のYとTを誘って行った。
PM3:00過ぎ、YとTが来た。 Yだけ誘ったのだが、Yの家にTが入り浸っていたので、一緒に来たということだった。 Yが、とりあえずメシ行こ、と言い、王将に行った。 王将で食べながら、 とりあえず、YとTに、何のイベントに誘ったのか話した。 でも、自分もよく分からないので、 朗読のー、コンサートみたいな感じのー、と、言った。
王将を出て、 鴨川のほうに歩くと、少し流れの強い鴨川と三条大橋と三条京阪の左に薄く見える山が きれいだったので、何枚かデジカメで撮った。 すると、Yが急に、腹が・・・あかんやばい、と苦しみだした。 Tは、もう4時やぞ。歩いて真如堂までって、ぜったい間に合わんぞ。と言った。 なんか急にピンチになった。 とりあえず慌ててYの家まで急ぎ足で戻って、 Yが家で便所を済ませると、もう4時20分をすぎていたので すぐに反対車線に渡ってタクシーをとめて、真如堂のバス停の前まで、と言って乗りこんだ。 岡中を過ぎたころ、 タクシーの運転手が建設中のマンションに懸かるクレーンを見て、 あんな高いところから鉄筋落としたら天井突き抜けますなー、と言ってるうちに 真如堂のバス停前に着いた。 750円払ってお釣りをもらうときに、 運転手さんに、信号いっこも引っ掛からんかったなー、と言われて、そのことに気づいた。
タクシー降りて、さぁトランクルーム探すぞ、と思ったら 本当に目の前がトランクルームだった。 入ると、受け付けで名前(HN)と年齢と血液型(たしか書いたような)を書いて、 500円を払うのを手間取ったが、 タクシーに乗った甲斐あって、ちょうどPLBは始まるところだった。 水色のプログラムと小さなドリンク引換券をもらって、 会場の後ろのほうの、輪切りのチクワのオブジェの前で、 ちょりという人の話を聞いていると、 第一部のオープンマイクになった。
オープンマイクでは何人か(9人)が 一編ずつ詩を読んでいった。
一人目の人が読んでいるときは、場が冷たい感じで、 えらいところに来てしまった・・・と思いながら、 こういうのをシークレットギグとかいうのかなぁと考えて落ちつこうとしていた。
覚えているのはR.T.C.H.という人が遅れて最後のほうに登場したこと (事故だったらしい)や 空弥(あや)という人が脇にパンダに見えたり ナイトメアビフォークリスマスのガイコツの頭に見えたりするものを 抱えていたことやいそのしずかという人の棘や血が抜けるというのを 想像していたことや踏切つやこさんの英語やわたしはわたしのと続いていく とんがった感じのことやMew-Zinという人は 落ち着いた感じで何となく 中国の楽器を弾くような感じがしたようなことや 飛び入りのスタッフの人がものすごく足が上がったり身体に穴があいた?り パントマイムがあったりしたことや 名古屋から来た人が愛のようなことを読んでいたことだった。
オープンマイクが終わると、 Tが帰った。 休憩中、Yとしゃべっていると、くるりが流れていた。
第二部は、 てんこという人と藤坂萌子という人と楠木菊花という人のリーディングだった。
てんこという人はギターに合わせて 詩を読んだ。 詩と詩の間に、 たしか山を登っているという話(MCと言うらしい)と、 二条城からどこかまで歩くという話をしていて、 それからは何となくてんこという人はパワフルに見えた。 悲しい樹という詩には最後のほうに間があって、 間と言ってもギターが なんというか強い風が吹いている感じにかき鳴らされていて、かっこよかったし、 一秒という詩は言ってることがズバズバ自分に当てはまっていく感じですごかった。 ずばずばっとしていた。 とある高校の校歌(自分はあれはこまくさのテーマだと思っていた)も歌っていた。
藤坂萌子という人は目隠しをしていた。 あと何かをしていたような気がする。 途中、フラッシュが何度か規則的に炊かれたりした。 もしかしたら、あのフラッシュで記憶が飛んだのか、 なんなのか、あまり覚えていない。黒い服でマフラーをしていた。 あと男が嫌いだと言っていたので、女が好き、という感じなのかと思えたが、 そうでもないようだった。
楠木菊花という人は、 たしか、MCで風邪をひいていて、それは 駐車場が閉まっていて車の中で三時間寝たらそりゃ無理もない、という感じのことを言っていたと思う。 詩は、葛藤がものすごいスピードで読まれていって、 葛藤の摩擦でゆっくり口調がとまるというより急ブレーキでとまる感じが かっこよかった。 悪魔が自殺志望者に自殺の手段(コース)をそそのかす、という設定の詩では、 飢餓コース!と言うときに、前のコースに比べて極端に文字数が減ったので、 リズムが、おっ、と、つまづく感じで、おもしろかった。
