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あさ。進撃を見始めて、ずっと見てる。
今24話か25話かそのへん。1期だが、先のシーズンのサムネを押したりすると、もうなんか、るろ剣の映画とかもそうだがThe Final BeginingとかFinal season 2nd seasonみたいな感じになってて、結局何作目なのかみたいなことがあって、別におもしろければいいんだけど、あとコナンの映画もなんか番号振っとかないとあの話が何個めだったかみたいな話はなんか帰り道に石ころをシェアして蹴り合うみたいな軽いトークのためにあえてそうしてるのかもしれない。結局それが何作目かわかったところで最終的には「もうそんななるかー」「よかったよねー」とかいうとこに落ち着く。

それが石ころ的には側溝の穴とかになるのかといえばそんなことはなく、というか、なんで自分が見始めたところから勃発するのか問題がある気がする。16歳になったからお城に行きましょうから始まるとかの話を5歳から始めて16になったら勇者は隣の家のほうでしたとかいう話にはならない。そんなゲームがあったらぶちぎれるかも。

映画に合わせて毎回どっかの王国のゲスト姫とかがやってきて友達になって一曲まるまる静止画で仲良く遊ぶようすが流れるシーンを見さされ最後にマーニー!的な叫び声をあげるとかをする。

ゲームだとやっぱり自分が勇者の可能性がかなり高いので、隣が勇者だったり自分が勇者だったりするにはパチンコとかがいいのかもしれない。数百分の一でお金を出すだけでお金が出てくる。

たとえば橋を渡っていて山の方を見ると山のポリゴンが欠けていることに自分だけ気づくとかいうことがあるだろうか。
そうなってくるとフリーガイの世界ではあるが、そうなると結局わたしは製作者に仕組まれてるバグとかになり、それも結局勇者である。

だから勇者か勇者じゃないかでいうと、勇者じゃないと思っております。
それはお客さまを勇者か勇者じゃないかでわけたということですか。
ということで、和牛もかなり勇者か勇者じゃないか論争に絡んでくる。
和牛、パチンコ、勇者、偶然性、物語の始原、フリーガイ、バグ、盤面、外の世界、技術介入、期待値、さまざまなものが絡んでくる。

公営ギャンブルに比べると胴元がとるお金が少ないからいっぱい還元されるんだよ!とか技術介入ができるから遊"技"なんだよ!とか、期待値をかせぐんたよ!とか言ってるうちに、でも牙狼をハンマーで撃破して捕まった人をリーチ加工して連行されたのに当たってるとかいう動画もアップされる昨今、地獄少女は地獄に流せたら大当たりとか、ようはパチンコにとっての大当たりは善悪を超えているというか、理屈がわからない。
理屈なんてないのかもしれない。閻魔あいが地獄流し達成すればとにかく大当たりなんだと。真ん中に怨の字がくれば小当たりなんだと。
高須クリニックが何を揃えているのか、うまい棒が何を揃えているのか
何が7なのか、何が通常で何が確変なのか
(でもやっぱり機械の目盛りが222とかで止まってたりすると「通常か…」と少し気落ちする)
それがルール、さだめなのである。
潜伏かどうかはとにかくセグをみろと。
なんかそういう感じで、結局世界は残酷なのかもしれない。
最近のパチンコ屋のバラエティコーナーはなんか台が迫り出てるのが増えたせいで、人を理解しようとして固まったアザゼル(ARMSに出てくるケイ素?生命体だったか)のように人を覆うようになってて、なんかこれは人類史的に意味があるのではないかとおもわなくもない。
外出


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