0714

あさ。エレン(仮)は182g→184gへと増幅した。ローゼとシーナを行き来しながら時々身体を伸ばして壁外に目を輝かせている。Twitterでは東さんがニコ生で言ってたやつが炎上してて、なんとなく詩の界隈?だと左気味なのでやはりいいねもリツイートも東さんおいおいって感じでなんか板挟みに感じる。
わたしの場合、20年ネットで見てきた東さん、という感じなので、相変わらずでいようとは思う。ハンターハンターでゴンがゲンスルーに大息吹使うみたいな感覚に近い。どっちについたからもうお前とは決裂だ、という感覚ではありたくない。フォロワーさんもフォローしてる人も、そういう感じで切ってほしくないな…とは思う。

東さんとか切込隊長とかはなんかもうそういうふうにみてる。もう、言ってること云々で応援しているわけでもないし、それで離れるとか応援するしないとかもない。切込隊長は昔ひきこもりの人の相談に対して2回ぐらいにわけていいこと書いてたので、それで信用してる感じ。
津田さんはCCCDの人だし、風のハルキゲニアさんとか、何人かの人をぼんやりと見てる。それでこの人は(ネットで見える範囲では)こんな人だな、と思いつつみてる。



なんか大枠では、こういう場でもリテラルなことを言ってたら清濁あわせのんで御しきるなんてことは到底無理だということを理解していないみたいなことを非常にぼやんと言ってる、みたいなことだと思ってる。
それこそ文字通りに切り取ればブーメランだったり曲解してるのかもしれないが、もうちょっと大枠で、なぜリベラルが議席とれないかみたいな話になれば、端的に、こういうときにこういうこと言うから、に尽きるわけで、三浦さんのチャンスを与えてやってるみたいな発言も、要はこういうときにそういうこと言わないところを見せる機会を与えているという意味であって、たしかその次のれいわの山本さんにはもうこの質問は正直厳しい…と思ったのか、しなかった。社民のところで、もうこういうときでもこういうことを言うやつらっぽいぞと学習したのだと思う。これが投票行動だとしたら、そりゃ議席が減るわけである。信頼されなくなった、ということである。そして、東さんも、自身の発言で信頼されなくなってる、ということである。そのことはわたしにとってはちょっとつらい。そして、わたしは、信頼とか関係なくいよう、と思ってる。

選挙特番で、安倍さんのことを早々に切り上げて批判の話を極めてぶっちゃけてロジカルに話し始めたから、すごくロジカルじゃない(倫理的?、道義的?)非難を受けたが、それがもう一度ロジカルなところに差し戻されて今炎上してる、みたいな感覚でみている。

もう、あってるまちがってる、おかしいおかしくないの話とか関係なく、宗教の問題とその2世の方の深刻な問題はあるし、それが自分の場合(宗教ではないが、親の問題として)はどうだったかという点についても考えるところはあるけれども、炎上のときの、数になるとわかってるときの個別意見って結局なんなんだろう、ということもちょっとは考える。自意識的にはそこにある数字になると思ってても言わずにおれない、という感じ。記者会見のマイクの束に、そんなにある意味があるのかとも思うし、どれかをいいねやリツイートしたりして自分が意見やイシューを選択したりハンドリングしたような気分になることにはあんまり与したくない。

とはいえわたしも自民党と統一教会がそんなに繋がってるとは知らなかったのだし、ある意味驚天動地だし、でも知ってる人はふつうに知ってたらしく、世の中まだまだ知らないことはたくさんあるものだなと思いつつ、これまで同友会的ななんか経営者の集まりみたいなところで徐々に知って黙っていくような歴史みたいなやつ(一応ところどころ公にされてるけど解禁されてない感のあるもの)がこんな急にバーンと出てきてそのときに適切なふるまいができる人ってのも(知ってた人であろうと)そうそういないわけで、だからもう今はこの件にかんして、おかしいと思うこととか間違ってるとか人に対して思うことは一旦留保! 留保するー!って感じで今日も弱小ネガティブケイパビリティは仕事せざるを得ない。

そういやサイレントホイールにカバーをつけた。走ってるとき正面からみる顔がすごいかわいいのだが、足の指見てて、やっぱカバーあったほうが走りやすいのかな…と思ったので。

追記

あと思ったのが、まだhazumaって文字列がnoteで取れるってことがちょっと驚いた。あ、1971ってついてる(URL)。figure 

さらに追記。
なんかへんなこと書いてる(いつも書いてるけど)気がしてきた。
東さんはとにかく問題をわけて考えるべきである、という話をしている。

リテラルというか、文字通りに話を聞いた上でさらに二、三手先でひっくり返ったとき危険な発想である、ということを東さんは言ってるような気がするが、批判する人はその場にとどまって文字通りに読んで批判している、という感じがする。
わたしが最初に書いたのは、三浦さんがいう「チャンス」についての話だったのかもしれない。

考えてると、まあ、なんか、「今、左右みないで信号のない横断歩道渡りましたよね。車が来てなかったからよかったけど、車来てたら大変なことですよ」「しかも、もし仮に人が来てて、あなたが車だったからといっていいわけじゃないし、あなたがもし人だったら轢かれてるんですよ?」みたいな感じだろうか。だからトーン的には怒ってるような、もうゆゆしすぎるといった表情だが、福島さんの心配もしてるような話である。

交通で、あまり判断が効かないときは減速するというようなことがなかったから、それは他にも適用されてしまう(ひっくり返る)と非常に危ない、ということをおっしゃってる気がする。
福島さんが、運転する立場で、非常に見通しの悪い道路を爆走するような話をした。
ニコ生のときとnoteとで、特に東さんの発言が変わってるわけでもない。
批判側は、まっすぐ走れたじゃないか、そもそもここは道路だし、車道だし、何が問題なんだ、何が間違ってるんだ、暴力も否定しているし、統一教会と関係もあったし、自民も追求すべきだし、なにもかも全部あってるじゃないか、東さんは何をひどく曲解しているのか、話を理解しているのか?という感じ。
わたしも、どうひっくり返るとこの「危険」が反転してふりかかるのかの理路がうまくつかめていなくて、そこはもうちょっと考えないといけない。

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