第二部が終わったあとの休憩で、 このとき、やっとイスに座った。それまで見えなかった、 出演者が立っていた足元が見えた。 大きめの丸い石(石膏?)が円く並べてあって、 ひとつひとつ、つぶれた墨の字で、耳と書かれていた。 耳、というのは、初めにちょりという人が展示について 説明していたので分かった。右を向くと、 壁に、縦に3枚パネルが貼ってあり、会場のセッティングの様子が写真付きで説明してあった。 女の人が石に筆で耳を書いているところの写真があった。 休憩中は、テクノ(よく分からないのだが)音楽が流れ、 スクリーンにはパソコンのプロパティ画面のようなものが映っていた。 さらに、電気コードを巻き取る人などを見て、 いよいよ、これは、本格的になってきたなという気がした。
第三部はまず、 藤坂萌子という人と鷹取希という人と谷という人のパフォーマンスだった。
まず谷竜一という人が読むと、 鷹取希という人が、ちらちらと、と、言い、 その後ろを藤坂萌子という人が歩きながら読んだ。 病院の話だったように思った。 後ろのスクリーンには雪のようなものが 降っているようなライトの効果があった。
次はちょりという人。 大阪の池田の児童殺傷事件の詩だったように思う。 川の底に船があるというイメージと こうのとりの眼玉がどろりと落ちるイメージがずっと浮かんでいた。 手にカゴを持って、カゴにはテープレコーダーと飴を入れていて、 ときどき飴を落としたり、 流れるテープの声に呼応したり同時にしゃべったりした。 ちょっと聞き覚えのある感じの曲を口ずさんだり、歩いたり、 観客に手拍子をお願いして、そのリズムに合わせて読んだりした。 手拍子のときに、ちょりという人が、ハンドクラップ、と言ったので、 一瞬拍手しかけたが、ちがうちがう、と言われて手拍子になった。 パン パン と手拍子をやっていると、 手拍子の間隔が速くなったり遅くなったりするような錯覚がして、ちょりという人を何か 煽っているような感じがしたが、ちょりという人は目を閉じていた。 それからも、 急に座っている人に初恋の人の名前を質問したり、 急に左に控えてた人が赤い携帯に出てしゃべったり 後ろのほうがこそこそしたり、 本当に急に色々あった。 隣の人と手をつないでください、と言われて焦った。 詩の最後のほうはなんとなく明るい感じがした。
次は鷹取希という人だった。 出演するときにコートを脱ぐと、 赤っぽいインドネシアという感じの服を着ていて、 今風の熱さがある人のような気がした。 声がすごくよく通っていた。 ちらちらと、のときも声が通っていたが、 一人のときは、スピード感もあった。 長い針が四、短い針が九、という詩が読まれて、 その針のさす時刻を理解しようとすると、 もう詩がどんどん次に進んでしまって熱くなった。 持ち時間を気にしたり、ばらまいた詩の紙を選んだりしているのがよかった。
谷竜一という人はなんというか理工系風の面白くてたまに熱そうな人だった。 熱いというのは、 セリフを噛んだ自分に向かって、かみかみやんけっ!と二回ほど自分に怒っているのが 面白くもあり熱くもあるような気がした。 今日読むはずだったテキストを忘れた、という話や、 バスで後ろの席に知り合いが乗っていて色々言われた、という話をしていた。 はじめ、しゃがんで読んでいたように思う。 詩を読み終わると、パンッと手をたたく合図をしてくれて、 それが鳴ると拍手をした。 ほうこうするよるに、では、フクロウのマネをするように 自販機のブゥーンという音を表現していた。 最後、トランクルームの向かいにある、明日閉店するというローソンのことを話し、 即興で会場を真っ暗にして、 コンビニから始まる詩を読んだ。 そういえば、ボールを投げていた。 ちょりという人が持ってきた、 ユメシマにごみを捨ててはいけません、と書かれた看板を壊した。
PLBが終わると、一階のカフェで、Yはマンゴーラッシー?を、 自分はアイスチャイを頼んだ。 ラッシーというのはヨーグルトのことらしい。 チャイはしょうがの味がした。 飲み終わって外に出て、撮り忘れていた会場はもう 片付けが始まっていたので、 通りから、トランクルームの建物全体を撮ろうとすると、 トランクルームの右側のベンチにカップルがいたので、 建物の左半分を一枚撮った。
帰りは歩道橋を渡って、 谷竜一という人が言っていた明日閉店になるというローソンに 寄った。もう本当に買うものがなかった。 それから中学校のときの帰り道をYと思い出話をしながらたどった。 暗いのでラブホテルばっかり目立った。 京都会館の裏を抜けると、 部活の帰りによく立ち寄った自販機が壁になっていた。 京都会館の公演の予定表を見た。演歌多かった。 しゃべりまくったが、あんま覚えてない。 PM10:00前に帰宅。
PLB:Poetry Lunch Boxの略。

