いつか2
ここ最近頭がぼーっとして、風邪とかではないがうまく休むことができない。無駄にスマホをいじってしまう。
昨日SNSでchoriさんが亡くなったと知った。会ったことはなかったが、2003年のPoetry Lunch Boxというのを見に行って、そこから3回目のライブ(ことのはサーキット?)まで見に行った。
結成は9月らしいのだが、2回目のライブのパンフでは立ち上げは10月となっている。いやそういう話じゃない。
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2003年の私の日記。
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結局みんな忙しくなるというか、ネットはそれを生業にする人じゃなくても参加できる時間的地理的制約をいくらか緩めたから、全然詩に興味ない私が詩に興味持ち、ニートだったときは見に行けたけど、働き出すとまあ生きるのが下手すぎたため苦労し、気づいたら10年ぐらい経ってた。
10年経つと、あの頃の人は結局どうなってるのかみたいな感じになる。
2000年代の初期はエンピツ(日記サービス)とかHTMLの直打ちの日記を見てればよかった。私も若かったし金なかったからテレホーダイしかなくて夜更かししまくってたからそれでよかった。ああ、あとはロリポップ?のなんかこう当時のMacっぽい感じの写メ日記サービス(右上にみかん星人みたいのがいる感じのやつ 追記:思い出した! ヤプログ!)もあった気もするが、そういうのとかがあった。
ちょっとしたらみんなはてなアンテナで日記の更新とかをリスト化する人とか出てきて、いうてる間にはてなダイアリーができたり、他のブログサービスもにょきにょき現れた。
ちょうどそのころ私たちは慌ただしく、日記・ブログサービスも取っ替え引っ替えだったので、結局どこで何してるんかようわからんくなった。どこを見ても更新が止まってて、たぶん忙しいんだろなって雰囲気があり、私も忙しいので考える暇もなく過ごした。
気づけばなんかネットで普通にクレカ支払いとかもするようになっており、常時接続でネットも当たり前になってて、気づけば全員なんだかんだSNSにアカウントがあるっぽい雰囲気になっていて、ふとした時に検索すればアカウントがあり、そのアカウントの返信欄とかみると昔の名前で出ていますみたいな感じだった。私たちは流れ着いたのだった。
(追記で細かく書くと、もう社会というかリアルでなんかやってるっていうこととネットでなんかちょこちょこ呟くことがそう大差ない(大差はある)雰囲気になってて、なんかやってんなーって感じはSNSで見なきゃいけなくなってしまった。便利なんだから使わなきゃ損な気もするが、私は写真で魂が抜かれると思ってる時代の人じゃないけどSNSで喋ってしまうとなんかオゾン層につまようじで穴開けられて空気が全部抜けてしまうような心許ない感じ陥るので積極的に利用することは控えている。あと隙間風で風邪引く感じにもなる。かわりに、相当ラフなアルゴリズムで適当に記事を撹拌しているこのnoteに長々と書きつけるほうが性分に合ってる)
もう詩から少し離れてる感じっていうか、書ける人は小説だったり、暮らしだったり推しとか趣味のほうに舵を切りつつも、時々は詩を気にかけているようすだったし、がっつり詩って感じのままの人もいて、そういう人はリアルでもやってる感じだったりして、私は相変わらずネットでROMに近い状態で、ああでも鈴木志郎康さんのことは調べまくるようになった。
あとリアルでも少しだけあって、でもそれは(私は)カウントに入れてない感じ。時々文フリとかポエケットは気になったり、日付を見て「行こう」とは思うんだけど、一ヶ月ほど前になると急に行く気が萎えてきたりして、結局行かなかったりする。来月は文フリ大阪だろうと思うけど、たぶん行かない。今は行かない気分。お金もない。
文フリの東京はビッグサイトだから行ってみたい気もしてたけど、行って何をするのか、そう考えると特に何もない。ただ東京にはいくつか用事がたまり始めている。世田谷の東京大空襲戦災資料センターなど。
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choriさんをネットでいつ知ったか定かではない。覚えてない。覚えてるのはpoeniqueの詩会で気合い入ってるなーみたいな感じだったのと、若者で集まって組んで何かやってるなーみたいな感じだった。
くぐもりやpaorret、あとEddie Walkerだったかな、なんか色々グループやユニットを組んで、気づけばVoXとかのブッキングをやっていて、なんか一回VoXが前の場所のときに一回行って、それが文月さんがゲストの時か何かで、そこでたまたま一緒になったりりじゃんの人と帰りに王将か喫茶店かどっかでちょっと喋った記憶がある。
なんかVoXの奥のすり蜂状のステージの奥にあるカウンターのあるとこみたいなとこで朗読、これがたぶんPoetry Flight Nightだったんだと思うけど、それを見てた。このときは誰かが読んだ「クレド」ってやつが、なんか言葉は覚えてないけど熱だけ覚えてる。
気づけばVoXはたぶんBACKBEATの場所に移転して、そういやその前は、そのあとは? nanoにも居たのではないか。前後関係がまったくわからない。choriさんはライブハウスでブッキングやりつつ自分もやる人っていうイメージで自分の中で十年ぐらいあった気がする。
最初はネットで詩で一番熱がありリアルでもイベント主催して結果も出してっていう、詩学の新人賞を取ったりしつつ、あとはなんか昔自分が太ってて痩せたのもあってか、太ってる人が嫌いな感じだったイメージがある。詩人はかっこよくあるべきみたいな感じ。
