30代の叱る、40代の𠮟る


紀伊國屋書店にて、『〈叱る依存〉がとまらない』(紀伊國屋書店)刊行記念オンラインイベントが開催されました。著者の村中直人氏と、ゲストに精神科医・松本俊彦氏を迎え、誰もが陥る可能性がある「叱る依存」について語られた本イベント。本記事では、「バッシング」が大きくなる理由について、良かれと思って行われる「叱る」という行為が依存になってしまう背景について語られました。


松本さんはバズフィードかなんかでストロングゼロの話してる記事を読んでから、ファンじゃないけど何かしら読むようにしてる。
松本さん嘘喰いの立ち会い人みたいでいいよね。靴のかかとだけでシャーって走れそう



バスの優先に座ってるパッと見元気そうな人が実はどんな事情や疲労や病を抱えてるかわからないのに、昔は「こいつ若いし元気そうやな!叱ったろ!」みたいなノリでおじさんとかがブチギレてたわけですが、そういった処罰感情と、自分の頭の中にある典型例とか先入見みたいなものだけでガンガンいく感じの人がどんどんログアウトされていくのを慇懃無礼に見送ってくのが社会の作法になりつつあるのかなとは思います。

とはいえ、微妙に、それでいいのかな〜と思うところもあって、それはつまり、もしかすると自分がそれに該当したり、該当していったり、該当する瞬間てのも、いつかは出てくるかもしれないからです。
自分自身が軟着陸、あるいは不時着する場所に対し、臥しやすいようにしておきたいという願望もなんとなくあります。
いなくなる人の不可視化と歩留まりの悪さに目を瞑ることによって今までの日本社会はガンガンいって、それでガンガンいけなくなってから、はや30年ぐらいが経とうとしてるわけですが、自分は乗り越えたとかいうけれど、乗り越えれなかった人をまったく忘れていてカウントしてなかったり、そもそもがたまたまだったりで、まだ日本にはたまたま感が足りないので、もっとたまたま感を前面に押し出してやってかないと人を大事にできない気がします。一期一会感が不足しています。



うちの会社も昔は「とっちめろ」なところがあったけど、人口減と適度なシャッフルで今そういう人はかなり減った。今もいるそういう人は、そういう感じのが出せないところとか、そういうのがうまく活きるとこに配置されてやってたりする。
まあみんな歳とってまるくなったというのもある。
ただ昔ほど昔の話が減った。昔の話は過激で面白かったが、今は昔の話が通じる人自体が少ないし、それ聞いて笑う気にもなれなくなってしまった。

今から20年前はやたら理不尽に叱られていたが、今は叱るということ自体がない。トラブルの発生源が個人に帰されることが基本ないので、みんなすぐに言いにきてくれて、見に行って、わぁわぁ言いながらやってる感じになってる。

それでもたまにしんどいのが、自分にも一応20年ないし30年分の叱られ体験があり、それが内面化してて、かといってそれへのオルタナティブがあるわけでもないまま板挟みというかキルア世代(現在40歳前後の中堅社員のこと。HUNTER❌HUNTER GI編のレイザー戦でキルアが就任したポジションに因んで、わたしが勝手にこう呼んでるだけ)に突入してしまったため、時々人を野放しというか、好き放題にさせてしまってる気もする。
たまには毅然としないといけなかったり、壁っぽくならなきゃいけない瞬間もあったりして、なんかそのへんムズイとは思う。
何も訊かずに断定して決めつけてとっちめるってのはある意味楽で、事情を聞いて、人ではなく、行為に対して「これこれこうだから、ここがよくないよね」って、理由から何から全部言語化せにゃならんっていう難しさがある。40にもなるとそろそろオートパイロットでいきたいみたいなところがあるのに、というか昔はオートパイロットで生きてる人を見て育ってきたのに、え、まだ操縦桿握ってこんなに色々見なきゃならんのですか!?みたいな部分も、あるにはある。
内面化していたものが使えなくなってオートパイロットできなくなって脱落して不可視化する…の繰り返しだと結局総活躍とか夢のまた夢で、そういう人にもなんらかのアプローチが必要であり、こっちからもなんか発しなければならない。

そういえば、「言う」という仕事をする人もかなり減った。「言う」という仕事は、上下関係によって一方的に「言う」ということを行い、仕事の責任所在を部下に移し、それによるミスが発生した場合お前を詰める(言う)、までを含めた仕事のことです。
「言う」ことによってやらせ、できなかったことに対して「言う」。人の改善活動みたいなもので、とはいえ特殊なのはテーマの選定も現状把握も効果の確認も標準化もないことであり、ひたすら「言う」を行い、俺色に染める、っていう感じの仕事です。
昔いた人は、この「言う」に非常に力を入れていて、部下がミスすると、この「言う」によって、ミスの削減を目指してました。

そろそろ出なきゃいけないので、そういえば昨日のヨーグルトの件、あれは結局塩と砂糖を入れる取っ手のついた四角いアクリルの容器の蓋を外したやつにヨーグルトの箱入れたら解決した! わーい

一応昨日仕事しながら考えてたけど、最初の「トーナメント表みたいなやつ」はヨーグルトで汚れるのが難点、クリップ式の突っ張り棒のようなものを考えたが、容器側面を握ると意味ない、さらに考えていくと、四角いコップみたいなものに箱ごといれればいいのでは?と思いつき、家にあった使ってないお砂糖の容器にブルガリアの箱をすっ…と入れたら、よっしゃー!ってなりました。ご心配された方、ありがとうございます、無事解決しました。みなさんもヨーグルトの箱がぐにっとなる方は砂糖とか塩入れるアクリル容器の蓋をとって入れてみてください。百均とかでご購入される場合は事前に箱のサイズを測るのを忘れずに、あとちゃんと巻尺ももっていきましょう。しごとー

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