2003年1月25日の日記

結局みんな忙しくなるというか、ネットはそれを生業にする人じゃなくても参加できる時間的地理的制約をいくらか緩めたから、全然詩に興味ない私が詩に興味持ち、ニートだったときは見に行けたけど、働き出すとまあ生きるのが下手すぎたため苦労し、気づいたら10年ぐらい経ってた。
10年経つと、あの頃の人は結局どうなってるのかみたいな感じになる。

2000年代の初期はエンピツ(日記サービス)とかHTMLの直打ちの日記を見てればよかった。私も若かったし金なかったからテレホーダイしかなくて夜更かししまくってたからそれでよかった。ああ、あとはロリポップ?のなんかこう当時のMacっぽい感じの写メ日記サービス(右上にみかん星人みたいのがいる感じのやつ 追記:思い出した! ヤプログ!)もあった気もするが、そういうのとかがあった。
ちょっとしたらみんなはてなアンテナで日記の更新とかをリスト化する人とか出てきて、いうてる間にはてなダイアリーができたり、他のブログサービスもにょきにょき現れた。

ちょうどそのころ私たちは慌ただしく、日記・ブログサービスも取っ替え引っ替えだったので、結局どこで何してるんかようわからんくなった。どこを見ても更新が止まってて、たぶん忙しいんだろなって雰囲気があり、私も忙しいので考える暇もなく過ごした。
気づけばなんかネットで普通にクレカ支払いとかもするようになっており、常時接続でネットも当たり前になってて、気づけば全員なんだかんだSNSにアカウントがあるっぽい雰囲気になっていて、ふとした時に検索すればアカウントがあり、そのアカウントの返信欄とかみると昔の名前で出ていますみたいな感じだった。私たちは流れ着いたのだった。

(追記で細かく書くと、もう社会というかリアルでなんかやってるっていうこととネットでなんかちょこちょこ呟くことがそう大差ない(大差はある)雰囲気になってて、なんかやってんなーって感じはSNSで見なきゃいけなくなってしまった。便利なんだから使わなきゃ損な気もするが、私は写真で魂が抜かれると思ってる時代の人じゃないけどSNSで喋ってしまうとなんかオゾン層につまようじで穴開けられて空気が全部抜けてしまうような心許ない感じ陥るので積極的に利用することは控えている。あと隙間風で風邪引く感じにもなる。かわりに、相当ラフなアルゴリズムで適当に記事を撹拌しているこのnoteに長々と書きつけるほうが性分に合ってる)

もう詩から少し離れてる感じっていうか、書ける人は小説だったり、暮らしだったり推しとか趣味のほうに舵を切りつつも、時々は詩を気にかけているようすだったし、がっつり詩って感じのままの人もいて、そういう人はリアルでもやってる感じだったりして、私は相変わらずネットでROMに近い状態で、ああでも鈴木志郎康さんのことは調べまくるようになった。
あとリアルでも少しだけあって、でもそれは(私は)カウントに入れてない感じ。時々文フリとかポエケットは気になったり、日付を見て「行こう」とは思うんだけど、一ヶ月ほど前になると急に行く気が萎えてきたりして、結局行かなかったりする。来月は文フリ大阪だろうと思うけど、たぶん行かない。今は行かない気分。お金もない。
文フリの東京はビッグサイトだから行ってみたい気もしてたけど、行って何をするのか、そう考えると特に何もない。ただ東京にはいくつか用事がたまり始めている。世田谷の東京大空襲戦災資料センターなど。