私はダサかったからまあそのへんは賛同できなかったが当時は脱オタクファッションみたいのもあった。当時の私はネットで精神分析なのか社会学なのかファッションなのかITなのか詩なのかよくわからないが、そういうのをぐるぐるみてた。それが今になって種本みたいなのがあったんだーって知るような、そんな気持ちで生きてる気がする。
話がそれた。当時の私はすごく太ってたので「やだなー」と思いつつ急に痩せれるわけじゃないし、服もないのでダサ太ったまま見に行ってた。
詩で戦略的にどういうしていくぞーみたいな機運というのは当時あって、簡単にいえばマネタイズだと思うが、そういうのが主だったのか副だったのかは今となってはもうまあなんでもいいんじゃないかって気になってくる。
かといってどれだけの人の記憶に残ったかっていうのでもない気がしてくる。
ネットで生き方の路線を入れ替えたのなら回復のターンも慎重に組み入れるのも悪かないと思っている。それは私には絶対できない生き方というのをうすうす感じる人は多かった。それはるろ剣じゃないけど、九頭竜閃は彦さんぐらいの筋肉に包まれた体躯で打つ技なのであって、剣さんの華奢な体では負担が大きすぎるって話を毎回おもいだすんだけど、ネットはそこを結構掻き乱したと思ってて、じゃあネットのない時代にはそれがなかったのかっていえば、昔っからふつうにあったんだろう。その総数を増やし、その可視化を促しただけだ。ぶっ飛ばしていく人がそうでしか生きれないのもわかるし、そうしたくなくてもそうなるってのもわかるけど自分にはわからない。ネットには先に大人になってる人もいたりして、同じようなシンパシーを感じたはずだが、その着地点がインディペンデントかどうかみたいな部分はかなり予後に影響するんじゃないかと思って、私みたいな人間はすぐ死ぬので回復のターンばかりとって生きてきた。そんなことを思わせるが、昔ほどはもう揺らがない。話がまたそれまくってる。もどそう
choriさんは年齢ごとに16歳とか年齢の詩を書いてて、それのせいかやたらボクサーパンツで佇んでいるっていうイメージがある(当時ブリーフだったので、せめてトランクス履こうって誓った)。あとは詩会で「あるく」という詩を書いて、最後のひとことは要らんかったんちゃうかみたいな感じの議論が起こってた記憶もある。「ありく」だったか。記憶がもう。
最初のほうの「下駄の片方の削れ具合を知ってる僕と守衛?さんの目が一瞬だけ合う…」みたいなくだりにめっちゃ痺れた記憶がある。
そういえばのちBBSで詩の合評?じゃないけど、なんか書いた詩の評をするみたいなのをやったり、自分のオフィシャルサイトを作って毎日のように詩を更新してたような記憶もある。あとどっかのテレビで特集組まれてたこともあったな。
MBSだったか? Kという詩を思い出す。血も滲まないような言葉で僕を語るなみたいな詩で、ディーズデイズはなんでか心の中で毎回「デイーズデイズ」って読んじゃってた。Kという言葉はなぜか眼鏡と繋がってて、Kという詩は珍しくひろっちさんがいいね押してて、それも印象に残ってる。
そういや現フォのアカウント消えてたかな。あの野球の詩が好きで数年前読もうとしたら消えててなんかちょっと寂しかった。
あと隣人よさらばで終わる18歳の詩だったかな、あれも好きだった。あのいろんな人が周りにいるところ、走るのをやめちゃった人とかも一緒に坂をくだってるようなイメージ。うかむせと聞いてもマリイラストリアスしか思い浮かばない。
野球の詩の輻輳するイメージも好きだった。草魚とかもよかった。バンド体制になってからはあまりよくわからなかったけど、時々PVが公開されたりして、あとは原口さんの詩にめちゃ長い評書いたりしててすごいなと思った。れっつらさんとの関係性みたいなものをネットからしか見てないけど、なんかいいなとか思ってた。記憶では、「祝福が終わった夜に」か何かの感想で「ディーズデイズ」のとこに「はいダジャレ」みたいに書いてて、なんかいいなぁ、と。あれ、Kと祝福の…の区別がついてない。おかしい。記憶が…ダメだ。人狼とか将棋のことをよく呟いてたイメージもある。あとは酒飲み過ぎなんじゃないかっていうイメージも。早いのかはわからない。気づけば名前も変わってて、週刊女性?だったかなも買ったりした。いろんなことやってたから色んな人の記憶に残ってるだろう。血筋的なのもあってたぶんふつうに人から「ちょり死なはったな」と言われる可能性もある。私も会って話したわけじゃないから「みたいですね」と言うしかない。39歳だったのかと思う。完全に年上としてみてたっていうか、年上っていうか、なんていうのかな、止まってるような私からみて、すごい動いてる人って感じがしていた。
そういや偽名(ハンドルネーム)でゲルニカの詩を書いてた記憶がある。ゲルニカ、声がなくなって。みたいなやつ。あとは字画は に続いている(字画が廃園の水路になってるようなイメージのする不思議な詩)、とか、すべりこみリノリウムの床で踊る…みたいなやつも。変な角度で雨が降ってくるやつとか、ダンボールを舐めるやつ、断片でしか思い出せないものが多すぎて嫌になってくる。
なんかイメージ的に定期的に好きな詩人のリストみたいなやつを呟くイメージもあった。飯島耕一とか鈴木志郎康さんは入ってるときと入ってないときがあり、あとはカオリンタウミであったり。ほかにもchoriさんは現代詩人と今自分がいいと思ってる詩人とかすごいと思った人も普通に入れててそういうのがいいなと思うことがあったり、私の時期によっては「それは違うのでは」と思ったりしてた気がする。上田假奈代さんも入ってたり、な気がする。そういえばブルーハーブ、くるりはもちろん(もちろんなのかは知らないが…)、私の岩瀬敬吾好きも、もとをたどればchoriに行き着く。詩集はなんか意地で買わなかった気もする。
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