choriさんをネットでいつ知ったか定かではない。覚えてない。覚えてるのはpoeniqueの詩会で気合い入ってるなーみたいな感じだったのと、若者で集まって組んで何かやってるなーみたいな感じだった。
くぐもりやpaorret、あとEddie Walkerだったかな、なんか色々グループやユニットを組んで、気づけばVoXとかのブッキングをやっていて、なんか一回VoXが前の場所のときに一回行って、それが文月さんがゲストの時か何かで、そこでたまたま一緒になったりりじゃんの人と帰りに王将か喫茶店かどっかでちょっと喋った記憶がある。

仕事終わりに「なんにもない今日か、行ってみるか」迷いVOXへ。木屋町御池を減速せずにカーブした。気持ちよかった。ポエトリーナイトフライト。前半がほぼ終わるところで着く。ちょうど氷がひっくり返る音がする。入り口付近でMさんと奇遇。ほっとする。横に下り階段があり底にステージがある。ドラムセットが見える。入り口挟んで右にふづきさん控える。バーカウンター兼PAの朗読ステージ。天井低く皆背丈が2メートルほどあるように見える。厨房の扉が何度か開き、たまに手を止め背伸びして見るひと。ふづきさんが読み、その後ラップやういういしいの。はじめての人。ふづきさん立って見る。みんな成る。終わり、Mさんと近くで少し飲み、話し、もうこんな時間だと別れる。夜道話した事思い返す。家についてスポポーンと脱ぎ、上半身裸で歯を磨く。左(右か)のちくびが処理落ちした。Skypeした。マイリスが増えたよという話。いつまで経っても「このひと名前知ってる」っていう感じでいたい気もした。PAPER DRIVEやっと手元に届いた。

2015年8月28日の日記


なんかVoXの奥のすり蜂状のステージの奥にあるカウンターのあるとこみたいなとこで朗読、これがたぶんPoetry Flight Nightだったんだと思うけど、それを見てた。このときは誰かが読んだ「クレド」ってやつが、なんか言葉は覚えてないけど熱だけ覚えてる。
気づけばVoXはたぶんBACKBEATの場所に移転して、そういやその前は、そのあとは? nanoにも居たのではないか。前後関係がまったくわからない。choriさんはライブハウスでブッキングやりつつ自分もやる人っていうイメージで自分の中で十年ぐらいあった気がする。
最初はネットで詩で一番熱がありリアルでもイベント主催して結果も出してっていう、詩学の新人賞を取ったりしつつ、あとはなんか昔自分が太ってて痩せたのもあってか、太ってる人が嫌いな感じだったイメージがある。詩人はかっこよくあるべきみたいな感じ。
私はダサかったからまあそのへんは賛同できなかったが当時は脱オタクファッションみたいのもあった。当時の私はネットで精神分析なのか社会学なのかファッションなのかITなのか詩なのかよくわからないが、そういうのをぐるぐるみてた。それが今になって種本みたいなのがあったんだーって知るような、そんな気持ちで生きてる気がする。
話がそれた。当時の私はすごく太ってたので「やだなー」と思いつつ急に痩せれるわけじゃないし、服もないのでダサ太ったまま見に行ってた。
詩で戦略的にどういうしていくぞーみたいな機運というのは当時あって、簡単にいえばマネタイズだと思うが、そういうのが主だったのか副だったのかは今となってはもうまあなんでもいいんじゃないかって気になってくる。
かといってどれだけの人の記憶に残ったかっていうのでもない気がしてくる。
ネットで生き方の路線を入れ替えたのなら回復のターンも慎重に組み入れるのも悪かないと思っている。それは私には絶対できない生き方というのをうすうす感じる人は多かった。それはるろ剣じゃないけど、九頭竜閃は彦さんぐらいの筋肉に包まれた体躯で打つ技なのであって、剣さんの華奢な体では負担が大きすぎるって話を毎回おもいだすんだけど、ネットはそこを結構掻き乱したと思ってて、じゃあネットのない時代にはそれがなかったのかっていえば、昔っからふつうにあったんだろう。その総数を増やし、その可視化を促しただけだ。ぶっ飛ばしていく人がそうでしか生きれないのもわかるし、そうしたくなくてもそうなるってのもわかるけど自分にはわからない。ネットには先に大人になってる人もいたりして、同じようなシンパシーを感じたはずだが、その着地点がインディペンデントかどうかみたいな部分はかなり予後に影響するんじゃないかと思って、私みたいな人間はすぐ死ぬので回復のターンばかりとって生きてきた。そんなことを思わせるが、昔ほどはもう揺らがない。話がまたそれまくってる。もどそう
choriさんは年齢ごとに16歳とか年齢の詩を書いてて、それのせいかやたらボクサーパンツで佇んでいるっていうイメージがある(当時ブリーフだったので、せめてトランクス履こうって誓った)。あとは詩会で「あるく」という詩を書いて、最後のひとことは要らんかったんちゃうかみたいな感じの議論が起こってた記憶もある。「ありく」だったか。記憶がもう。
最初のほうの「下駄の片方の削れ具合を知ってる僕と守衛?さんの目が一瞬だけ合う…」みたいなくだりにめっちゃ痺れた記憶がある。
そういえばのちBBSで詩の合評?じゃないけど、なんか書いた詩の評をするみたいなのをやったり、自分のオフィシャルサイトを作って毎日のように詩を更新してたような記憶もある。あとどっかのテレビで特集組まれてたこともあったな。
MBSだったか? Kという詩を思い出す。血も滲まないような言葉で僕を語るなみたいな詩で、ディーズデイズはなんでか心の中で毎回「デイーズデイズ」って読んじゃってた。Kという言葉はなぜか眼鏡と繋がってて、Kという詩は珍しくひろっちさんがいいね押してて、それも印象に残ってる。
そういや現フォのアカウント消えてたかな。あの野球の詩が好きで数年前読もうとしたら消えててなんかちょっと寂しかった。
あと隣人よさらばで終わる18歳の詩だったかな、あれも好きだった。あのいろんな人が周りにいるところ、走るのをやめちゃった人とかも一緒に坂をくだってるようなイメージ。うかむせと聞いてもマリイラストリアスしか思い浮かばない。
野球の詩の輻輳するイメージも好きだった。草魚とかもよかった。バンド体制になってからはあまりよくわからなかったけど、時々PVが公開されたりして、あとは原口さんの詩にめちゃ長い評書いたりしててすごいなと思った。れっつらさんとの関係性みたいなものをネットからしか見てないけど、なんかいいなとか思ってた。記憶では、「祝福が終わった夜に」か何かの感想で「ディーズデイズ」のとこに「はいダジャレ」みたいに書いてて、なんかいいなぁ、と。あれ、Kと祝福の…の区別がついてない。おかしい。記憶が…ダメだ。人狼とか将棋のことをよく呟いてたイメージもある。あとは酒飲み過ぎなんじゃないかっていうイメージも。早いのかはわからない。気づけば名前も変わってて、週刊女性?だったかなも買ったりした。いろんなことやってたから色んな人の記憶に残ってるだろう。血筋的なのもあってたぶんふつうに人から「ちょり死なはったな」と言われる可能性もある。私も会って話したわけじゃないから「みたいですね」と言うしかない。39歳だったのかと思う。完全に年上としてみてたっていうか、年上っていうか、なんていうのかな、止まってるような私からみて、すごい動いてる人って感じがしていた。
そういや偽名(ハンドルネーム)でゲルニカの詩を書いてた記憶がある。ゲルニカ、声がなくなって。みたいなやつ。あとは字画は に続いている(字画が廃園の水路になってるようなイメージのする不思議な詩)、とか、すべりこみリノリウムの床で踊る…みたいなやつも。変な角度で雨が降ってくるやつとか、ダンボールを舐めるやつ、断片でしか思い出せないものが多すぎて嫌になってくる。
なんかイメージ的に定期的に好きな詩人のリストみたいなやつを呟くイメージもあった。飯島耕一とか鈴木志郎康さんは入ってるときと入ってないときがあり、あとはカオリンタウミであったり。ほかにもchoriさんは現代詩人と今自分がいいと思ってる詩人とかすごいと思った人も普通に入れててそういうのがいいなと思うことがあったり、私の時期によっては「それは違うのでは」と思ったりしてた気がする。上田假奈代さんも入ってたり、な気がする。そういえばブルーハーブ、くるりはもちろん(もちろんなのかは知らないが…)、私の岩瀬敬吾好きも、もとをたどればchoriに行き着く。詩集はなんか意地で買わなかった気もする。














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